第16話 査問会までの三日間
演習場の入口に、白い法衣の男が立っていた。
中央神殿査察官。
薄い仮面の奥にある金色の瞳が、俺――アキト・アオキをじっと見ている。
拍手もない。
驚きもない。
怒りすら見えない。
ただ、観察していた。
まるで俺という存在を、危険な魔道具か何かとして分類しているように。
その視線を受けた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
演習には勝った。
レオン・グランベルの暴走を止め、青水晶を取得し、全員を生きて帰した。
外れ職【編集者】が、戦場で役に立つことを証明した。
だが、それは同時に、神殿にとっての危険度を上げたということでもある。
俺の視界には、まだ演習結果の表示が残っていた。
【総合評価】
第一位:
特異職科混成小隊
代表評価対象:
アキト・アオキ
職業:
編集者
貢献内容:
戦況解析。
罠対応。
味方支援。
敵対小隊救援。
暴走状態の一時解除。
文字だけ見れば、かなり立派だ。
でも、俺は知っている。
この世界では、立派な結果がそのまま称賛に繋がるとは限らない。
力は、見られる。
評価される。
そして、利用される。
前世の映像業界でも似たようなことはあった。
面白い企画を作れば、次も求められる。
数字を出せば、さらに無茶を言われる。
できると分かれば、できる前提で扱われる。
でも、この世界はもっと露骨だ。
利用できなければ追放。
危険なら拘束。
役に立てば管理。
人間の扱いが、雑すぎる。
「アキト」
リュミエル・アークレインの声で、俺は我に返った。
彼女は俺の横に立っていた。
銀に近い淡金髪。
翡翠色の瞳。
白と青のローブ。
いつも通り冷静に見える。
けれど、視線の先は俺ではなく、演習場の入口にいる神殿査察官へ向いていた。
「見られているわ」
「ああ」
「今、余計なことはしないで」
「しない。したくても、もう魔力が残ってない」
「それならいいわ」
「それでいいのか?」
「今だけは」
リュミエルの返事は相変わらず淡々としていた。
でも、彼女が俺の前に半歩出ていることに気づいた。
まるで、査察官の視線から俺を少しでも遮るように。
その小さな動きが、妙に胸に残った。
フィン先生が、黒すぎる茶の入ったカップを片手に近づいてくる。
「よくやったな、アキト」
「ありがとうございます」
「だが、調子に乗るな」
「乗る暇もありません」
「いい返事だ」
先生はそう言って、演習場の入口をちらりと見た。
「神殿の目がある。ここで騒ぐと面倒が増える。いったん特異職科へ戻るぞ」
「レオンたちは?」
俺は思わず聞いた。
少し離れた場所では、レオンがノルンの治癒を受けていた。
右腕は動くようだ。
ただ、まだ顔色は悪い。
セリアは彼のそばに立っているが、いつもの強気な表情は消えていた。
ノルンは治癒を続けながら、時々こちらを見ている。
謝罪した直後だからか、その目には複雑な色があった。
フィン先生は肩をすくめる。
「剣術科の教官が見る。あいつらはあいつらで、今日の演習について報告書を書かされるだろうな」
「報告書」
「そうだ。勇者候補が暴走しかけ、外れ職に救われた。剣術科としては、かなり嫌な報告書になる」
「嫌でしょうね」
「だからこそ、揉み消そうとする奴も出る」
先生の声が少し低くなった。
「アキト。今日の記録は必ず残せ」
「記録?」
「お前が見たもの。切ったもの。レオンの補強。神殿式の痕跡。全部だ」
俺はタイムラインを握った。
黒い魔導記録板。
演習中、俺の命を支えてくれた初めての武器。
「タイムラインに記録できますかね」
「できるようにする」
フィン先生は即答した。
「今日から三日間、お前は査問会に向けて準備する。寝る、食う、記録する、訓練する。余計な外出は禁止だ」
「監禁ですか?」
「保護だ」
「便利な言葉ですね」
「覚えたな」
先生はにやりと笑った。
リュミエルが静かに言う。
「先生。彼には休息が必要です」
「分かっている。だから、今日は四時間寝かせる」
「増えたけれど少ないです」
「昨日より一時間多い」
「そういう問題ではありません」
二人がいつもの調子で言い合っている。
そのやり取りを聞いていると、不思議と少しだけ気が緩んだ。
でも、その時。
演習場の入口にいた査察官が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
空気が変わる。
ざわついていた生徒たちが、一人、また一人と黙っていく。
白い法衣が揺れる。
金色の刺繍が光る。
仮面の奥の瞳が、俺だけを見ていた。
フィン先生が俺の前に立つ。
「何の用だ、査察官殿」
査察官はフィン先生を見ず、俺に向かって言った。
「アキト・アオキ」
「……はい」
「見事な演習だった」
褒め言葉。
のはずだった。
だが、背筋が冷えた。
この男の声には、温度がなかった。
「外れ職と呼ばれた者が、勇者候補の暴走を止め、迷宮の流れを読み、小隊を生還させた」
周囲の生徒たちが、またざわめく。
査察官は続ける。
「極めて有用だ」
有用。
その言葉が嫌だった。
役に立つ。
使える。
管理する価値がある。
そう言われている気がした。
「ただし、危険でもある」
やっぱり来た。
査察官は、俺の目を見た。
「三日後の神殿査問会では、今日の件も含めて問う。お前が何を切り、何を貼り、何を隠しているのか」
俺は喉を鳴らした。
何を隠しているのか。
隠していることなら、いくらでもある。
【編集操作】の本質。
神殿式補強の異常。
勇者候補制度の外部編集。
リュミエルの【神約の呪印】。
俺が転生者であること。
どれか一つでも言い方を間違えれば、俺だけでなく周囲にも危険が及ぶ。
「逃げるなよ」
査察官は静かに言った。
「逃げれば、お前は自ら異端であると認めたことになる」
フィン先生が冷たく返す。
「脅しか?」
「通達だ」
「似たようなもんだ」
査察官は反応しなかった。
彼は懐から小さな白い札を取り出し、俺の足元へ落とした。
札は床に触れる前に光となり、文字を刻む。
【神殿査問会】
出頭期限:
三日後、正午
対象:
アキト・アオキ
追加審問項目:
勇者候補レオン・グランベルへの能力干渉
神殿式補強の破損疑惑
禁忌職能力の実戦使用
「破損疑惑……?」
思わず声が漏れた。
俺はレオンを壊していない。
むしろ暴走していた部分を切って助けた。
なのに、神殿から見れば、俺が補強を破損したことになるのか。
リュミエルの声が低くなる。
「言いがかりね」
査察官の仮面が、わずかに彼女へ向く。
「リュミエル・アークレイン。お前も証人として呼ぶ可能性がある」
「望むところです」
即答だった。
俺は思わず彼女を見た。
リュミエルはまっすぐ査察官を見返している。
強い。
でも、彼女の右手首にある【神約の呪印】を思い出して、胸がざわついた。
神殿に近づけば、彼女自身の秘密も危険になるかもしれない。
「リュミエル、無理に――」
「無理ではないわ」
彼女は俺の言葉を遮った。
「私は見たものを証言する。それだけよ」
「でも」
「あなた一人に背負わせるつもりはない」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
置いていかれない。
それは、こんなにも心強い。
査察官はそれ以上何も言わず、踵を返した。
去り際に、一言だけ残す。
「世界の記述は、個人のものではない」
その言葉が、演習場に冷たく残った。
世界の記述は、個人のものではない。
では、誰のものだ。
神のものか。
神殿のものか。
王国のものか。
人の人生を決める職業も、称号も、加護も、呪いも。
全部、誰かの所有物なのか。
俺は拳を握った。
違う。
まだはっきり言葉にはできない。
でも、違うと思った。
人の人生は、誰かの台本じゃない。
少なくとも俺は、そう信じたい。
査察官が去ったあと、フィン先生が手を叩いた。
「見世物は終わりだ。特異職科は撤収する」
ミラが大きく伸びをした。
「はーい。新人くん、いきなり大人気だね」
「嬉しくない人気だ」
「神殿に目をつけられるとか、なかなかできないよ」
「できればしたくなかった」
トーヤが俺の横に来る。
「アキト。歩けるか?」
「ああ。たぶん」
「たぶん?」
「歩ける」
即座に言い直した。
トーヤは少し笑った。
「ならいい」
俺たちは演習場を出た。
その途中、レオンとすれ違う。
彼はまだノルンに支えられていた。
俺を見る目には、以前のような完全な見下しはなかった。
だが、感謝もない。
代わりにあるのは、混乱と苛立ち。
「アキト」
レオンが低く呼んだ。
俺は足を止めた。
「何だ」
「俺の力に、余計なことをしたな」
「暴走を止めた」
「俺は頼んでいない」
「命に関わっていた」
「だからといって、俺の力に触れていい理由にはならない」
その言葉は、痛かった。
正しい部分があるからだ。
俺は黙った。
セリアが何か言おうとしたが、ノルンが小さく首を振る。
レオンは続けた。
「勘違いするな。俺はお前に助けられたわけじゃない」
「分かった」
「何?」
「今のお前が、そう思いたいなら、それでいい」
レオンの顔が歪む。
「見下しているのか」
「違う。俺もまだ、昨日のことを許せてない。だから、お互い様だ」
レオンは何も言わなかった。
俺は続けた。
「でも、一つだけ言っておく」
「何だ」
「お前の力には、神殿式の補強が入っている。しかも、かなり深く接続されている。放っておくと、また暴走するかもしれない」
レオンの瞳が揺れた。
「そんなはずはない」
「俺も、そうであってほしいとは思う」
「黙れ」
「黙らない。自分の力なら、自分で調べろ」
言ってから、少しきつかったかもしれないと思った。
でも、必要な言葉だった。
レオンは、ずっと自分の強さを疑ってこなかった。
たぶん、それが彼を支えていた。
でも、その強さに誰かの手が加えられているなら。
それを見ないふりしたまま戦い続ければ、いつか本当に壊れる。
「俺は神殿の加護を受けた勇者候補だ」
レオンは、噛みしめるように言った。
「お前のような外れ職とは違う」
「そうか」
俺は静かに答えた。
「なら、その加護がお前を壊そうとした理由を、神殿に聞いてみろ」
レオンの顔が強張った。
それ以上は言わなかった。
俺は歩き出す。
リュミエルが隣に並ぶ。
「よかったの?」
「何が?」
「あそこまで言って」
「言いすぎたかもしれない」
「でも、必要だったと思うわ」
「ならいい」
しばらく歩くと、特異職科の古い校舎が見えてきた。
灰色の壁。
古い木の扉。
窓には鉄格子。
相変わらず歓迎感はない。
でも、不思議と少しだけ安心した。
ここは、世界から弾かれた教室。
そして今の俺にとって、唯一の居場所に近い場所だった。
教室に戻ると、フィン先生がすぐに黒板へ大きく書いた。
【査問会対策】
その下に、三つの項目。
【一、演習記録の整理】
【二、編集操作の表向き説明】
【三、勇者候補補強への関与否定ではなく、救命処置として主張】
「今日から三日間、地獄の準備期間だ」
先生は楽しそうに言った。
「まず、アキト。お前が演習中に見たものを全部話せ」
「全部ですか?」
「全部だ。ただし、話す順番は俺が編集する」
「俺より編集者っぽいですね」
「長く教師をやってると、事実を並べ替えるのがうまくなる」
「それ、言っていいやつですか?」
「ここだけの話だ」
フィン先生は黒板を叩いた。
「いいか。査問会で一番まずいのは、能力を隠しすぎることでも、喋りすぎることでもない」
「何ですか?」
「自分の言葉を持っていないことだ」
教室が静かになる。
「神殿は、お前の力に名前をつけようとする。禁忌、異端、危険、管理対象。好き勝手にな」
先生の声が、少しだけ重くなった。
「だから、お前はその前に、自分の力を自分の言葉で定義しろ」
自分の力を、自分の言葉で。
俺はタイムラインを見た。
【編集操作】
切る。
貼る。
保存する。
流れを見る。
でも、それだけじゃない。
この力は、世界の記述に触れる。
でも、神殿にはそう言えない。
なら、俺の言葉で何と呼ぶ?
俺は少し考えてから言った。
「俺の力は、対象の状態を読み取り、不要な変化を取り除き、必要な場所へ再配置する補助系の編集能力です」
フィン先生が目を細める。
リュミエルが小さく頷く。
ミラが「それっぽーい」と言う。
トーヤは真面目に「分かりやすい」と言った。
フィン先生が黒板に俺の言葉を書く。
【対象の状態を読み取り】
【不要な変化を取り除き】
【必要な場所へ再配置する】
【補助系の編集能力】
「悪くない」
先生は言った。
「だが、まだ弱い」
「弱い?」
「神殿は突いてくる。“不要かどうかを誰が判断するのか”とな」
俺は言葉に詰まった。
確かにそうだ。
毒は不要。
暴走も不要。
罠の命令も不要。
でも、人の記憶は?
称号は?
呪いは?
加護は?
何を不要と決めるのか。
その判断を間違えれば、俺は神殿と同じになる。
人の人生を勝手に編集する側になる。
「判断基準が必要だ」
フィン先生が言う。
「お前が何を切り、何を切らないのか。その線引きだ」
俺はリュミエルを見た。
彼女の右手首に隠された【神約の呪印】。
切れるかもしれない。
でも、今は切らない。
本人の同意。
構造の理解。
命への危険性。
その三つがなければ触れない。
俺は口を開いた。
「本人の同意がないものは、原則として編集しない」
リュミエルが俺を見る。
「ただし、命に関わる緊急時は、救命処置として最小限だけ行う」
フィン先生が頷く。
「続けろ」
「対象の構造を理解していない場合、深い部分には触れない。称号、記憶、呪い、加護みたいなものは特に」
「いい」
「それから……」
俺は少し迷った。
でも、言うべきだと思った。
「俺は、人の心を都合よく編集するためには使わない」
教室が静かになった。
ミラの尻尾の動きが止まる。
トーヤがまっすぐ俺を見る。
リュミエルは何も言わない。
フィン先生は、黒板にその言葉を書いた。
【人の心を都合よく編集しない】
「いいじゃないか」
先生は言った。
「それが、お前の最初の倫理規定だ」
倫理規定。
大げさに聞こえる。
でも、この力には必要だ。
できることが増えるほど、やっていいことと悪いことの境界が曖昧になる。
その時、自分を止める言葉が必要になる。
俺は黒板を見上げた。
自分の力を、自分の言葉で定義する。
それは、神殿に奪われないためだけじゃない。
俺自身が、この力に飲み込まれないためでもある。
その時、タイムラインが淡く光った。
【システム表示】
自己定義を確認しました。
【編集操作】の使用指針が形成されました。
新規項目:
【編集倫理・初稿】
効果:
人間対象への編集時、警告精度が上昇します。
同意なき深層編集に対する精神抵抗が上昇します。
俺は小さく息を呑んだ。
編集倫理・初稿。
まるで、自分の中にルールが一つ刻まれたみたいだった。
リュミエルが静かに言う。
「初稿、なのね」
「編集者だからな。完成稿じゃないんだろ」
「悪くないわ」
その言葉に、少しだけ笑えた。
だが、その直後。
教室の窓の外で、白い鳥が一羽、羽ばたいた。
いや、鳥ではない。
紙で作られた式神のようなものだった。
それは窓の隙間から入り込み、フィン先生の前で静かに燃え上がる。
白い炎の中に、文字が浮かんだ。
【中央神殿より通達】
神殿査問会において、追加証人を召喚する。
証人:
レオン・グランベル
証言内容:
アキト・アオキによる勇者候補能力への不正干渉
教室の空気が、凍った。
フィン先生の顔から笑みが消える。
リュミエルの瞳が鋭くなる。
俺は、その文字を見つめた。
レオンが証人。
しかも、俺による不正干渉。
神殿はもう、筋書きを作り始めている。
俺は、タイムラインを握りしめた。
三日後の査問会。
それはただの説明の場ではない。
神殿が用意した台本の中で、俺を異端に仕立て上げる舞台になる。
なら。
その台本を、俺が読み違えるわけにはいかない。




