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第25話 旧記録保管庫

【次の証拠:過去の勇者候補事故記録】


フィン先生が黒板に書いたその文字を見て、教室の空気が一段重くなった。


旧記録保管庫。


王立アルカディア魔導学園の過去の記録が眠る場所。


そこに、【勇者候補補強式・第七版】以前の痕跡があるかもしれない。


つまり、レオン・グランベルの暴走は偶然ではなく、過去にも似た事例があった可能性がある。


俺――アキト・アオキは、タイムラインに浮かんだ表示を見つめたまま、喉を鳴らした。


第七版。


その数字が、頭から離れない。


一度や二度の失敗ではない。


何度も改良され、何度も使われてきた術式。


もしそこに事故があったなら。


もしその事故が隠されていたなら。


神殿は、勇者候補を作るために、何人もの人間を実験台にしていたことになる。


「旧記録保管庫って、どんな場所なんですか?」


俺が聞くと、フィン先生は黒すぎる茶を一口飲んでから答えた。


「学園創設以来の事故記録、退学記録、禁忌研究の封印記録、処分済み魔道具の履歴なんかを保管している場所だ」


「かなり物騒ですね」


「だから普通は入れない」


ミラが机の上で尻尾を揺らす。


「普通は、でしょ?」


「そうだ。普通は、な」


フィン先生の口元が少しだけ上がった。


この先生がそういう顔をする時は、だいたいろくでもない。


「まさか、不法侵入ですか?」


俺が聞くと、リュミエルが即座に言った。


「それは駄目よ。査問会前に違法行為を増やすのは最悪」


「だよな」


「でも、正式許可を取る時間もない」


「それも最悪だな」


フィン先生は教卓の引き出しから、古い銀色の鍵を取り出した。


鍵には、学園の紋章と、小さく傷ついた文字が刻まれている。


【旧記録閲覧補助権限】


「教師用の補助権限だ」


「入れるんですか?」


「入口まではな」


「入口まで?」


「中の記録は、それぞれ封印レベルが違う。読めるものと読めないものがある。特に神殿絡みの記録は、面倒な封印がかかっている可能性が高い」


リュミエルが眉を寄せる。


「無理に開けば、警報が出ますね」


「出るだろうな」


「じゃあ、どうやって?」


フィン先生は俺を見た。


「お前の出番だ」


嫌な予感はしていた。


「俺が封印を切るんですか?」


「違う。切るな」


先生は即答した。


「封印を切った時点で、神殿は“証拠を盗むために記録封印を破壊した”と言ってくる。だから切るな。壊すな。改ざんするな」


「じゃあ何をするんですか?」


「読む」


フィン先生は鍵を指で回した。


「封印を破らずに、表面に残った記録の影を読む。お前の【タイムライン解析】と【コピー】なら、記録そのものではなく、記録の外側に残った履歴を拾えるかもしれない」


リュミエルが補足する。


「本を開かずに、表紙の傷や貸出履歴から中身を推測するようなものね」


「なるほど」


完全な証拠にはならないかもしれない。


だが、神殿が触れた痕跡や、記録の存在そのものを示せれば意味がある。


ミラがぴょんと机から降りた。


「じゃ、行くなら私もね。保管庫って、古い警備術式とか多いから」


トーヤも立ち上がる。


「俺も行く。何かあれば盾になる」


ノルンは少し迷ってから、小さく手を上げた。


「私も……治癒記録と照合できるかもしれない」


セリアも腕を組んだまま言った。


「私も行くわ。魔術行使記録の外部補正と照合するなら、火属性魔力の痕跡も見られるかもしれない」


昨日まで俺を追放した元パーティの一人だった彼女が、今は証拠探しに加わろうとしている。


不思議な感じがした。


許したわけではない。


でも、同じ方向を向くことはできる。


フィン先生は全員を見回し、首を横に振った。


「全員では行かない。目立ちすぎる」


「誰が行くんですか?」


俺が聞くと、先生は指を折った。


「俺、アキト、リュミエル、ミラ。以上」


「私は?」


セリアが少し不満げに言う。


「フレイムロードはノルンと一緒に残れ。治癒記録と魔術記録の査問会用説明を作る」


「……分かったわ」


「トーヤは教室の防衛。万が一、神殿か剣術科が来たら時間を稼げ」


トーヤは静かに頷いた。


「任せてください」


役割が決まる。


俺はタイムラインを腰に固定した。


査問会まで、あと一日半。


時間はない。


けれど、焦りすぎれば足をすくわれる。


旧記録保管庫へ向かう廊下は、学園の華やかな校舎とはまるで違っていた。


白い石造りの本館を抜け、使われていない北棟へ入る。


空気が冷たい。


壁の魔法灯は古く、青白い光がちらついている。

窓には厚い鉄格子。

床には長年踏まれて削れた跡。


「ここ、雰囲気が完全にラスボス前なんだけど」


俺が呟くと、ミラが笑った。


「新人くんの故郷では、こういう場所にラスボスがいるの?」


「だいたい重要な秘密がある」


「じゃあ当たりだね」


「当たりたくない」


リュミエルは周囲の魔力を見ながら歩いている。


「警備術式が多いわ。古いけれど、まだ生きている」


「どんな術式?」


「侵入検知、閲覧記録、封印破壊感知。あと、精神干渉系の残滓も少し」


「精神干渉?」


俺の足が少し止まる。


リュミエルは頷いた。


「禁忌記録を読んだ者が、内容に引きずられないようにするための防護術式。その反対に、読ませないための威圧術式もある」


「本を読むのに命がけかよ」


「旧記録保管庫だから」


理由になっているようで、なっていない。


やがて、俺たちは巨大な黒い扉の前に着いた。


扉には、いくつもの鎖のような魔法陣が刻まれている。


中央には学園の紋章。


その周囲に、神殿式らしい金色の文字が薄く重なっていた。


「学園の保管庫なのに、神殿式の文字があるんですね」


俺が言うと、フィン先生は顔をしかめた。


「昔は神殿と学園の関係が今より近かった。厄介な名残だ」


リュミエルが小さく言う。


「名残というより、楔ですね」


俺にもそう見えた。


学園の扉に、神殿の鎖が巻きついている。


フィン先生が銀の鍵を扉に差し込む。


鍵が回る。


低い音が響いた。


黒い扉が、ゆっくりと開いていく。


中は、広い円形の部屋だった。


壁一面に棚があり、そこに水晶板、古い魔導書、封印箱、記録石板が並んでいる。


中央には、大きな記録閲覧台。


天井からは、無数の細い鎖が垂れている。


鎖の先には、小さな札が結びついていた。


名前。

日付。

事件名。

封印レベル。


まるで、過去の失敗が天井から吊るされているみたいだった。


「うわ……」


ミラが珍しく声を落とした。


「ここ、嫌な匂いがする」


「何の匂いだ?」


「古い血と、古い嘘」


冗談のような言い方だった。


でも、彼女の表情は笑っていなかった。


フィン先生は閲覧台に鍵を置き、低く言った。


「目的の記録を探す。キーワードは勇者候補、事故、補強、加護暴走、魔力回路損傷、第六版以前」


リュミエルが魔法陣を展開する。


星の光が、棚の間へ細く伸びていく。


「検索補助をかけます。ただし、封印記録の中までは見られません」


「外側だけでいい」


フィン先生が言う。


俺はタイムラインを取り出した。


「俺もやります」


「無理に深く見るな」


「分かってます」


「お前の“分かってる”は信用度が中くらいだ」


「少し上がったんですね」


「前は低だった」


成長しているらしい。


嬉しくはない。


俺は閲覧台にタイムラインを置き、意識を集中した。


「編集操作」


視界が青く染まる。


部屋全体が、無数の情報線として広がった。


古い記録。

封印。

閲覧履歴。

削除痕。

神殿式の閲覧印。

学園側の保管記号。


情報が多い。


多すぎる。


だが、昨日よりは見える。


【タイムライン解析 Lv.1】が、流れを整理してくれている。


俺は探す。


勇者候補。

補強式。

事故。

魔力回路。

第六版。


すると、部屋の奥にある棚の一角が、淡く赤く点滅した。


「奥の棚です」


俺は言った。


「右から三番目。封印箱が並んでるところ」


ミラが先に動く。


罠を確認しながら、棚へ近づく。


「足元に感知線あり。踏まないで」


「解除できるか?」


「解除はできるけど、解除した記録が残る」


リュミエルが言う。


「なら避けましょう」


ミラは床の感知線の隙間を軽々と抜ける。


俺は同じ動きができないので、リュミエルの風魔法で少しだけ浮かせてもらった。


情けないが、今はプライドを気にする場面じゃない。


棚には、黒い封印箱が五つ並んでいた。


それぞれに古い札が付いている。


【勇者候補事故記録】

【非公開】

【封印レベル四】

【閲覧制限:学園長・副院長・特別監査官】


「レベル四……」


リュミエルの表情が険しくなる。


「開けるのは無理ね」


フィン先生も頷く。


「鍵がない。開けたら警報が鳴る」


「外側だけ見ます」


俺は封印箱に触れない距離で、タイムラインをかざした。


箱そのものではなく、周囲の履歴を見る。


誰が触れたか。

いつ封印されたか。

何度閲覧されたか。

どんな神殿式の印があるか。


青い線の中に、金色の痕跡が浮かぶ。


【システム表示】


対象:

封印箱【勇者候補事故記録】


外部履歴を検出。


記録名:

ユリウス・カイン事故報告

アリア・ベルナ補強不適合報告

勇者候補補強式 第五版調整記録

勇者候補補強式 第六版事故後改稿記録


「……あった」


俺の声が少し震えた。


「第五版、第六版の記録があります」


リュミエルが息を呑む。


フィン先生の目が鋭くなる。


「事故後改稿記録だと?」


「はい」


その言葉だけで十分だった。


事故があった。

その後、術式が改稿された。


神殿は、事故を認識していた。


そして改良を続けた。


俺はさらに外部履歴を追う。


「ユリウス・カイン事故報告……公式死因は、ダンジョン内での魔物奇襲」


表示が揺れる。


その下に、薄く別の文字が見えた。


「非公開追記……魔力回路焼損。補強式第六版の出力過多。恐怖耐性と指揮補正の競合による精神負荷」


ミラが小さく息を呑んだ。


「死んだの?」


「たぶん」


俺は喉を鳴らした。


「勇者候補が、補強式の暴走で死んでる」


リュミエルの顔が青ざめる。


「それを魔物の奇襲として処理した……」


セリアがここにいたら、きっと怒っていただろう。


ノルンなら、震えながらも泣いたかもしれない。


レオンが知れば、どうなるだろうか。


自分の身に起きたことが、過去に誰かを殺していたと知ったら。


俺は拳を握った。


「コピーできますか?」


リュミエルが聞く。


俺は首を横に振る。


「箱の中身は無理です。封印が強すぎる。でも、外部履歴と表示されたタイトル、非公開追記の断片なら……」


タイムラインが淡く光る。


【システム表示】


対象:

封印箱外部履歴


実行可能操作:

【コピー】

【要約ログ】

【証拠固定】


警告:

封印内部には干渉できません。

外部履歴のみ保存可能です。


「外部履歴をコピーします」


「やれ」


フィン先生が短く言った。


俺は慎重に範囲を指定する。


封印箱そのものではない。

中身でもない。

外側に残った履歴だけ。


「部分コピー」


淡い光の帯が、封印箱の周囲から抜け出し、タイムラインへ移る。


【タイムライン】


コピー記録:

【勇者候補事故記録・外部履歴】


要約ログ:

【ユリウス・カイン事故報告:非公開追記断片】

【補強式第六版事故後改稿記録:存在確認】


証拠固定しますか?


俺は迷わず答えた。


「固定」


【証拠固定】が実行されました。


この記録は改ざん検知対象になります。


「取れた」


俺は息を吐いた。


だが、その瞬間。


封印箱の金色の文字が、ぴくりと動いた。


リュミエルが叫ぶ。


「離れて!」


次の瞬間、箱から金色の細い糸が伸びた。


俺のタイムラインへ向かってくる。


神殿式の追跡線。


「まずい、コピーに反応した!」


フィン先生が結界を張る。


ミラが俺の腕を引く。


だが、金色の糸は速い。


タイムラインに触れる寸前だった。


俺は反射的に、青い視界の中でその糸を掴む。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:

封印記録追跡線


属性:

神殿式封印反応


実行可能操作:

【カット】


成功率:

四十五パーセント


低い。


でも、ここで繋がれたら終わる。


「カット!」


金色の糸が震える。


切れない。


硬い。


まるで、相手が最初から俺の能力を想定していたみたいだった。


「くそ……!」


その時、リュミエルの星の結界が糸に絡んだ。


「今!」


成功率が上がる。


四十五。

五十七。

六十八。


「カット!」


ぶちん。


金色の追跡線が切れた。


だが、完全には消えなかった。


切れた先端が、空中で赤く燃える。


【警告】


封印反応の一部が外部送信されました。


送信内容:

不明


「不明……!」


俺は歯を食いしばった。


完全には防げなかった。


まただ。


神殿に何かが伝わったかもしれない。


フィン先生が低く言う。


「撤収する」


「でも、まだ他の記録が――」


「十分だ。欲張るな」


その声には、いつもの軽さがなかった。


「ここで捕まれば、取った証拠も使えなくなる。帰るぞ」


俺は頷いた。


ミラが先行し、感知線を避ける。

リュミエルが俺の背後を守る。

フィン先生が最後尾で結界を維持する。


俺たちは旧記録保管庫を出た。


黒い扉が閉まる。


その音が、妙に重く響いた。


廊下へ戻ると、俺はようやく息を吐いた。


「すみません。追跡線、完全には切れませんでした」


フィン先生は首を横に振る。


「いや、よく切った。あれは古い神殿式封印だ。今のお前が完全に消せる相手じゃない」


「でも、何か送信されました」


「だろうな」


「まずいですよね」


「まずい」


やっぱり濁してくれない。


リュミエルが静かに言う。


「ただ、向こうに伝わったのは“封印箱に反応があった”程度かもしれない。誰が、何を見たかまでは分からない可能性があるわ」


「可能性か」


「ええ。楽観はできないけれど、絶望するにはまだ早い」


その言葉は、前にも聞いた。


安心するには足りない。

絶望するにはまだ早い。


今の俺たちに、ぴったりの言葉だった。


特異職科へ戻る途中、俺はタイムラインを確認した。


【タイムライン】


コピー記録:

【訓練迷宮記録:レオン補強暴走前後】

【セリア魔術行使記録:外部指揮補正反応】

【勇者候補事故記録・外部履歴】


記録ログ:

【レオン治癒副記録・要約】

【神殿式閲覧印・要約】

【ユリウス・カイン事故報告:非公開追記断片】

【補強式第六版事故後改稿記録:存在確認】


証拠固定:

有効


これで、神殿の台本を破る材料は増えた。


だが同時に、神殿にこちらの動きも伝わったかもしれない。


一歩進むたびに、危険も一歩近づいてくる。


特異職科の校舎が見えてきた時、ミラがふと立ち止まった。


「……誰かいる」


俺たちは足を止めた。


校舎の入口。


そこに、一人の人物が立っていた。


白い法衣。

金色の刺繍。

薄い仮面。


中央神殿査察官。


彼は、まるで俺たちを待っていたかのように、静かにこちらを向いた。


「アキト・アオキ」


仮面の奥から、冷たい声が響く。


「旧記録保管庫で、何を見た?」


俺の背中に、冷たい汗が流れた。


やはり、送信は届いていた。


神殿の台本は、破れた部分を縫い直すために、すぐそこまで来ていた。

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