第七譜 英雄譚の始まり
「ったた」
「大丈夫エトナ。手を貸そうか?」
「ありがとうアッシュ。でも、大丈夫。傷はほとんど治ってるし、この程度の痛みに弱音を吐いてちゃこれから先が大変よ」
「強いねぇほんと。けど、無茶は厳禁。キツかったら言うこと」
「はいはい、アッシュもね。アナタだって私とダメージはあんまり変わらないんだから」
「あたっ!」
二人は〈執火科〉学生寮への帰路へとついていた。厳しい課題を突きつけられた彼女達だがそこに悲壮感は無い。
足元の【隷獣】の外殻から作られる〈聖鉱石〉製の硬い純白の床を踏みしめながら、いつか必ず自分もこの素材を手に入れる立場になると思いを馳せていた。
そんな想いが抱けることに呼応するように、鈍い痛みと共に別のなんとも言えない感情が二人に芽生えていた。
「……それにしても、私たちを助けてくれたのがまさかハスタだったなんて」
「うん。驚きだよ。仮に誰かが助けてくれたとしても、ハスタだけはないとも思ってたからね」
周りの目も憚らず、エトナを【隷獣女】と嘲笑するような男だ。ハスタのこれまでの態度を考えれば、見過ごして当然とさえ思っていた。
「オッフェンデレ家の矜持ってやつかもしれないね。なんにせよ、助けられたことに変わりはない。嫌な奴だけど、お礼は言わないと」
「分かってるわよ」
口を窄めながらも、エトナは了承する。常に直接的な被害を加えられているとはいえ、それとこれとは話が別。
やるせない思い、助けられた悔しさで心がごちゃごちゃになりながらも、感謝する心はちゃんとあった。
そうしているうちに学生寮のラウンジ前へと辿り着く。木の扉の向こうからは賑わいの声が聞こえてきて、どうやら今日の戦果を自慢し合っているようだった。
「……この中に入るの?」
「そりゃ入るしかないよねぇ……。ま、今更僕たちが空気を読んだって仕方ない。行くよ」
キィッと扉が開く。
「「「「「――――――」」」」」
賑わっていた中での小さな扉の音だ。さして響くはずもないのだが、扉が開いた瞬間に全員がエトナ達を一斉に凝視。彼らの開き続けていた口が完全に閉ざし、痛いほどの沈黙が訪れた。
六十を越える瞳、強烈な圧迫感が居心地の悪さを増大させる。
「うっ……」
「大丈夫。今はハスタ達にしか用はないんだから、気にしないで」
荒波のように押し寄せる、【隷獣】を見るかの如き嫌悪の視線。それに逆らいながら、アッシュはエトナの手を取って男子学生達が固まっている場所の下へと進む。
「やあやあ、勇敢なる未来の英雄たち。聞きたいことあるんだけど、ハスタとミィシャはどこにいるかな?」
「……」
「ハスタ達ならまだ帰ってない……」
「誰かさん達のせいで剣をダメにしちゃったみたいだからな。忙しいんだろ」
「あー……」
エトナたちのやらかしを知っているのか、男子生徒たちは決して視界に入れようとせず、無視と侮蔑の態度だけを示す。よっぽど会話もしたくないのか、話もそこで終了。
にべもない感じに流石のアッシュもどうしようかと頭をかくと、もう一回扉が開く音が聞こえてきた。
ハスタとミィシャが帰ってきたのだ。
「まったく。なんなんだあの店主は。オレはオッフェンデレ家の人間なんだぞ。なのにあんな足元見やがって……!!」
「ま、まぁ純度の高い霊鉱石製の剣なんて学生が手に入れるものじゃないし仕方ないんじゃない……? 普通は〈伝火級〉以上が持つんだし……」
「階級なんざ関係あるか! 〈|煉火師《レンカし〉なら、英雄候補の実力くらい見抜いて当然って話だ! ったく、これだから見習い同然の〈煉火師〉は……! こうなったのも全部、あの【隷獣】もどきのせい――」
よっぽど腹に据えかねていたのか、大声で不満を撒き散らすハスタがそこで怒りの元凶を見つける。
赫い瞳と青灰色の瞳がハスタへとぶつけられると、その顔は一変して『無』となった。
それにエトナは少したじろいでしまうが、やるべき事は果たすつもりだった。
「えっと、その。ごめんなさいハスタ、ミィシャ。勝手な事をして、危険に巻き込んで……。それから、ありがとう、私たちを助けてくれて」
「君たちがいなかったら、僕たちは今こうして歩くことは出来なかっただろう。ありがとう。剣の代金は僕が必ず――」
「ミィシャ、オレ腹減ったから着替えたら外に食べにいくぞ。今日はここの飯を食う気分じゃねぇ」
「え!? う、うん分かった。じゃあまた後でね」
「おう」
「「――――」」
完全無視。立ち止まることも、視線を合わせることもない。侮蔑や嫌悪の感情をぶつけるでもない。
『そこ』にいないものとして扱うハスタは、ラウンジに入ってきた状態のまま、ミィシャとだけ会話をする。
「ちょ、ハスタ……! 僕は良いけど、せめてエトナのことは……!」
すれ違いざま、ハスタを止めようとアッシュが袖を掴んだ瞬間。
「あ――」
息もさせぬほどの、圧し潰されそうな殺気が物理的な重さとなってアッシュに襲い掛かり、思わずその手を離してしまう。
それすらもハスタは気にも止めず、そのままラウンジから出て行った。
それに連れていかれるように、他の学生たちもそれぞれの部屋へと行き、ラウンジにはエトナとアッシュだけが残される。
それがエトナをどこまでも虚無感へと突き落とし、瞬く間に死人のような青白い顔色へと変わった。
焦点の合わない虚ろな瞳が空中を彷徨う。
「はっはっはっはっ…….!!」
「エトナ! 落ち着いて! ゆっくり深呼吸するんだ!」
『いないもの』として扱われることは、エトナにとってなによりの恐怖だ。そう、彼女はその眼のせいで親に棄てられている。
過酷ゆえに人の生が尊ばれるこの世界で、親に棄てられることがどれだけの虚無を与えてくることか。この世界の誰も、エトナの恐怖を推し量る事はできない。
忘れようとしても、決して忘れられない親から捨てられた事実。否応なく存在を許されないと言われているようで、心が裂けそうになる。
だからこそ、それを知るアッシュはハスタを呼び止めようとしたのだ。
息を荒げて震えるエトナの身体にそっと腕を回し、温もりを分け与えていく。
「大丈夫、君はちゃんとここにいるから。僕が見てる」
「う、うん……。ありがとう……」
「ハスタやみんなのあの態度は、まぁ仕方ないさ。それだけ僕たちの勝手に怒っているんだろう。でも、ちょっと怒られているからって止まるエトナじゃないでしょ」
「アッシュ……」
震える身体が止まり、冷えた心に熱が少しだけ戻ってくる。
「もちろん、ここで止まったって誰も文句は言わない。いや、少しくらいは出るかもしれないけど、それもハスタたちの活躍で誰も彼もが僕たちのことを忘れるさ」
「そんなのはごめんよ!! 私は……ここにいていいって認められる為に戦うんだから……! 今、立ち止まったら私がここまで耐えてきた意味はなくなるわ!」
空元気だが、それでも元気だ。胸の奥で燻る火種が着火し、逆境でも前を向くエトナが返ってくる。
「そうよ……! どうせ何したって元々嫌われてるんだから、今更じゃない! 謝ったし、感謝もしたんだからこれチャラよ!」
「その意気だ。どうせだったら、強くなってハスタたちを助けてあげようか。そしたらもう貸し借りなしだしね!」
「いいわね、それ最高。いつか絶対、私たちに『ありがとう』って言わせるんだから! 見てなさいよ!」
心の火が大きくなり、高々に吠えて二人は繋いだ手を掲げる。
誰も見ていない、嫌われし二人ぼっちの宣言。だけど、その決意は隣にいる人には確実に届いている。
誰かが隣にいてくれる。それだけで、エトナは前を向ける。
「じゃあ反省終了。後悔は持ったまま、前に進むとしようか」
「えぇ! 私はもう逃げたり、一々立ち止まって謝ったりしないから! 一番上まで行くから、振り落とされないようついてきてよアッシュ!」
「当たり前だよ。エトナの行き着く先が、僕の望む景色だ。その為なら、どこまでもついていくし、なんだってやるさ。――パートナーだからね」
二人は笑みを合わせ、壮大な野望を糧に心に炎を激らせる。
ここからが、最底辺から這い上がる嫌われ者たちの〈英雄譚〉の始まり。
それを見守る人はまだ誰もいない――




