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第26話 何を見たかは、まだ言わない

「旧記録保管庫で、何を見た?」


中央神殿査察官の声が、夜の学園に冷たく響いた。


白い法衣。

金色の刺繍。

薄い仮面。


その奥の瞳は、まっすぐ俺――アキト・アオキを見ていた。


まるで、俺が何を持ち帰ったのか、すでに分かっているみたいに。


俺はタイムラインを腰の横で握りしめた。


中には、さっき旧記録保管庫でコピーしたばかりの証拠がある。


【勇者候補事故記録・外部履歴】

【ユリウス・カイン事故報告:非公開追記断片】

【補強式第六版事故後改稿記録:存在確認】


神殿にとって、間違いなく都合の悪い記録だ。


査察官は一歩、こちらへ近づいた。


「答えろ。旧記録保管庫で、何を見た?」


ミラ・クロウが、俺の少し前に出る。


「いきなり尋問? ここ、神殿じゃなくて学園の敷地なんだけど」


査察官はミラを見た。


「獣人の生徒に用はない」


ミラの耳がぴくりと動く。


だが、彼女は笑った。


「用がないなら、見ないでくれる? 視線が冷たくて毛並みが荒れそう」


「ミラ」


フィン先生が低く制した。


ミラは肩をすくめて、一歩下がる。


けれど、その足はいつでも動ける位置に置かれていた。


リュミエル・アークレインは、俺の隣で短杖に手を添えている。


表情は静かだ。

でも、魔力が薄く緊張しているのが分かる。


フィン先生は黒すぎる茶を持っていなかった。


それだけで、少し事態が深刻に見えた。


「査察官殿」


フィン先生が前に出る。


「夜の学園で、生徒を待ち伏せして尋問か。神殿はずいぶん熱心だな」


「質問に答えれば済む」


「質問する権限は?」


「神殿式封印記録に反応があった。査察対象であるアキト・アオキが、その直後に旧記録保管庫から戻ってきた。確認する権限はある」


「確認と尋問は違う」


「見解の相違だ」


まただ。


この男は、言葉をすり替える。


確認。

尋問。

保護。

拘束。

管理。

救済。


神殿は、言葉のラベルを貼り替えるのがうまい。


俺の視界に、タイムラインの補助表示が浮かんだ。


【対話ログ整理】


相手発言内の誘導要素を検出。


質問:

「旧記録保管庫で、何を見た?」


隠された前提:

旧記録保管庫内の封印記録に接触したことを認めさせようとしている。

回答内容によって、封印記録への不正閲覧を成立させる狙い。


推奨:

具体的記録名を答えない。

閲覧権限の範囲を確認する。

学園側立会人の存在を強調する。


俺は心の中で息を整えた。


危ない。


普通に「過去の勇者候補事故記録を見た」なんて答えたら、その瞬間に封印記録への不正閲覧を認めたことになる。


神殿は、俺が持っている証拠の中身を知りたいだけじゃない。


俺に罪を認めさせたいのだ。


「アキト・アオキ」


査察官がもう一度言う。


「答えろ」


俺は、フィン先生の背中越しに査察官を見た。


怖い。


正直、怖い。


でも、言葉を間違えたら終わる。


俺は、ゆっくり口を開いた。


「旧記録保管庫には、フィン先生の教師権限で入りました」


査察官の瞳が細くなる。


俺は続ける。


「俺が確認したのは、封印記録の中身ではありません。封印箱の外部履歴です」


「外部履歴?」


「はい。封印を破っていません。記録本文も閲覧していません」


査察官は沈黙した。


仮面の奥の表情は見えない。


だが、空気が少し冷たくなった気がした。


「外部履歴を確認した目的は?」


来た。


次の罠。


タイムラインが反応する。


【対話ログ整理】


質問:

「外部履歴を確認した目的は?」


隠された前提:

査問会対策のために神殿関連記録を探索したことを認めさせる。

神殿への敵対的調査と解釈される危険。


推奨:

査問会で問われる可能性のある安全性確認として説明。

勇者候補制度への糾弾ではなく、演習事故の再発防止に限定。


俺は答える。


「昨日の演習で、勇者候補レオン・グランベルに魔力回路損傷の危険がありました。訓練迷宮にも異常負荷が出ています。同様の事故記録が過去にないか、安全確認のために調べました」


「安全確認」


査察官が、言葉をなぞる。


「ずいぶん便利な言い方だ」


「神殿もよく使う言い方では?」


言ってから、少し言いすぎたかと思った。


だが、査察官は怒鳴らなかった。


むしろ、静かに俺を見た。


「お前は、自分が危険な領域へ踏み込んでいる自覚があるのか」


「あります」


俺は即答した。


「だからこそ、封印は破っていません。記録本文も読んでいません。外部履歴だけを確認しました」


「それが言い逃れだとは思わないのか」


「思いません」


ここは引けない。


「封印を破っていないことは、旧記録保管庫の警備術式を確認すれば分かるはずです」


査察官は黙った。


フィン先生が、口元だけで笑う。


「そういうことだ。封印破壊はしていない。俺が立ち会っている」


「フィン・オルブライト。貴様の教師権限で、査察対象を旧記録保管庫に入れたのか」


「そうだ」


「責任を問われるぞ」


「問いなら聞く。責任を負うかは内容次第だ」


強い。


この人は、面倒くさがりなのに、退くべきではないところでは本当に退かない。


査察官は、今度はリュミエルへ視線を向けた。


「リュミエル・アークレイン。お前も同席していたな」


「はい」


「何を解析した」


「旧記録保管庫内の警備術式と、封印破壊が起きていないことを確認しました」


「他には?」


「封印箱の外部に残る魔力履歴の一部です」


「その内容は?」


リュミエルは淡々と答えた。


「査問会で必要があれば、学園側証拠として提出します。ここで口頭開示する必要はないと判断します」


査察官の周囲の魔力が、わずかに冷えた。


「神殿査察官に対して秘匿するのか」


「正式な場で提出するという意味です」


リュミエルは少しも怯まない。


「ここは夜の学園通路です。査問会ではありません」


その言葉に、ミラが小さく「いいねえ」と呟いた。


査察官は彼女を無視した。


次に、俺へ視線を戻す。


「アキト・アオキ。お前が持つその黒い記録板を提出しろ」


俺の手に力が入る。


タイムライン。


俺の武器。

俺の記録。

俺の証拠。


それを提出しろ?


冗談じゃない。


しかし、感情で拒否すれば危ない。


タイムラインがまた表示を出す。


【対話ログ整理】


要求:

「黒い記録板を提出しろ」


隠された前提:

任意提出の形を取りつつ、証拠媒体を押収する意図。

提出した場合、記録の消去・改ざん・封印の危険。

拒否した場合、証拠隠滅または査察妨害と主張される可能性。


推奨:

提出拒否ではなく、正式手続きと学園立会いを要求。

証拠媒体保全の必要性を主張。


俺は深く息を吸う。


「提出はできません」


査察官の瞳が細くなる。


「拒否するのか」


「この記録板は、三日後の査問会に提出予定の証拠媒体です。今ここで任意提出すると、証拠保全の連続性が失われます」


自分で言いながら、少し難しい言葉を使っているなと思った。


でも、フィン先生が小さく頷いている。


たぶん、大丈夫だ。


「必要であれば、学園側立会人のもと、正式な証拠確認手続きで開示します」


査察官は言った。


「神殿を信用していないのか」


「証拠の扱いに、信用ではなく手続きが必要だと言っています」


リュミエルが、ほんの少しだけ俺を見た。


たぶん、今の返しは悪くなかった。


査察官はしばらく黙っていた。


夜風が校舎の間を抜ける。


白い法衣が、かすかに揺れた。


「お前は、言葉を覚えたな」


査察官が言った。


「神殿に追われて、学園に匿われ、数日でずいぶんと口が回るようになった」


「生き残るためです」


「外れ職が生き残るために、神の記録を漁るか」


「外れ職だからこそ、記録が必要なんです」


俺は言った。


「剣も魔法も強くない。だから、何が起きたのかを見て、考えて、記録する。それが俺の戦い方です」


査察官の視線が、冷たく俺に刺さる。


「その記録で、神殿を裁くつもりか」


「違います」


俺は首を横に振った。


「勇者候補が壊れかけた理由を、なかったことにしないためです」


レオンの顔が浮かぶ。


ノルンの震えた声。

セリアの赤い水晶。

旧記録保管庫の封印箱。

ユリウス・カインという名前。


「昨日、レオン・グランベルは演習中に魔力回路を損傷しかけました。俺は、その原因を知る必要があると思っています」


「それは神殿が調べる」


「なら、査問会で説明してください」


空気が、ぴんと張り詰めた。


ミラが息を止める気配がした。

リュミエルの短杖に、星の光がわずかに灯る。

フィン先生は、無言で査察官を見ている。


査察官は、静かに言った。


「お前は、神殿に説明を求める立場ではない」


「俺は査問会で問われる側です」


俺は答えた。


「でも、俺が不正干渉をしたかどうかを問うなら、その前にレオンの力に何が起きていたのかも確認する必要があります」


「それを神殿に問うと?」


「神殿を責めたいわけではありません」


ここは慎重に。


「勇者候補を守るために、補強術式の安全性を確認する必要があると思っています」


査察官の仮面の奥で、瞳がわずかに揺れた気がした。


ほんの一瞬。


だが、確かに揺れた。


「補強術式」


その言葉を、彼は低く繰り返した。


「誰がその言葉を教えた」


しまった。


少し踏み込みすぎたか。


いや、もう遅い。


フィン先生が即座に割って入る。


「演習記録と治癒記録を照合すれば、外部補強の存在は推測できる。特異職科の解析結果だ」


「特異職科」


査察官は吐き捨てるように言った。


「世界の規格から外れた者たちの巣か」


その瞬間、ミラの目が細くなった。


トーヤがいれば盾を鳴らしていたかもしれない。


俺の胸にも、小さな怒りが灯った。


外れた者たち。


その言葉には、見下しがあった。


でも、俺はもう、それを飲み込むだけでは終わらせない。


「そうです」


俺は言った。


「特異職科は、世界の規格から外れた者たちの教室です」


査察官が俺を見る。


俺は続けた。


「でも、外れたからこそ見えるものがあります。規格の内側にいる人には見えない綻びが、外側からなら見えることがある」


リュミエルが少しだけ俺を見る。


フィン先生は何も言わない。


俺はタイムラインを握った。


「俺は、自分が外れ職だと言われたから、この世界の職業や称号がどれだけ人を縛るかを知りました」


言葉が、自然に出てくる。


「レオンは勇者候補だから、退けなかった。セリアは仲間の指揮に逆らえなかった。ノルンは神殿が怖くて言えなかった。リュミエルは――」


そこで止めた。


リュミエルのことは、ここで言うべきではない。


俺は少しだけ言葉を変える。


「この学園には、役割に縛られて苦しんでいる人がいます」


査察官は黙っている。


「俺は、その全部を今すぐ変えられるほど強くない。でも、見えたものを見なかったことにはしたくない」


夜の風が吹いた。


旧記録保管庫から持ち帰った証拠の重みが、腰のタイムラインから伝わってくる気がした。


査察官は、長い沈黙のあと、言った。


「危険な思想だ」


「そうかもしれません」


「神の与えた役割を疑う者は、秩序を壊す」


「役割が人を壊す時は、疑うべきだと思います」


言った。


言ってしまった。


これは、査問会本番なら危ない言葉かもしれない。


でも、今の俺の芯だった。


査察官の周囲に、白い魔力が集まり始める。


リュミエルが一歩前に出る。

ミラが短剣に手をかける。

フィン先生の足元に、魔法陣が薄く浮かぶ。


だが、査察官は術式を放たなかった。


代わりに、ゆっくり手を下ろす。


「三日後の査問会」


彼は言った。


「いや、正確には明後日の正午だ」


その声は、さらに冷たくなっていた。


「そこで、今の言葉をもう一度言えるか見てやろう」


俺は黙って彼を見る。


査察官は続けた。


「ただし、覚えておけ。神殿は、役割を疑う者を放置しない」


「俺も覚えておきます」


俺は答えた。


「神殿は、人の役割を守るためなら、人そのものを見失うことがある」


フィン先生が小さく「言いすぎだ」と呟いた。


俺もそう思った。


でも、撤回はしなかった。


査察官は、ほんのわずかに首を傾けた。


「やはり、お前は危険だ」


「危険性は認めます」


「なら、神殿の管理を受け入れろ」


「管理ではなく、検証と監督なら受け入れます」


「言葉遊びだ」


「違います」


俺は、はっきりと言った。


「誰が、何のために、どこまで関わるのか。それを曖昧にした管理は、ただの支配です」


沈黙。


今度の沈黙は、長かった。


やがて、査察官は踵を返した。


「いいだろう」


白い法衣が夜の中で揺れる。


「査問会で、神殿の前に立て」


彼は最後に、振り返らずに言った。


「そこで、お前の言葉がどれほど軽いか、思い知ることになる」


査察官は去っていった。


足音が遠ざかる。


完全に見えなくなるまで、誰も動かなかった。


やがて、ミラが大きく息を吐いた。


「新人くんさあ」


「何?」


「煽り耐性あるのかないのか分かんないね」


「自分でも分からない」


フィン先生が俺の後頭部を軽く小突いた。


「言いすぎだ、馬鹿」


「すみません」


「だが、悪くなかった」


「どっちですか」


「両方だ」


この人も、相変わらずだ。


リュミエルが俺を見る。


「震えているわ」


言われて、自分の手を見る。


確かに震えていた。


タイムラインを握る指が、少し白くなっている。


「怖かった」


俺は正直に言った。


「でも、言わない方がもっと怖かった」


リュミエルは少しだけ黙った。


それから静かに言った。


「それなら、よかった」


「よかったのか?」


「ええ。怖いまま言えたなら、それは勇気よ」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。


俺は笑おうとして、うまく笑えなかった。


ミラが小さく言う。


「とりあえず中入ろ。ここ、見張られてそうだし」


「同感だ」


フィン先生が扉を開ける。


俺たちは特異職科の校舎へ戻った。


教室に入ると、トーヤ、ノルン、セリアがすぐにこちらを見た。


「大丈夫か?」


トーヤが立ち上がる。


「査察官が来てた」


俺が言うと、セリアの顔色が変わる。


「何を言われたの?」


「旧記録保管庫で何を見たか聞かれた。タイムラインを提出しろとも」


ノルンが息を呑む。


「提出したの?」


「してない。正式手続きで開示すると言った」


トーヤがほっと息を吐く。


セリアは腕を組んだ。


「よくその場で押し切られなかったわね」


「フィン先生とリュミエルとミラがいたからな」


「あなた一人だったら?」


俺は少し考えた。


「たぶん、かなり危なかった」


「でしょうね」


セリアは呆れたように言った。


でも、その声には少しだけ心配が混じっていた。


フィン先生が黒板の前に立つ。


「状況が変わった」


全員が先生を見る。


「神殿は、こちらが旧記録保管庫で何かを見たことを把握している。証拠の存在までは不明だが、警戒度は上がった」


先生は黒板に大きく書いた。


【神殿警戒度:上昇】


その下に、さらに書く。


【査問会前に追加妨害の可能性】


「追加妨害……」


ノルンが不安そうに呟く。


フィン先生は頷いた。


「証人への圧力。証拠媒体の押収。学園上層部への圧力。場合によっては、アキトの能力暴走を演出する可能性もある」


「能力暴走を演出?」


俺は聞き返した。


嫌な響きだった。


リュミエルが険しい顔で言う。


「あなたが危険だと示すために、何か事件を起こし、それをあなたの能力のせいにする可能性があるということ」


「最悪ですね」


「ええ。最悪よ」


フィン先生は黒板を叩いた。


「だから、これから査問会までの間、アキトは単独行動禁止だ」


「またですか」


「まただ」


「トイレは?」


「廊下までは誰かがつく」


「そこまで?」


「そこまでだ」


厳しすぎる。


だが、反論できない。


ここまで来ると、何を仕掛けられてもおかしくない。


ミラが手を上げる。


「じゃあ、見張りローテ作ろっか」


「私は夜間も起きていられるわ」


リュミエルが言う。


「駄目だ。寝ろ」


フィン先生が即座に却下した。


「でも」


「証人が倒れたら意味がない。全員、交代制だ」


トーヤが頷く。


「俺が前半を見ます」


セリアが続ける。


「私は後半でいいわ」


ノルンが小さく言う。


「治癒と疲労回復ならできるから、補助します」


ミラが笑う。


「じゃあ私は、怪しい足音担当ね」


みんなが、自然に役割を取っていく。


それを見て、胸が少し熱くなった。


昨日まで、俺は一人だった。


いや、正確には、自分を一人だと思っていた。


でも今は違う。


まだ脆い。

まだ危うい。

まだ完全に信じきれない部分もある。


それでも、俺の周りには人がいる。


俺を利用するためだけではなく、俺が倒れないように見てくれる人たちが。


フィン先生が黒板に最後の一行を書いた。


【査問会まで、残り一日】


その文字を見た瞬間、教室の空気が引き締まった。


残り一日。


神殿の台本は、もうほとんど完成しているはずだ。


俺を異端にするための台本。

レオンを被害者にするための台本。

勇者候補制度の過去を隠すための台本。


でも、こちらにもページはある。


証拠。

証人。

記録。

倫理。

仲間。

そして、俺自身の言葉。


俺はタイムラインを机に置いた。


黒い石板は、静かに光っている。


まるで、これまで集めてきた小さな真実たちが、そこに息づいているようだった。


「先生」


「何だ」


「明日、最終リハーサルをお願いします」


フィン先生は、少しだけ笑った。


「そのつもりだ」


リュミエルが隣に立つ。


「今夜は寝なさい。あなたが倒れたら、全部台無しよ」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


少しだけ間を置いて、俺は付け加えた。


「たぶん」


リュミエルの視線が刺さる。


「本当に」


言い直した。


教室に、小さな笑いが起きた。


神殿との戦いの前夜にしては、あまりにもささやかな笑いだった。


でも、そのささやかさが、今はありがたかった。


俺は椅子に座り、タイムラインに手を置く。


神の台本を書き換えるなんて、大きなことはまだできない。


でも、目の前の小さな台本なら。


俺を黙らせるための一文くらいなら。


きっと、切れる。


そう信じて、俺は明日に備えることにした。

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