第四十三譜 あの日見た輝きを
――〇〇〇〇・〇〇〇〇〇〇はレイシアという母から産まれた人間である。そして、そんな彼女もまた人間だった。
幼い頃からごく平凡な人生を歩み、同じ様なパートナーを迎え、誰の記憶にも残らない凡人極まる〈執火官〉として活動。【第七次赫醒戦】、死にかけになったところを当時の〈道導〉によって助けられた普通の〈執火官〉だった
違うことはそう。死にかけになった時に、【寄生型】にその身を侵されたことくらいだ。
未来――乗っ取られたハスタの様に本人すら気付いていない体内の中で、【寄生型】は【テュフォネ】により与えられた任務を実行していた。
「――【中から人類を滅亡させろ】」
【隷獣】にとって面倒なのは人類の強固な絆。それをどうにかしない限り自分達が滅ぼされる可能性があるとして、その絆を分裂を図るための工作。だが、【寄生型】には三つの誤算があった。
一つは、宿主が何の力も持たない平凡な市民同然の存在だったこと。それに気付いた時、【隷獣】の特性たる人類滅亡指針が悪辣な方向へと動いた。
【寄生型】は胎内にいる子供に少量ずつ自らの【邪気】と【命令】を注入。それによって人間としての知恵を獲得したまま【テュフォネ】の力によって高い地位を得られやすくしたのだ。寄生による傀儡ではなく、あくまで人間ベースの【隷獣】として人間社会に溶け込ませるために。
そしてそれがアダとなった二つ目の誤算。【邪気】の注入によって人としての成長が遅れに遅れた結果、子供の存在に気付かずレイシアが〈外界〉に出て、死んでしまったことだ。
せめてもの――と、【寄生型】は赤子を【テュフォネ】に捧げるべく、レイシアの死体を操り、【シギラム山】へと歩き出す。その道中、死体が使い物にならなくなったことで、【寄生型】は最後の力を振り絞りレイシアの腹を内側から破壊。
外に出された〇〇○○だったが、【寄生型】の意志を【邪気】の流れを読み取った【テュフォネ】が〇〇○○へと更に【邪気】を注入。その時に〈外界〉にも、適応し〈道導〉によって拾われたのである。
「(はじめからずっと、自覚はあった)」
【アラクネア】の巨槍の如く鋭く太い脚が乱雑に降り注ぐ中、アッシュは軽快に回避。同時に裏拳を叩き込み、【アラクネア】の巨体をぐらつかせる。
金属が擦れ合う様な不快な音を響かせながら、アッシュはいつも脳内に鳴り響いている命令に少しだけ意識を傾けた。
「【人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ、人類を滅ぼせ――】」
【寄生型】と【テュフォネ】にとって運が良かったのは元の計画を再開できそうにあったこと。孤児院に拾われようが関係ない。人類社会の中に入ってしまえばこちらのものだった。
十六年間、一秒も欠かさず聞かされていたこの命令。常人であれば気が狂ってしまうか、洗脳状態にされるかの二択だろう。事実、物心つくまで〇〇○○の人生の指針は命令の受諾に傾いていた。
【隷獣】にとって不運であり最大の誤算だったのは、その孤児院に『人間として』をひたすらに教え込み、【邪気】を封じる術を持ったお人好しがいたこと。
そして、〈典火院〉にて魂が焼き付いてしまいそうなほどの輝きと出会ってしまったことだった。
「(なんだってこんな時にあの時のことを思い出しちゃうかな。辛くなるだけなのに……。手を離した僕に、これを思い出す資格なんかないでしょ……)」
弾く、弾く、弾く。硬質な音が響き渡るのは、アッシュが単独で【アラクネア】の攻撃を生身で完璧に防ぎ切っているからだ。そんなことが出来てしまう自分の異常性に自嘲し、変わりゆく自分を正当化しようとエトナとの思い出を抑え込もうとする。
けれど、あの日からずっと見てきた輝きはそれを許してはくれなかった。
胸を鋭い爪で掻きむしりたくなる衝動を、【アラクネア】へと思いっきりぶつける。
弾ける火花。絶望に満ちたこの状況に似つかわしくない燦然とした灯りを見て、湧き上がる郷愁の荒波が遂にその堰を壊した。
一瞬で脳内を駆け巡るエトナとの日々。
最初に目にした瞬間、『生』にしがみつき、どれだけ苦境に立たされても諦めず『前を向き続ける』気高い心。
「(あぁ……そうさ……! 忘れる事なんてできない、抑え込む事なんて出来ない……! だってあの瞬間から、僕は人間の尊さを知ったんだから……!!)」
あの日見たエトナの輝きによって【邪気】が吹き飛ばされたのではと勘違いするほどに、アッシュの中では優先度が入れ替わっていた。
アッシュ――と愛しい人の柔らかく温かな声で名を呼んでくれる、ただそれだけのことで〇〇〇〇は本当の意味で『アッシュ』に成れたのだ。
その瞬間から【テュフォネ】よりも人類滅亡の命令よりも、愛する人の為に、そしてエトナを愛したい自分の為に、アッシュは抗うことを決めたのだ。
燃え滾るような心が物理的な力となって、【アラクネア】を思いっきり蹴り飛ばす。
誰もいない建物を破壊し、重みで動けなくなっている【アラクネア】を通し、その先にいる【テュフォネ】に向かってアッシュは決別の意を示す。
「【そう、僕の運命はもう人を滅ぼすことじゃない。だって、仕方ないじゃないか。このどうしようもない、人を醜いものだとして刷り込まれた僕の前に、それを覆す輝く人が現れたんだから】」
異形と化したその手で、アッシュは心に手を当てる。大事なものをこぼさないように、しっかりと、その奥にある温もりを確かに感じながら。
「【どれだけ人から悪意を向けられても、どれだけ人から憎悪を向けられても、一際輝く光の美しさ。懸命に、どれだけ今を絶望しても最後には絶対に前を向く彼女の尊さを君は知らないんだ】」
まるで【テュフォネ】を哀れむようにアッシュは言い放つ。
エトナを知ったことで、さらに人を見る目が変わったアッシュ。彼がその瞳に映していた光景は誰もが『諦めていなかった』。
輝きは全人類が持つ。そのことを自覚した時、アッシュはもう人を滅ぼす事なんて微塵も考えなくなっていた。
人として在るようになれたのだ。そう成れたことのエトナへの感謝は尽きない。
「【目に焼き付いて離れない彼女の輝き。エトナを失うくらいなら僕はいくらでも正体を晒そう。エトナに恐れられても、失望されたとしても、彼女が歩む道は僕が切り拓きたい。だから、お前は邪魔だ。僕はお前たちの味方にはならないよ――】」
瓦礫を吹き飛ばしながら高々に跳躍する【アラクネア】。それよりも上にいたアッシュが、両手の爪に【邪気】と〈気力〉を込める。
白光と紫光が混ざり合い高密度で放たれた十の『剣光』が、ヨハン・マリエラへのお返しと言わんばかりに【アラクネア】を地面へと堕とす。
〈アルカ〉に轟く衝撃音がその威力を物語っていた。
それでも――
「【ッ……!!】」
地中に埋もれた【アラクネア】は無傷のまま、禍々しい光線を宙にいるアッシュへと放つ。
空気をも焼く熱量に対し、【〈力〉】を纏った腕を交差することでなんとか防ぐも、強烈な衝撃だけは防げない。
今にも砕けそうな腕を守るべく、出来るだけの力を腕に集中させ、内側から外に向かって腕を広げることで光線を弾く。
その瞬間、【アラクネア】の強靭な【糸】が広がった両腕を貫き、そのままアッシュは勢いよく地面へと叩きつけられた。
硬い外殻がなければ、体も残っていなかったであろうその威力。
改めてアッシュは【隷獣】の理不尽さを実感する。【ポルタ・カデラ】が例外なだけで、本来はこうなのだ。
「【……やっぱり、〈合力〉じゃないと壊せないか】」




