第四十五譜 比翼連理 急
外殻が砕け、地に伏せ、割れた地面に血が滴り落ちる。けれど、蹲っている暇は許されない。
地上から天に向かって射出された【糸槍】――もはや杭とも言っていいほどの凶器が、雨の如く無数に降り注ぐ。
飛び跳ね、懸命に足を回して回避に専念するが、極僅かな隙間しかないその攻撃を躱し切るのは不可能。
更に、悪辣にもそこに混ぜられた極細の【糸】が逃げるアッシュの足を貫いた。
「【うぐっ! この――】」
【糸】は足を貫いたまま付着し、【アラクネア】の意のままに引っ張られる形になる。不恰好に宙を舞い、壁に叩きつけられ、引き摺られてはまた、振り回される。強烈な遠心力が意識を失わせようとしてくるが、それを見計らったかのように【糸】が切り離され、意識外に切り替わる瞬間に地面に叩きつけられた。
「【あがッ……!!】」
三つの眼全てが飛び出そうなほどの衝撃。
防御の構えも覚悟も取らせてくれない、最も効果的な攻撃の間隔。無防備で攻撃を受けることがどれだけの負荷とダメージを与えることか。葉脈のごとく全身に走る亀裂がそれを物語っている。
【アラクネア】には、【ポルタ・カルデ】の様に仲間意識なんてない。ただ、邪魔だからと目の前の障害物を排除しようとしているだけだ。
【隷獣】の装甲を纏っていなければ何度死んでいたか分からない。
全身に走る疼痛に、アッシュは血塗れの口角を上げることしか出来なかった。
「【ゲホッ……! まさか……、ここまでとはね……。もうちょっとやれると思ったんだけど……まぁ〈合力〉がないとこんなものだよね……】」
破壊をもたらす『力』自体には【アッシュ】と【アラクネア】で大きな差はない。けれど、攻撃が通るかどうかは戦いにおいての前提条件であり絶対条件だ。
【アッシュ】の攻撃が死を脅かさない以上、【アラクネア】は常に有利な状態で余裕を持って戦える。その差、だった。
嘲笑するかの様にアッシュを見下す【アラクネア】は、遊ぶのに飽きたかのように本気で消滅させようと六つの赫い瞳に【邪気】を集中。
あらゆるものを破壊し尽くさんとするあの光線が、力を増して放たれるのだろう。直撃すれば、今のアッシュであっても蒸発は免れない。
「【それは、させないよ。それ自体は、どうすることも出来なくても……、『盾』にはなれるはずだ】」
フラフラの状態で立ち上がったアッシュが、【アラクネア】の正面に立つ。体内の【邪気】はまだ残っている。底の底まで振り絞って外殻を強化すれば、死んでも後ろは守れる算段だった。
「【人類を……なによりエトナを裏切った僕の最期には相応しい末路、かな。悪いけど、それは絶対に通させはしない!】」
少しでも威力を減衰させるため、両手に【邪気】を集中させ前に突き出そうとする。
その禍々しい手を、エトナが掴んだ。
「え――」
「バカ!! なに、私を置いて勝手に死のうとしてるの!! 私を愛してるんだったら、最期の最期まで責任取りなさいよ!」
刺々しく、【邪気】も注がれている異形の手。触れているだけで、エトナの手は焼き付き痛みを発している。
離してとも、どうしてとも、言うことの出来ない残り僅かな生存時間。このままではエトナも死なせてしまう。
そう刹那に確信した時、エトナから力強い詠唱が紡がれる。
「連なる翼!!」
ハッとなったアッシュが無意識に続きを紡ぐ。
「調和の、結び」
ギュッと、自分の手が傷つくことも厭わずエトナがアッシュの手を握りしめる。もう、絶対に離さないと言わんばかりに。
「「昇華の種火は我らの手の中に」」
光線が射出。巻き込まれた瓦礫、地面を消滅させながら、アッシュとエトナに襲いかかる。
だが、今の状態ならば『盾』は十二分に機能する。
前方に向かってゼロ距離〈閃光〉を放ち、威力を殺す盾を形成。白光の〈閃光〉が紫の光線とぶつかりせめぎ合う。
これならば、耐えられる――とほんの少し余裕が生まれたことで、アッシュの言おうとしていた感情が爆発した。
「【バカ、エトナ! なにをやってるんだ! こんなとこに来たら――】」
「さっきも言ったけど、バカはアナタでしょ! 人の気も知らずに勝手に死のうとして! 守ったアナタは満足かもしれないけど、『死なせた』私はこれからどんな想いで生きていけばいいのよ! 言っとくけど、私アッシュ以外の男と共にする気もなければ忘れることだってしないからね!! アッシュが死んだら、絶対に後を追ってやるから!!」
せめぎ合う光の轟音も、アッシュの怒号もかき消すエトナの全力の叫び。言葉だけではない、エトナの心・魂の叫びが何よりも熱くそこに込められていた。
エトナが手放さないことは、この誰も触れない手を掴んだことで理解してしまった。
その執着心がアッシュの足をこの場に縫い付ける。
「【それでも、エトナを死なせないために僕は……!】」
「だったら、アナタも生きるのよ!! 私を死なせたくないんだったらもう、それ以外に道はないわよ!!」
「【む、無茶苦茶な……!】」
「私たちが進んできた道に、無茶じゃなかったことなんてある!? 大体、無茶な道をずっと進もうとしてたのはアナタの方でしょ! 特に手を繋いだままの戦い方とか!!」
「【それは……!】」
死がそこまで迫っているというのに、日常を思わせる呑気な喧嘩。しかし、二人にとっては初めての喧嘩だ。
互いを強く想うが故のぶつかり合い。そこにアッシュは妙な心地良さを抱かずにはいられなかった。
先程まで、一人で戦っていた時の寂寥感が無くなっているのを自覚し、自然と落ち着いていく。
「分かってくれたようで何より。いい? 私に夢を見せたこと、私に生きる意味を与えたこと、私に愛を教えてくれたこと。その責任はちゃんと取ってもらうから。あの時、私の手を最初に掴んだ時から、こうなることはもう決まってたのよ」
「【この強情っぱりめ】」
「それが私ってことは、アナタが一番知ってるでしょ?」
あぁ、誰よりも……と心の中で思い、アッシュは肩の力を抜き、光線を防ぐことに集中する。
なにはともあれ、勝利の条件は整ったのだ。昂った感情のおかげでそこに込められた量と出力で、【アラクネア】の光線を弾いていく。
「【降参だ。ありがとう、エトナ。君が来てくれて実は嬉しかったんだ】」
「でしょうね。だって、アナタさっきからずっと声が緩みっぱなしよ」
「【それについては放っておいて。――でも、見ての通り僕はご覧の有り様だ。これじゃあ、責任を取るにしてもどうすれば……】」
「それこそ簡単なことよ。二人の夢、〈英雄〉になるまで生きて、その後も楽しい人生を送るの」
「【けど、僕は【隷獣】で……】」
「人間よ」
キッパリと断言するエトナ。その姿に、アッシュは自分を重ねていた。
「アナタは裏切り者感出して離れていったけど、本当はそうしたいんでしょ? だから、私のことを大好きなアッシュが『私を英雄にする』を選ばず、『二人で』に拘って自分を入れた」
「【あ……】」
「アナタが自分を人間だと思わないのなら、私がアナタを人間ってちゃんと言ってあげる。アナタが私にしてくれたように、何度でもね」
仮面の下で、アッシュが思いっきり歯を食いしばる。歯が欠けてしまいそうな勢いだったが、そうでもしなければ溢れそうになる感情を抑えられなかった。
鼻の奥がツンっと痛くなり、喉が震える。頬を伝う雫は血ではない。
「アッシュ。アナタは人間よ。【隷獣】が言ったからじゃない。誰かのために戦える人の心を持っているの」
「【エト、ナ】」
「だから、私たちが今やることは死ぬことじゃない。アイツを破壊することよ――
顔を引き攣らせながらも、無理矢理笑みを作ったエトナは光線の先にいる【アラクネア】を見据える。
今まで出会った中でも圧倒的強者の敵。【四ツ眼】と対峙した時は、己を奮い立たせることで気を確かにしていたが、そんな余裕すら与えてくれない。
目にしただけで、爪先から髪の先まで全身の細胞が激しく震えだし、今すぐ逃げようと泣き叫んでいる。
それでも、エトナは沸き立つ恐怖をアッシュへの想いただ一つで押し殺す。
今自分が呆気なく殺されることよりも、アッシュを失うことに比べたらと、愛を勇気に変えていく。
冷たくなるどころか熱さを増していくその硬くなった小さな手。献身が伝わらないわけがない。
「【あぁ、分かった。いつもの様に、二人でやろう……! 僕らで【アラクネア】を破壊するよ!!】」
「その言葉をずっと待ってたわ!!」
重ねた手を思いっきり振り上げ、威力が限りなく減衰した光線を上空へと逸らす。
それを予期していたのか【アラクネア】が二人に向かって飛びかかる。二本の鋭い前脚が命を刈り取ろうとする瞬間、同時に飛び上がって回避。
そこで、異変が起きた。
「【ッ……! おもっ……!】」
「失礼ね! 体重は変わらないわよ!」
「【違う、そうじゃない!! 〈合力〉が解けてる!!】」
エトナの軽口のおかげで、余計な思考を使わなくて済んだことに心の中で感謝しながらも状況は最悪だ。
エトナを傷つけないよう、そっと腕で抱えて宙を跳ねていくアッシュ。触れている以上、〈合力〉が解除されることはないはずなのだが、それに対する回答をエトナは持っていた。
「まぁ、そうなるでしょうね。さっきはお互いの感情が一致してたからなんとか保ってたけど、今のアッシュに私が付いていけるとは思わないもの」
「【あ、そうか……。量と出力――】」
「そういうこと。私の〈魔力〉が〈気力〉に負けてるのよ。元を辿れば、最初からそういうことだったんでしょうね――」
善神〈メテウス〉と邪神【テュフォネ】由来のその力。方向性は違えど、共に『神の力』をアッシュは内包している。それぞれが干渉し合い、【邪気】による〈気力〉の増大が起きてもおかしくない。
二人の〈合力〉の制御が難しかったのはそれが原因であり、通常時でそれだ。アッシュが【隷獣】の力を引き出した今、エトナの僅かな〈魔力量〉と出力では押し流されるだけだ。
――〈魔力〉だけなら。
「けど、そんなの織り込み済みよ。だから、私の全部をアッシュにあげるわ!」
「【なっ!? エトナ、それだけはダメだ! 二人で生きていくんだろ!!?】」
「生きていくから、今を生きるのよ。私は護られるだけの存在じゃないし、アナタの足も引っ張りたくない。アナタを愛して、隣で一緒に戦って生きるためにいるの。そのためなら、なんだってやるわ!」
それは〈気力〉と〈魔力〉、どちらかの釣り合いが取れなくなった時に使用する禁忌の業。イリーナたちから〈合力〉の制御の方法を知り、二人が修練場で試そうとしてしなかった〈生命力〉を代償に〈魔力〉の増大を図る方法を今、ここで使うのだ。
使えば必ず寿命が縮む。それどころか、制御を誤ればこの場で死んでもおかしくない。
だから、アッシュはエトナの覚悟を受け取ったのだ。こんな自分を愛してくれているエトナをこれ以上裏切らないために」
「【分かった、僕と一緒に最後まで戦ってくれエトナ】」
「もちろんよ!」
「【終わったら、一緒に寿命を戻す方法を考えよう。この先もずっと二人で生きていくんだから】」
「未来の楽しみがまた一つできたわね!」
声高々に、幸せになる未来を思い描き、微笑む二人。
その幸せを引き裂く様に【アラクネア】が介入。光線では防がれる可能性があると理解したのか、今度は縦横無尽の【糸槍】を束ね、破城槌の如く射出してくる。
「自分の生徒が奮闘しているっていうのに――」
「大人しく寝ている教師がいるものですか!!」
「「先生!!?」」
簡単な治療を受けたヨハンとマリエラが、放たれた巨大な【糸槍】に向かって雷を纏った四肢を叩き込む。
轟音と共に【糸槍】は砕け散り、教師二人は受け身も取れず地面に不時着した。そこにまた【アラクネア】が串刺しにしようと前脚を振り上げる。
今度はこっちが守る番とエトナとアッシュが庇おうとするが――
「こっちはウチらが耐えておくから!!」
「おまえらはさっさと〈合力〉を使え!」
高速移動を可能とするイリーナとミツキが双剣を振り抜き、前脚の動きを逸らす。
破壊も防御も出来ないが、逸らすことだけなら可能ということを示し、時間稼ぎに勤しむ。さらにはセヴァドスらの反射迎撃も作用し、その間にヨハンとマリエラも復帰した。
「【みんな……】」
「アナタが過ごしてきた時間は、このひと時に負けるほど脆くなかったってことよ」
「【そうだね。この恩を返すまでは、益々死ねなくなっちゃったな――】」
この戦いで初めての空白の時間。それが〈合力〉を発動させる時間を作った。
〈生命力〉を代価に〈魔力〉の増大。力が抜けていき、意識が急激に遠のいていくのを感じながらも、死なない意志をひたすら己にぶつけていく。
彼女を襲うのは〈生命力〉の欠如だけではない。【邪気】そのものの害意性はなくとも、邪神由来の力は体内の中で〈魔力〉とぶつかって暴れている。
身体が少し裂け、血がアッシュにもかかる。それでもアッシュは何も言わずに待っていた。
その信頼がエトナにとってのなによりの生きる糧だった。
「アッシュ、アナタを独りになんかさせないから!!」




