第四十四譜 許さない
【隷獣】は〈合力〉じゃなければ破壊出来ない、この生存戦争の大前提。一人だけでは勝ち切ることは出来ないようになっているのだ。
それを自覚した時、禍々しく変貌したその手が空を握る。いつもだったらあり得ない、なんの重みもない虚無な軽さ。そこで生まれてしまった寂しさや自分から手を離した後悔が、一瞬だけ脳内を埋め尽くす。
そんな一瞬の思考のブレを許してくれるほど、【六ツ眼】は甘くない。
「【ッ……!!】」
攻撃を察知することも叶わず、【邪気】の宿る強靭な糸がアッシュの外殻に突き刺さり、そのまま勢いよく吹き飛ばされていく。
地面に何度も身体をぶつけ、建物を崩壊させる勢いで突っ込むと、アッシュは仮面の内側で血反吐を吐いた。
アッシュは【隷獣】の力を使えるとはいえ、その身体は人間ベース。少なからず【邪気】は通ってしまう。備えなしで正面からまともにくらえば、鎧を通されるように中身に攻撃が届いてしまったのだ。
【邪気】と〈気力〉の掛け合わせによる出力でどうにか戦いを誤魔化していたが、ここらが限界。
アッシュでは、【隷獣】は倒し切れない。
「【それでも、コイツを野放しにするわけにはいかないんだ】」
【アラクネア】を自由にすれば、エトナが死ぬ。それだけは絶対に避ける為に、アッシュは決して倒せない敵に立ち向かうのだ。
そこに希望も展望もない。
誰かを傷つけることしか出来ないこの手では、手を繋ぐことは出来ないのだから。
*
「――エトナ! これ、何が起こってるのよ!」
「マリューたちが重症。【六ツ眼】が現れたって聞いたからスッ飛んできたが、これはどういう状況だ? どうして【隷獣】同士が戦っている?」
ミツキとイリーナが項垂れているエトナのもとへ到着。彼らも必死に戦い続けているのか既に体はボロボロだが、戦う意志は衰えていない。
それでも混沌とした目の前の光景には足を止めざるを得なかった。
【隷獣】同士の戦い、【邪気】の濃さと精神汚染によって発狂し倒れ伏す周りの〈執火官〉たち。
ミツキたちも気を抜いたら膝を折ってしまう様なこの状況下で、ミツキが気付いた。
「この感じたことのある嫌悪感……。もしかして、【アラクネア】と戦ってるの――アッシュか?」
「ッ!!」
確信を持って放たれた回答に、エトナの体がビクつく。それが答え。イリーナは驚愕の目を浮かべて問い詰める。
「待って待って! おかしいでしょ! エトナじゃなくてアッシュが【隷獣】!? どういうことよ!?」
「さぁ? そこはちゃんと聞かないことには分からないな。でも、今考えるべきはそこじゃない。あの【アラクネア】をどうするか、だ。ハッキリ言って、ここにいる人たちじゃあアレは倒せないぞ」
唯一の倒せる見込みがあったのはヨハンとマリエラだったが、彼らが倒れた以上それも叶わない。
更に言えば、他の人たちが参戦しようとしても、力足りない彼らじゃ【アラクネア】と【アッシュ】による精神汚染によって崩れ落ちるだけだった。
エトナ達が【アッシュ】を見ていられるのは、かつて微弱ながらも流れていたその気配に慣れているからだ。
「アッシュに自我があってまだ人間側として戦っているんだとしても、それはそれで問題は解決しない。【隷獣】を破壊するには圧倒的な膂力か〈合力〉が必要で、そのどちらもアッシュにはない。持久戦っていう手もなくはないけど――」
と、そこでミツキとイリーナは向けられた意志に気づく。
言葉を止め、意志の送り先を見ると、外殻が剥がれ血だらけのアッシュがチラリとこちらを見ていた。
次にエトナを見る。それだけでなにを言いたいのか分かり、ミツキ達は嘆息する。
「ったく、この状況でもエトナ第一か」
「アッシュらしいといえばらしいけどね。おかげで少し落ち着いたわ。仕方ないから、付き合ってあげるわよ。貸し一よ――」
――エトナを守ってくれ。
言外に告げられたその意志を正しく受け取り、ミツキたちは周りに群がってきた【レプリカント】や【マスティカ】を双剣で一掃する。
高位の【隷獣】による圧迫感は消えていない。顔を歪ませざるを得ない生理的嫌悪感も健在だ。アッシュだからこその耐性があるとはいえ、本能に刻まれたその反応に抗うことは出来ない。
つまり、いつものことだ。アッシュへの嫌悪も、アッシュの『エトナ主義』もこの十年間となにも変わらない。
そのアッシュの分かりやすい心が、二人の心に余裕を持たせた。
ミツキ達が俯くエトナに再び寄り添う。
「おいエトナ。今でもあの馬鹿は、おまえの事を想ってるぞ。なのにお前はこんなとこで腐ってて良いのか?」
「そうよ。アッシュが【隷獣】だったのは裏切り行為に等しいしムカつくことだし、手を離されたことは悲しいかもしれないけど、あんたへの愛は――」
「勝手なこと言わないで!!!」
二人の叱咤を吹き飛ばすが如く、エトナが怒りの叫びを響かせる。けれど、その矛先はミツキ達ではなくアッシュだった。
手を離されてからエトナの意識と眼にはずっとアッシュしか映っていなかった。
「悲しい? えぇ、そうよ悲しいわ。けどね、私はそれ以上に怒ってるの。私への愛? 分かってるわよ、そんなこと。何年、一緒にいたと思ってるの……!」
――僕は君を愛している。
離れる直前の愛の囁き。穏やかな日常で、なんてことない日々の中で言われていたならエトナも嬉しかっただろう。けれど、最後にアッシュが浮かべた笑顔は、取り繕ったような嘘の顔。
およそ十年間、親の顔よりも隣でアッシュの顔を見続けてきたが、泣いている顔を見るのは初めてだった。
「あんな顔で言われても嬉しくないし、一方的に想いを告げられても寂しいだけなのよ……!」
アッシュと過ごしてきたこれまでの思い出が鮮明に蘇る。
何年経とうとも決して消えることのない心の傷。それをアッシュは優しく覆い隠してくれていた。
エトナがどれだけ悪意に晒されようと、どれだけ憎悪の視線を浴びようと、常に傍にいて『独り』じゃないこと教えてくれた。
初めて出会った時も、一緒に授業を受けた時も、一緒に競い合ったことも、一緒にご飯を食べた時も、〈契り〉を結んだ時も、一緒に訓練したことも、そしてお互いに愛を誓い合ったことも。
エトナはアッシュで出来ている。そう認識してもおかしくない程に、アッシュはエトナにとっての全てだった。
「嘘? 裏切り者? 知らないわよそんなこと……! アナタがそうだったとしても、私と歩んできた道のりは嘘じゃないでしょ!」
アッシュがいたことで救われた事実は変わらない。
隠れ蓑にしたと言っていたが、本当に隠れ蓑にするなら憎まれ者のエトナに話しかけ、助ける必要なんて微塵もない。むしろ、|アッシュ【隷獣】の特性を考えれば、悪目立ちして正体が気づかれるリスクが上がるだけだ。
なのに、アッシュはエトナの隣にいることを選んだ。選んでくれたのだ。
意気消沈どころか、前だけを見据えるエトナ。怒り、あるいはもはや憎しみすら感じさせる強い視線をアッシュの背中にぶつける。
「許さない――」
ミツキとイリーナの制止も無視。露払いは任せたと言わんばかりに、エトナは勢いよく駆け出す。
「私から離れるなんて絶対に許さないんだから!」




