第1話 外れスキルの編集者
「ここから先、お前はいらない」
その言葉は、ダンジョンの冷たい石壁に反響して、俺の胸を真っ直ぐに刺した。
言ったのは、勇者候補レオン・グランベル。
金色の髪に、白銀の鎧。誰が見ても主人公みたいな男だった。
「……冗談、だよな?」
俺――アキト・アオキは、乾いた喉でそう返すのが精一杯だった。
ここは王都地下ダンジョン、第七階層。
魔物の気配は薄いが、安全地帯とは言い切れない。帰り道だって複雑だ。
なのに、レオンは本気の顔をしていた。
「冗談でこんなことを言うか。アキト、お前は足手まといだ」
隣にいた魔術師の少女、セリアが小さくため息をつく。
「レオンの言う通りよ。あなた、戦闘で何もしてないじゃない」
「罠の位置は俺が――」
「それは誰でもできる補助でしょ?」
即座に切り捨てられた。
誰でもできる。
そう言われた瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
できるなら、なぜ今まで誰もしなかったんだ。
魔物の足跡。
空気の流れ。
壁に残った爪痕。
仲間の疲労。
敵が出るタイミング。
俺は全部見ていた。
前世の俺――青木明登は、日本で高校一年生をやりながら、映像制作の現場に出入りしていた。
映画、配信番組、短編ドラマ。大人たちの中で、構成を読み、流れを組み、誰がどこで輝くかを考えるのが得意だった。
だからこの世界でも同じことをした。
剣は振れない。
魔法も弱い。
でも、パーティ全体の流れを見れば、勝ち筋は作れる。
レオンが一撃で魔物を倒せたのは、俺が先に逃げ道を塞いだからだ。
セリアが詠唱に集中できたのは、俺が敵の視線を誘導したからだ。
治癒師のノルンが無傷で済んだのは、俺が奇襲の予兆を伝えたからだ。
でも、そんなものは目に見えない。
この世界では、見えるものがすべてだった。
レベル。
職業。
スキル。
称号。
そして俺のステータスは、どうしようもなく弱かった。
【ステータス】
名前:アキト・アオキ
レベル:1
職業:編集者
筋力:E
耐久:E
敏捷:D
魔力:D
知力:A
精神:B
固有スキル:
【編集操作 Lv.1】
称号:
【異邦の魂】
職業、編集者。
この世界の誰も、その意味を知らなかった。
鑑定士は鼻で笑った。
「記録係の亜種だろう。戦闘には向かん」
それが、俺に下された評価だった。
レオンは剣を肩に担ぎ、冷たい目で俺を見下ろす。
「お前の分の報酬を払う余裕はない。食料も、回復薬も、魔石も無駄になる」
「俺は……無駄じゃない」
声が震えた。
情けない。
怒鳴り返せばいいのに。
前世でもそうだった。俺はいつも、場の空気を読んでしまう。誰かが壊れないように、言葉を選んでしまう。
でも今は、俺が壊れそうだった。
「だったら証明してみろ」
レオンは俺の足元に、空の革袋を投げた。
「荷物は置いていけ。地図もな。ここまで連れてきてやっただけ感謝しろ」
「地図も……?」
「当然だ。お前に渡したら、俺たちの攻略ルートが漏れる」
セリアが視線を逸らした。
ノルンは気まずそうに唇を噛んでいる。
けれど、誰も止めなかった。
止めてくれなかった。
「待ってくれ。せめて、地上まで――」
「しつこい」
レオンの剣先が、俺の喉元に向けられた。
冷たい金属の光。
それを見た瞬間、俺の中で何かが静かに凍った。
ああ。
こいつらは、本当に俺を置いていくつもりなんだ。
「アキト」
レオンが笑った。
「外れ職は外れ職らしく、そこで終わってろ」
その言葉を最後に、彼らは奥へ進んでいった。
足音が遠ざかる。
松明の光も消えていく。
残されたのは、湿った闇と、俺の荒い呼吸だけだった。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
追放。
まさか、自分がそんな目に遭うとは思わなかった。
異世界転生なんて、もっと夢のあるものだと思っていた。
チートで無双して、可愛い仲間ができて、悪いやつを倒して、拍手される。
そんな都合のいい物語を、どこかで期待していたのかもしれない。
でも現実はこれだ。
レベル1。
外れ職。
仲間に見捨てられ、地図も食料もない。
「……帰るしかない」
俺は震える膝を叩いて、無理やり立ち上がった。
泣いている暇はない。
怒るのは、生きて帰ってからでいい。
まずは状況整理だ。
第七階層までの道は完全には覚えていない。
だが、空気の流れは上層から来ている。壁の苔は湿度が高い方へ伸びる。魔物の足跡は、奥へ向かうものが多い。
逆を辿れば、たぶん戻れる。
「大丈夫だ。編集と同じだ。素材を見ろ。流れを読め。不要なものを切って、必要なものを繋げ」
自分に言い聞かせる。
その時だった。
視界の端に、淡い文字が浮かんだ。
【システム表示】
称号が付与されました。
【追放者】
「……は?」
続けて、もう一行。
【システム表示】
称号が変化しました。
【異邦の魂】→【世界から見捨てられた者】
背筋が冷えた。
見捨てられた者。
なんだよ、それ。
悪趣味にもほどがある。
次の瞬間、通路の奥から、ぬちゃり、という音がした。
振り向く。
そこにいたのは、黒い粘液をまとったスライムだった。
ただのスライムじゃない。体内に紫色の核があり、表面から毒々しい泡を吹いている。
ポイズンスライム。
初心者が一番出会ってはいけない低級魔物。
攻撃力は低いが、毒でじわじわ殺してくる。
「くそ……っ!」
俺は走った。
だが、足がもつれる。
そもそも俺は戦士じゃない。体力もない。装備も貧弱だ。
背後から粘液が飛んでくる。
避けきれなかった。
左腕に、焼けるような痛みが走る。
「ぐっ……!」
紫色の染みが皮膚に広がった。
血管の中を、冷たい虫が這い回るような感覚。
視界が揺れる。
【システム表示】
状態異常:【毒】
生命力が低下しています。
ご丁寧に表示まで出るのかよ。
笑えない。
俺は壁に手をつきながら、必死に歩いた。
でも、足に力が入らない。呼吸が浅くなる。心臓が変なリズムで跳ねた。
死ぬ。
たったそれだけの言葉が、頭の中に浮かんだ。
こんなところで?
追放されて?
誰にも知られず?
何も成し遂げないまま?
嫌だ。
俺は、まだ――。
その瞬間、脳裏に前世の光景がよぎった。
暗い編集室。
無数の映像素材。
タイムラインに並ぶカット。
ノイズを削り、必要な音を残し、物語の流れを整えていく。
不要なものを切る。
必要なものを残す。
毒が、体の中にある。
なら。
それを、切ればいい。
「……編集、操作」
自分でも馬鹿げていると思った。
でも、言葉にした瞬間、視界が変わった。
世界が薄い青色の線で分解されていく。
石壁。空気。スライム。自分の腕。血管を巡る紫の濁り。
そして、そこだけが赤く点滅していた。
【システム表示】
編集対象を検出しました。
対象:アキト・アオキ
状態異常:【毒】
実行可能操作:
【カット】
「……本当に、出た」
指先が震える。
これが【編集操作】。
外れスキルと笑われた、俺の能力。
俺は赤く点滅する毒の線に、意識を集中した。
編集ソフトで不要な映像を選ぶように。
ノイズだけを切り取るように。
体内に広がる毒だけを、選択する。
「カット……!」
ぶちん、と。
何かが切れる感覚がした。
直後、全身を襲っていた寒気がふっと消えた。
呼吸が戻る。心臓の音が落ち着く。
「はぁっ、はぁっ……成功、した?」
だが、安心する暇はなかった。
左手の上に、黒紫色の小さな塊が浮かんでいた。
毒だ。
切り取った毒が、消えずにそこに残っている。
【システム表示】
【編集操作 Lv.1】が発動しました。
状態異常:【毒】をカットしました。
保存スロット:1/1
保存中:【毒】
俺は呆然と、その表示を見つめた。
外れスキルじゃない。
少なくとも、これはただの記録係なんかじゃない。
その時、通路の奥でポイズンスライムが再び震えた。
俺を獲物として見ている。
けれど、さっきまでとは違う。
俺の手には、切り取った毒がある。
そして視界には、新しい文字が浮かんでいた。
【システム表示】
実行可能操作:
【ペースト】
俺はゆっくりと顔を上げた。
「……なあ、スライム」
喉の奥から、乾いた笑いが漏れる。
「お前、自分の毒を貼り返されたら、どうなるんだ?」
闇の中で、俺の手の上の毒だけが、紫色に光っていた。




