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第三十一譜 【ヴェスパー】

「うぐっ……!」

「アッシュ!? 大丈夫!?」

「大…丈夫。予想外の痛みで驚いただけ……。問題ない、動けるよ」


 眼前で痛みを堪えるアッシュに血相を変えるエトナ。彼女たちが着ている戦闘衣と外套は聖鉱石の粒子を編み込んで作られた、あらゆる攻撃耐性を持つ『鎧』だ。そこに〈合力〉そのもの放出や身体強化の特性を重ねれば防御面は磐石。

 無防備なところに正面から本気の一撃を食らうならまだしも、『ついで』の様な攻撃にもなっていないモノで痛みを感じることは一度もなかった。

 エトナがアッシュを支え、警戒しながら立ち上がる。今までにない緊張感が否応なく二人の集中力を上げていく。

 砂埃が晴れる。

 ――さぁ、来るぞ。敵はなんだ、と身構えながらそこを見ると、鋭い嘴のようなモノがある体長20cmくらいの飛行体が、空中に待機していた。


「……【ヒュッケバイン】? にしては、やけに体が小さいような……」

「いや、【ヒュッケバイン】じゃない! ()()()が違う!!」


 エトナが目を細めて見据えるその飛行体の正体に、アッシュが気付きエトナの手を引っ張って回転。

 予備動作なく、0→100の超高速で目に映らぬ移動攻撃を仕掛ける飛行体。嘴はそのまま武器となり、空気に穴を開けてエトナの腕を切り裂いた。


「あぐっ……!」


 直撃していたら、エトナの胴体にも穴が空いていただろう。

 そのことを自覚し、痛みで(しか)めっ面になるエトナの顔が更に強張る。すれ違いざま、小さな【隷獣】の顔に見えたのは《《三つの赤い点》》だった。


「ッ……! 嘘、でしょ……! あれ、【三ツ眼(トレス)】……!?」

「あぁ……。あれは【ヴェスパー】だ……。ったく、とんでもないモノが出てきちゃったね」


 歯が砕けそうなほど噛み締めるアッシュ。先程までにあった余裕はもうない。

 たった一つの目の違いだが、【隷獣】にとってその一つの差があまりにも大きい。【二ツ眼(デュオ)】の動きを全て見切っていた二人が、【三ツ眼(トレス)】の攻撃にはほとんど対処できていないのがその証拠だ。

 二人だから――〈英雄候補〉だから躱せただけで、ここに〈18歳組〉以下がいれば、近づく前に死んでいるだろう。

 紫の面積が多い銀灰色の体色に、薄い二枚の羽を人には見えない速度で動かし、自らの体を武器として超高速で人体を貫く【ヴェスパー】。

 【隷獣】の中で最も小さい体長だが、何人もの新人〈執火官〉の心臓を奪ってきた人類の脅威の一つだ。


「「右!!!」」


 得意とする感知能力を全開にし、空気の流れすらも読み取って二人は【ヴェスパー】の攻撃を躱す。

 だが、【ヴェスパー】は止まらない。砂塵を巻き上げながら、【ヴェスパー】は何度も何度も二人に襲い掛かる。


「はっはっはっ……!」

「……これは、ちょっとマズいかもね。エトナ――」

「……分かっ、てる。……手間取るわけには、いかないってことよね」

「エトナ? どうした――」


 はぁはぁ、と呼吸を荒くする青褪めたエトナの表情を見て、アッシュがほぞを噛んだ様に顔を歪める。

 アッシュの胴体には鈍い疼痛(とうつう)が走っているからか、意識が良い具合に散らせていたので気付かなかった。

 エトナの今にも吐き出しそうな苦悶の表情は、【隷獣】の特性によるもの。【精神汚染】だ。全身を縛り付けるような生理的嫌悪・生理的恐怖がエトナを襲っていた。

 その隙を【ヴェスパー】は見逃さない。


「うぐぅぅぅ……!!」


 何物も貫く超高速の矢が二人に強襲。それよりも早く動きを感知したアッシュが、震えるエトナを抱きとめ、右手を盾として目の前に差し出した。

 甲高い金属音と破砕音がエトナの耳に飛び込んでくる。そのまま、生暖かいモノが頬に付着。

 顔を上げると、アッシュの右手甲から肩まで肉が抉れていた。 


「アッ、シュ……!!」

「大、丈夫。問題ない……! それよりも、()()のはこっち……!!」


 肌どころか、肉も剥き出しになった腕が外気に触れ、アッシュの顔が痛みで歪む。

 けれど、それに構う暇はない。エトナの頭も抱え、鼓動の音を聞かせる。


「――あ」


 愛する人の鼓動。生きている証。耳の奥に残っていた不快な音が上書きされていく。

 それと同時に、絶対にこの音を消してたまるかという想いが芽生え、【三ツ眼(トレス)】による精神汚染を焼却した。

 恐怖が消え、力の抜けたエトナに身を委ねる。矢継ぎ早に繰り出される攻撃をエトナがリードすることによって少しずつ凌いでいった。


「さっすが。言わなくてもやりたいことが分かってる」

「ごめん、アッシュ! 面倒、かけた!」

「いいよ、お互い様だ。それよりも、今は【ヴェスパー】に集中しよう。【三ツ眼(トレス)】が出現するのは〈第三区画〉から。それがここにいるってことは、戦線が抜かれつつあるってことだ」

「うん、分かってる。これ以上、進めたらダメってことよね。たとえ、何が起こっても――」


 静かに息を整えるエトナ。彼女が見据える先には、()()()()()()【ヴェスパー】がいた。

 小さな個体の、たった一体で二人の体はボロボロ。それが【三ツ眼】の強さであり、ここで二人が死んだとしても言い訳は出来るだろう。

 だが、そんな言い訳は二人が許さない。


「ここで死んだら、やっぱりアイツらは――ってどうせ言われるわよね」

「だろうね。相手が【三ツ眼】だろうと、そこは見て見ぬ振りすると思う。で、いつしか人の記憶から消えるね」

「消える、か。じゃあ、死ぬ訳にはいかないわね。だって私は、アッシュと一緒に私という存在をみんなに刻むんだから!!」


 高々に決意の覚悟を示し、頬に笑みを浮かべて心の余裕を保つ。

 ここから言葉は不要。繋いでいる手の力も緩めながら、二人は集中力を一秒ごとに高めていく。


「「――――」」


 こちらを確実に仕留めるつもりなのか、三体の【ヴェスパー】は二人を囲うように動いていく。

 その死の前触れという時間が今の二人にとってはありがたかった。

 この【ヴェスパー】にも連携の意志はない。けれど、どうすれば簡単に人体に穴を開けられるのか知っているように、三体の【ヴェスパー】は三角を描くように逃げ場なく順に向かってくる。

 【エティン】とは違って攻撃の隙間はかなり広いが、その速度と回避のしにくさが二人にいくつもの傷を負わせていく。

 数秒後。武具を纏っているところ以外はもう、二人の全身は血みどろになっていた。


 ――まだ生きている。


 生にしがみつく二人だが、極度の緊張感と酷使し続けた眼の動きで【ヴェスパー】の超高速攻撃はもう見抜けない。

 二人は瞼を閉じ、全神経・全集中のリソースを【ヴェスパー】という存在の知覚に専念する。

 常時展開されている砂嵐の音が、段々と遠くなる。

 聞こえてくる、微かな羽根の音。移動を始める空気の揺らぎ。【隷獣】の本能というべき殺気。濃度の濃い【邪気】。

 それら一つ一つを見極めると、遂に二人は【ヴェスパー】の攻撃を完璧に躱す。

 二度、三度、四度。【ヴェスパー】が攻撃意志を持った瞬間に、ゆらりと体を動かし、『道』を開ける。直線しか動けない【ヴェスパー】の弱点だ。


「エトナ/アッシュ」


 もう問題ない(理解した)、と静かな思考で見極めた二人が同時に瞼を開く。赤い瞳と青灰瞳。対をなす色の眼は今、同じように爛々と輝いて見えた。

 その目には【ヴェスパー】は映っていない。だが――


 ――そこにいる。


 三方向からの同時攻撃。上に飛ぶ時間もなく、逃げ道はない。

 ただ、同時攻撃そのものへの対処は『訓練(資格テスト)』の時に身に付けているのだ。


「「はぁ!!」」


 繋いでいた手を離し、その場で二人はそれぞれ回転。迫る【ヴェスパー】を〈合力〉を纏わせた裏拳で粉砕。

 勢いは止まらず、捻るような形で再びその手を掴む。

 繋がれた二人の拳の前には最後の【ヴェスパー】が。


「「ゼロ距離〈閃光〉」」


 白光を纏う二人の絆の結晶。【ヴェスパー】が繋ぐ手を粉砕する前に、放たれた〈合力〉が【ヴェスパー】を消滅させたのだった。

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