第三十二譜 『愛』は平等の力
「ふぅぅぅぅぅ……」
「なんとか……生き残れたわね……。って、そうだアッシュ……! 怪我、怪我! 早く治療しないと!!」
「っと、そうだった。はい、エトナ」
「ありがとう――ってそうじゃない! まずは、アナタの腕からでしょ!!」
満身創痍。全身傷だらけ。白を基調とした戦闘衣と外套は血に染まっている。
それでも二人は生きていて、これからも生きるのだ。
エトナがガントレットの破片を抜き、腰にあるポーチから細いガラス管に入った〈聖薬〉を抉れたアッシュの腕に振りかけ、〈聖薬〉が染み込んだ治癒効果のある包帯を巻いていく。
痕が残る痛々しい傷に、エトナは顔をしかめる。こんな傷を与えたのは自分のせいだと、後悔が尽きない。
「はいはい、そんな顔しないの」
「はっへ……」
むにゅっとアッシュがエトナの頬を掴んで、彼女の後悔を和らげようとする。
「『だって』も、何もない。あの状況じゃ、どっちが狂ってもおかしくなかったんだ。戦場で『ごめん』は言いっこなしだよ」
「ごめ――」
「エトナ」
また謝りそうになったところを、ピシャリ。しかしその声色はいつもより温かい。冷たくなりそうだった心が満たされ、自然と笑みが溢れた。
「ありがとうアッシュ。私を守ってくれて」
「どういたしまして。それから、こちらこそ――だよ。さ、ほら次はエトナの番だ。〈聖薬〉飲んで飲んで。まだしんどいでしょ」
「少しだけ、ね」
アッシュが〈聖薬〉をエトナの口元に差し出し、それをエトナが飲み干す。〈聖薬〉は傷や【邪気】を祓うだけじゃない。精神汚染をも回復させる効果がある。
その効果は【隷獣】の階級から採取される血に応じて変わるが、この〈聖薬〉もヨハンから渡されたモノ。念の為にと用意された【三ツ眼】由来の〈聖薬〉が功を奏し、震えていた体が緩やかに止まっていく。
「うん、もう大丈夫。血も、これで塞がった。いつでも戦えるわ」
「よし。けど、その前にまずは状況の整理だ。なんとか【ヴェスパー】は倒せたとはいえ、他の【三ツ眼】がいないとも限らない。一旦、みんなと合流して――」
手をしっかりと絡め、離れないようにして歩き出そうとしたその瞬間。『何か』が勢いよく飛んできて、二人の目の前にソレが落ちた。
「今度は何!?」
言ったそばから、と即座に戦闘態勢に移る。
が、冷静に落ちてきた《《者》》を見て、二人はすぐさま駆け寄った。
「ミィシャ!?」
「なんて、酷い……。というか、こんなところまで吹き飛ばされたのか……!?」
砂埃が晴れると、そこにいたのは無事なところが見当たらない意識を失ったボロボロのミィシャだった。
〈合力〉はかろうじて発動しているのか、呼吸はどうにか出来ている。
ただ、各種装備は血に染まり、全身がズタズタに切り裂かれていた。耳の一部も切り取られ、横腹には指二本分くらいの穴が空いている。落下の衝撃か、あるいは敵の攻撃か、左腕は折れ曲がっていた。確実に無事と言えるのは武器の長杖を握りしめる右腕くらいだが、その杖も三分の一程度に短くなっている。
きっと、どうにか心臓だけは守ったのだろう。パラパラとこぼれ落ちる杖の破片が、その激しさを物語っている。
なにより、ミィシャたちがいたのはエトナたちの反対側だ。少なくとも目視できる距離にはいない。
そんな場所からのここ、だ。現No.1の実力者ペアであるはずのミィシャの変わり果てた姿を見て、エトナは全身が冷たくなっていくような感覚になった。
「息はまだある! エトナ! とにかく今は治療だ!! ありったけの〈聖薬〉と包帯を! それから【エティン】の破片も持ってくるよ! あの大きさなら添え木の代わりになるはずだ!」
「わ、分かった……!」
ミィシャのポーチは潰れて、中身もぐしゃぐしゃになっている。二人は自分達の残りの回復道具をありったけミィシャに使う。
か細い息を吐く口に〈聖薬〉が流し込まれ、反射的にミィシャはそれを飲み下す。肋骨も折れているのか途中で顔を痛みで歪ませるが、〈聖薬〉の効果がすぐに痛みを和らげた。
息が少しずつ整い始める。
「はぁ……はぁ……。あぐっ……。だ……れ……?」
「僕――アッシュとエトナだ。良かった、意識が戻った!」
「ミィシャ、私たちが分かる!?」
「えと、な……? じゃあ、ここ……は」
痛みを堪えながら苦しげに瞼を開こうとする。ミィシャ自身もどうして、ここにいるのか分かっていないのだろう。
困惑するミィシャだが、状況は逼迫している。申し訳なさそうにアッシュが尋ねた。
「ごめんよ、ミィシャ。混乱してるだろうけど今はどうしてキミがそうなったのかを端的に教えてくれ」
「わたし……たちは、そうパン、テーラに遭って……」
「【パンテーラ】!? それじゃあアナタ達も【三ツ眼】と戦ったの!? それでこんな――」
「……いや、多分違う」
予想通りなら、と極寒の地に放り込まれたかの様に表情を固くしたアッシュが言う。
「【パンテーラ】は確かに【三ツ眼】の中でも一番強い部類だけど、基本的な体型は【レプリカント】の上位互換だ。戦闘スタイルが似ている【隷獣】相手に、ハスタたちが遅れを取るとは思えない」
「じゃ、じゃあなにがあったっていうの……!」
「察することは出来るけど、考えたくないことだねこれは……。――ミィシャ、教えてくれ。キミ達が戦ったのは【パンテーラ】だけじゃないはずだ」
「わたし達が……戦ったのは――」
確信を持って言うアッシュに、ここに飛ばされる前の記憶を思い出そうとする。
それが、最悪のトリガーを引いた。
「あ、あ、あ……」
「ミィシャ……?」
「い、いや……! あ、あの音が……! あぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛」
絶叫。
〈第二区画〉全域にも広がりそうなほどの、金切り声がミィシャから発せられる。喉が裂けても叫び続け、見開いた目からは血が流れ出す。
発狂状態に陥っていた。
「んなっ……! 発狂……!? そんな、〈聖薬〉は飲ませたはずよ!? 精神汚染の浄火は……」
「最悪だ……」
アッシュがギリッと歯を噛む。
「手持ちの〈聖薬〉でも精神汚染が治らないってことは、つまり【三ツ眼】以上の【隷獣】がいるってことだ……」
「そんな!? 【三ツ眼】以上なんて、今の私たちには手に負えないわよ!」
どうにか片手でミィシャを抱き、自分がやってもらったようにミィシャに胸の鼓動を聞かせるエトナだが、効果は薄い。
それどころか敵の予想で跳ね上がった鼓動がミィシャを更に恐慌に陥らせた。
「だからって、このまま放置するわけにはいかない。ここにミィシャだけがいるってことは、ハスタはまだ一人で戦ってるはずだ」
「ッ……! そうね、ハスタがそう簡単に死ぬとは思わないわ」
ハスタが死んでいる可能性は考えない。色々と『攻撃』されてきた二人だが、その実力は信頼し敬意も払っている。
仲間が戦っている。これを見過ごして、〈英雄〉にはなれない。
エトナの鼓動が落ち着きを取り戻し、二人はミィシャが飛んできた方向を見据える。
戦場は次の舞台へ。
「じゃあ、間に合わないかもしれないけど一応ミツキたちにも連絡を取っておこうか。エトナ、ミィシャにまた〈聖薬〉を飲ませておいて」
「分かったわ」
手を繋いだまま、それぞれの作業を迅速に行う。
アッシュはポーチから出した細長い板を取り出し、自分の血を付着させて指で軽く弾く。
これは〈コーラー〉と呼ばれる連絡道具だ。同じ素材の聖鉱石同士なら、血を付着させることであらかじめ付着させた者との遠くにいる者との連絡を可能とするのだ。
〈第二区画〉に入る前にヨハンから渡され、ここにいる全員分の血は付着済みである。
とはいえ、問答している時間はない。一方的に戦場を変えることをアッシュが告げながら、エトナはミィシャの治療に専念した。
「ほら、最後の〈聖薬〉よ。これ飲んだら、多分はマシになるだろうから自分の足でセヴァドス様のところへ行くのよ。大丈夫、ここらの【隷獣】はあらかた倒して――」
「い、や……! わ、たしも……、ハスタのところに連れてって……」
「ミィシャ、でもアナタは……」
「だい、丈夫……! ちょっと動くようになってきたし、なによりわたしは……大事なハスタのパートナーだから……!!」
エトナの決意を感じさせる緩やかな音がミィシャも落ち着かせたのか、〈聖薬〉を飲ませる前に彼女の心が戻りつつあった。
炎が宿ったような、猛々しく滾るミィシャの眼差し。傷も癒えていなければ、精神汚染も残っている。
それでも、諦めていない。ハスタを想う気持ちはなによりも大きい。呼応して〈合力〉の出力が上がる。
遠く離れていてもそうなるだけの『愛の深さ』を見て、動かないエトナ達じゃなかった。
「分かった、ミィシャも連れていこう。エトナ、悪いけど……」
「えぇ、彼女は私が背負うわ。アッシュは着くまでに右腕をちゃんと使える様にしておいて。それから一緒に『借り』を返しましょう」
「あぁ。ハスタ達には散々、世話になったからね。いい加減返さないと目覚めが悪いや」
軽口を言えるだけの余裕が生まれ、二人と一人は確かな足取りで戦場を駆けていく。
この先に待ち受けるのは、想像も出来ない地獄の入り口。だが、エトナ達は臆することなく前へ前へと進んでいくのだった。




