第2話 貼り返された毒
「お前、自分の毒を貼り返されたら、どうなるんだ?」
俺――アキト・アオキは、震える左手を前に出した。
掌の上には、黒紫色の毒の塊が浮いている。
さっきまで俺の体を蝕んでいた毒。
それを【編集操作】で切り取ったものだ。
目の前では、ポイズンスライムがぬるりと体を揺らしていた。
半透明の黒い粘液。
紫色に濁った核。
床に落ちた粘液が、石をじゅう、と溶かしている。
普通に考えれば、勝てる相手じゃない。
レベル1。
武器なし。
防具は薄い革の胸当てだけ。
魔法もまともに使えない。
なのに、不思議と頭は冷えていた。
前世でもそうだった。
修羅場の編集室ほど、妙に思考が冴える瞬間がある。
締切直前。
素材不足。
スタッフのミス。
スポンサーからの無茶な修正。
そういう時ほど、俺は一つずつ状況を分解していた。
何が使える?
何が使えない?
何を切る?
何を残す?
どこに繋げば、まだ作品として成立する?
今も同じだ。
ここはダンジョン。
相手は魔物。
使える素材は、俺の体と、周囲の地形と、手の中の毒。
なら、編集しろ。
「ペースト」
俺は意識を集中させた。
視界に薄い青色の線が走る。
世界が、編集画面みたいに見える。
対象。
接続先。
貼り付け位置。
スライムの体に、淡い枠が浮かんだ。
だが、すぐに赤く点滅する。
【システム表示】
対象の耐性を確認。
ポイズンスライムは【毒耐性】を保有しています。
効果が大幅に減衰します。
「……だよな!」
そりゃそうだ。
毒の魔物に毒を貼って即死するなら、世界はもっと雑にできている。
甘かった。
けれど、表示は消えていない。
実行不能ではない。
効果が薄いだけだ。
なら、貼る場所を変える。
俺は足元の小石を拾った。
親指ほどの、尖った石だ。
「対象変更。こいつにペースト」
手の中の毒が、黒紫色の薄い膜になって石へ染み込んでいく。
【システム表示】
対象:小石
付与効果:【毒・微弱】
持続時間:三十秒
保存スロット:0/1
「三十秒……十分!」
俺は毒をまとった小石を握りしめ、ポイズンスライムに向かって投げた。
狙うのは体じゃない。
中心に見える紫色の核。
スライムの体は粘液だ。
表面に投げても吸収されるだけだろう。
だから、核。
映像編集でも、映像全体が悪い時は表面をいじっても駄目だ。
原因になっているカットを見つける。
そこを潰す。
「当たれ!」
毒石が、ぬるりとした体に沈み込んだ。
そのまま核に近づく。
一瞬、ポイズンスライムの動きが止まった。
よし。
だが、次の瞬間。
ぐにゃり、とスライムの体が大きく膨れ上がった。
「え」
嫌な音がした。
ぼこぼこぼこ、と泡立つ。
毒石を取り込んだスライムの体が、紫色に強く発光する。
【システム表示】
警告。
対象の毒性が一時的に増幅しました。
「逆効果じゃねえか!」
俺は横に飛んだ。
直後、スライムの体から毒液が弾けた。
紫色の飛沫が、さっきまで俺の頭があった場所を通り過ぎる。
壁に当たった毒液が、石を溶かして白い煙を上げた。
冷や汗が背中を流れる。
やばい。
完全にやばい。
「編集ミスった……!」
前世なら、編集ミスは戻せばいい。
アンドゥ一発で済む。
でも今の俺には、そんな便利な機能はない。
【カット】と【ペースト】。
それだけだ。
しかも、使い方を間違えれば敵を強化する。
「チートっていうより、爆弾じゃねえか……!」
ポイズンスライムが、こちらへ迫ってくる。
毒性が増幅したせいか、動きもさっきより速い。
床に粘液の跡を残しながら、ぬちゃり、ぬちゃりと距離を詰めてくる。
逃げるか?
いや、背中を向けたら終わる。
戦うか?
無理だ。まともに殴れる相手じゃない。
なら、環境を使う。
俺は周囲を見回した。
右手には崩れかけた石柱。
左には乾いた苔。
奥には細い通路。
天井からは、水滴がぽたり、ぽたりと落ちている。
水。
スライムの体は粘液。
毒は濃度が上がれば強くなる。
でも、薄まれば?
「……編集って、切るだけじゃない。余白を使うんだ」
俺は奥の通路へ走った。
ポイズンスライムが追ってくる。
速い。
でも、直線的だ。
知能は高くない。
獲物を追うだけ。
俺は天井から水滴が落ちる場所まで走り、振り返った。
「来いよ、外れ職が欲しいんだろ」
我ながら震えた声だった。
挑発としては三流だ。
それでも、スライムには十分だった。
ポイズンスライムが勢いよく跳ねる。
俺に向かって、全身を投げ出すように飛びかかってきた。
その瞬間、俺は横へ転がった。
スライムは俺を外し、水滴の落ちる窪みに激突する。
じゅう、と音がした。
毒粘液が水に触れ、白い煙を上げる。
スライムの体が、一瞬だけ薄く広がった。
今だ。
俺は右手を伸ばした。
直接触れたら危険。
だが、スライムの粘液が飛び散って、すぐ近くの石床に付着している。
そこなら触れる。
指先で、石床についた粘液の端に触れた。
焼けるような痛み。
「ぐっ……!」
毒が皮膚に入り込もうとする。
視界に表示が出た。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:ポイズンスライムの粘液片
含有要素:
【毒】
【粘着】
【酸性】
実行可能操作:
【カット】
「毒じゃない……粘着を!」
俺は歯を食いしばった。
毒を切っても、さっきみたいに使い方を間違えれば危ない。
今ほしいのは、相手を止める素材。
つまり、粘着。
「カット!」
ぶちん、と感覚が走る。
石床についた粘液から、透明な糸のようなものが抜き出された。
手の中に、ねばつく光が浮かぶ。
【システム表示】
要素:【粘着】をカットしました。
保存スロット:1/1
保存中:【粘着】
「よし……!」
ポイズンスライムが体勢を戻す。
毒性はまだ強い。
だが、水に触れて表面が薄まったせいで、さっきより動きが鈍っている。
俺は手の中の【粘着】を見た。
これをどこに貼る?
スライム本体?
駄目だ。自分の粘液なら耐性があるかもしれない。
俺自身?
論外。動けなくなる。
なら、床だ。
しかも、ただ床に貼るだけじゃない。
通路の狭い場所。
両側の石壁が近く、スライムが体を広げられない場所。
そこに貼る。
「ペースト!」
俺は細い通路の床に向かって、手の中の【粘着】を叩きつけた。
透明な膜が、石床に広がる。
【システム表示】
対象:石床
付与効果:【粘着】
持続時間:二十秒
二十秒。
短い。
だが、生き残るには十分だ。
「こっちだ!」
俺は通路の向こうへ走った。
ポイズンスライムが追ってくる。
ぬちゃり。
ぬちゃり。
ぬちゃり。
そして、粘着を貼り付けた場所に乗った瞬間。
ぐしゃ、と鈍い音がした。
スライムの下半分が床に貼りつく。
勢いのまま前へ進もうとして、体がびよんと伸びた。
核が露出する。
「今しかない!」
俺は石柱の欠片を拾い、全力で投げた。
狙いは核。
だが、俺の筋力はEだ。
勢いが足りない。
石は核の手前で粘液に飲み込まれた。
「くそっ!」
ポイズンスライムが暴れる。
粘着の効果は長くない。
もう床から剥がれかけている。
何かないか。
何か。
俺は視線を走らせた。
崩れかけた天井。
亀裂。
水滴。
古い鉄杭。
鉄杭?
通路の壁に、錆びた鉄杭が刺さっている。
たぶん昔の探索者がロープを固定した跡だ。
その上に、ひび割れた石板が乗っている。
落とせば、スライムを潰せるかもしれない。
でも、俺の力では鉄杭を抜けない。
なら。
「抜くんじゃない……支えてる部分を切る」
俺は壁に駆け寄り、鉄杭の周囲を見た。
石壁の亀裂。
杭の根元。
石と鉄の接点。
そこに意識を集中する。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:劣化した石壁
含有要素:
【亀裂】
【支え】
【摩耗】
実行可能操作:
【カット】
「支えを、カット!」
次の瞬間、鉄杭の周囲の石がぼろりと崩れた。
支えを失った石板が、ゆっくりと傾く。
ポイズンスライムが粘着から抜け出しかける。
間に合え。
頼む。
石板が落ちた。
重い音が、ダンジョンに響いた。
ぐしゃり。
ポイズンスライムの核が、石板の下敷きになった。
紫色の光が一度強く瞬き、それから急速にしぼんでいく。
黒い粘液が床に広がった。
静寂。
俺はその場に膝をついた。
「はぁ……はぁ……勝った、のか?」
表示が浮かぶ。
【システム表示】
ポイズンスライムを討伐しました。
経験値を獲得しました。
レベルが上昇しました。
名前:アキト・アオキ
レベル:1 → 2
【編集操作 Lv.1】の熟練度が上昇しました。
「レベル、上がった……」
たった1だ。
それでも、胸の奥が熱くなった。
俺は初めて、この世界で自分の力で生き残った。
誰かの後ろで、役に立たないと言われながらついていくんじゃない。
自分で考えて、自分で選んで、自分の手で勝った。
嬉しい。
けれど、それ以上に怖かった。
【編集操作】は強い。
でも、危うい。
毒を貼れば敵を強化することもある。
粘着を使えば味方を巻き込む可能性もある。
カットする対象を間違えれば、たぶん命に関わる。
これは、便利なチートじゃない。
刃物だ。
使い方を間違えれば、自分も仲間も切り裂く。
「……だから、ちゃんと理解しなきゃ駄目なんだ」
俺は黒くなった床を見つめた。
敵を。
能力を。
世界を。
そして、自分自身を。
そうしなければ、この力はただの災厄になる。
立ち上がろうとした時、左腕に痛みが走った。
毒は切り取った。
でも、粘液に触れた指先が赤く腫れている。
完全無傷とはいかないらしい。
「ほんと、都合よくはいかないな……」
苦笑する。
でも、それでいい。
都合よくなくても、生き残れる道を探す。
俺はそういう戦い方しかできない。
その時だった。
通路の奥から、かすかな足音が聞こえた。
レオンたちか?
一瞬、体が強張る。
だが違う。
足音は一つ。
軽い。
迷いがない。
そして、澄んだ鈴のような声が闇に落ちた。
「……今の、あなたがやったの?」
俺は顔を上げた。
薄暗い通路の向こうに、ひとりの少女が立っていた。
銀に近い淡い金髪。
長い耳。
翡翠色の瞳。
白と青のローブ。
エルフ。
彼女は俺を見ていた。
いや、正確には、俺の周囲に浮かぶ何かを見ていた。
その瞳が、わずかに揺れる。
「ありえない……」
少女は小さく呟いた。
「あなた、世界の記述を切ったの?」
俺は息を呑んだ。
世界の記述。
それは、俺自身にもまだ分からない言葉だった。
少女は一歩、こちらへ近づく。
そして、警戒と好奇心が混じった目で、俺に告げた。
「あなたのスキル、外れなんかじゃない」
闇の中で、彼女の声だけが静かに響いた。
「それはたぶん、神殿に知られたら消される力よ」




