第二十六譜 家族になろう
私営の孤児院であり、アッシュ一人だけということもあって〈ヴェンタス〉自体はさほど大きくない。多少周りの建物よりかは上に高いだけで、広さは四人暮らしでも丁度良い具合だった。
〈アーデンス〉にいた頃は、何人もの子供がはしゃぎ回っても問題ないほど広く、全員で食事を摂る大広間は常に賑わっていた。
けれど、エトナにとっては〈ヴェンタス〉での食事の時間の方が、何倍も美味しく……そして楽しく感じられていた。
――あの頃は、さっさと一人になりたくて仕方なかった。
「うわぁすっごく良い香り……! こんな美味しそうなハンバーグ初めて見たわ……!」
「ふふーん! でしょう! オルガの作るハンバーグはもう、ぜっぴんなんだから! 楽しみにしてなさいよ!」
「なーんでユズハが威張ってるの?」
「わたしも手伝ったからよ! アッシュとは違ってね! ねっ、オルガ!」
「ふふっ、そうね。いつもより綺麗な形に出来たのはユズハちゃんのおかげよ。ありがとう」
「むふーっ!!」
にこやかな笑顔でオルガから褒められ、ユズハが小さい体でこれでもかと胸を張る。花が咲いたように顔が綻び、煮込みハンバーグを運ぶ足取りが弾んでいた。
その様子を楽しそうに見ながら、エトナは自分が運ぶミネストローネに視線を落とす。
「嫌いなものでも入ってた?」
「ううん、そうじゃなくて。アッシュがそうだから、分かってはいたんだけど、オルガさんってやっぱり優しい人なんだなって。このスープを見て思ったの」
「スープで?」
「うん。この具材、細かく刻まれてるでしょ。片腕で切るだけでも大変なのに、ユズハちゃんの口の大きさに合わせて食べやすいようにしてあるの。些細なことかもしれないけど、これが出来る人ってそういないと思うわ」
――少なくとも〈アーデンス〉にいた頃はそんなことはなかった。というより、そうだったかもしれないが、エトナが食べていたのはいつも『全員』が取り終わった後の残り物。
料理に込められた意味なんて考えたことなかった。
と、そこでアッシュがオルガに似た笑みをエトナに向ける。
「ふふっ」
「どうしたの?」
「んーん、それに気付けるエトナも十分優しい心を持ってるって思ってね。そういうところ、好きだよ」
「ッ……! も、もう!! きゅ、急にはやめて……! オルガさんにユズハもいるんだから……!」
「じゃ、後でね」
「〜〜〜〜〜!」
「二人とも、何してるのー! 早く席につきなさーい!!」
ユズハが手を振りながら、エトナたちを呼ぶ。
エトナは真っ赤になった顔を冷ましたいが、両手が塞がっているせいで、それが出来ない。嬉しさを隠そうとして変になった顔をユズハに揶揄われてしまった。
そのまま、会話を弾ませながら三人は席に着く。
「みんな運んでくれてありがとうね」
「お婆ちゃんたちが作ってくれたんだからこれくらいはね」
「そーそ! アッシュなんて、こき使えっちゃえばいいの!」
「ユズハがそういうのはアレだけど、まぁその意見には同意。僕のことくらいは全然使っちゃっていいから」
それから四人は晩御飯に意識を向ける。
「エトナ。面倒かもしれないけど、食べる前に一ついい?」
「え、うん」
「ありがとう。実は〈ヴェンタス〉には食事の時の決まり事があってね。ここで食べる時は全員が手を繋いで、『作ってくれた』人への感謝をするんだ。だから――」
んっと、アッシュとユズハが手を伸ばすと、エトナは恐る恐る手を繋ぐ。手から伝わる大きな温もりと小さな温もり。
思わず顔が綻ぶ。
その様子を優しくオルガが見守ると、彼女もユズハと手を繋ぎ、アッシュは『手があるのと同じ』仕草でオルガの『手』を取る。
全員が瞼を閉じ――
「この世の遍く食材、作って下さった方々へ心からの感謝を。――いただきます」
「「「いただきます」」」
感謝を言い終わり、三人が食べるのを待ってからエトナが食べる。
その間、隣に座るアッシュが子供っぽい笑顔を浮かべながらハンバーグを食べているのを見て、エトナが小さな驚きと一緒に楽しくなっていた。
「(アッシュも、こんな顔になるんだ。ハンバーグが好きなのかな、今度作ってあげよう」
そんなことを思いながら、エトナは気遣いの詰まったスープを一口。
舌を通り、胸を通り、落ちていく温もり。
ほう……と小さく息をこぼすと――
「あー! エトナおねぇちゃん、泣いてる!!」
「え……」
「エトナ?」
自分でも気づいていなかったのだろう。右目から流れた一筋の涙を拭う。指先に付いた一雫。それがなんだか、エトナの胸をキュッとさせポロポロと涙が溢れていく。
「エトナおねえちゃん、なきむしさん?」
「ご、ごめん……! な、なんでだろう……。こんなこと……! ご、ごめんなさいオルガさん……! お邪魔したのに、こんな楽しい雰囲気を壊して……!」
涙を流すエトナの背をアッシュがさするが、エトナの涙は止まらない。だから、自分がまた『間違った』と思うエトナの心は申し訳なさでいっぱいだった。
けれど、その悲しみをオルガが慈愛の笑みを浮かべながら掬い上げる。
「大丈夫よエトナちゃん。むしろ、こんなに心の優しい人がここにいてくれて嬉しいくらいよ。エトナちゃんみたいな人がアッシュの隣にいてくれて良かったわ」
「オルガ……さん……」
「呼び捨てでも、お婆ちゃんでも良いわよ。ここはもうあんたの『家』なんだから」
優しく微笑みながら、オルガはエトナの心に寄り添う。
「食べ物を食べるってことは『生きる』っていう当たり前のことだからね。当たり前のことをしていて人は簡単に涙を流したりはしない。流すとしたら、そこに『何か』を感じたからよ」
アッシュとユズハにも聞かせるようにオルガは、想いを伝えていく。
「エトナちゃんの過去はよっぽどのことがあったんだろうね。その辛さを想像することは出来ないし、しようとしても失礼になるだけ。でもね、これだけは知っていて欲しいの。今のエトナちゃんは、何も恥じることはないのよ」
「お婆……ちゃん」
「いいかい? 涙を流せるってのは、心が枯れていない証拠なんだよ。エトナちゃんにどれだけ辛い過去があったとしても、あんたは料理に込められた意味や『温もり』に気付ける優しい人。アタシの事情も察して聞かないでおいてくれたのもそう。優しい自分をもっと誇って良いのよ」
「ッ……!」
胸の奥が熱くなり、また涙が溢れそうになる。
オルガに今『パートナー』がいないのも、片腕がないのもきっと【隷獣】にやられたからだ。そういう人は決まって、エトナの赤い眼を見た瞬間に八つ当たりの憎悪の視線を向けてくる。
なのに、オルガには一切それがない。ないからこそ、オルガのエトナへの思いやりが全て伝わってくる。
「エトナちゃんはまず、誰かのために涙を流せる優しい自分を忘れないこと。そうすれば、ちょっとやそっとの『否定』があったとしても、自分を貫けるわ」
「誰かを想う私の心……」
「人は一人じゃ生きていけないからね。だからそれが『当たり前』として優しい子に育って欲しいから、アタシはアッシュにもそうやって教えたんだ。けど、エトナちゃんは最初からそれが出来ている。過酷な過去を持ちながらそれが出来る人なんて、そうはいないわ。ここで出会えたことに、感謝したいくらい。ありがとうね、ここに来てくれて」
「わたしも! エトナおねえちゃんと会えてうれしいよ!!」
オルガに心を優しく包まれ、ユズハには両手を優しく包まれる。
誰もここでは『赤い眼』を否定しない、嫌わない。それどころか、心からエトナに寄り添ってくれる。
アッシュと同じような『ありがとう』を伝えられ、〈ヴェンタス〉を感じながらエトナは喉を震わせて涙を流す。沢山、今までの辛い過去を流し切れるように。
「ありがとう……お婆ちゃん。それにユズハちゃんも……! 元気、出たわ。私、自分を誇りに思えるよう頑張るわ!」
「良い顔。その素敵な笑顔をこれからも見せてちょうだい」
「わたしもわたしも! むずかしいことはよくわかんないけど、エトナおねえちゃんは大かんげいだから!」
陽だまりのような明るい笑みを浮かべる二人に釣られ、エトナも同じ笑顔を浮かべる。もう彼女が、過去に縛られることはないだろう。人は冷たいだけじゃないと知り、『帰る家』も出来た彼女に怖いものはもうない。
あとは真っ直ぐ〈英雄〉に向かって歩き進めるだけ。
その心の変化をアッシュは見抜き、自分のことのように嬉しく思いながらエトナの頭を撫でようと手を伸ばす。
「あ! アッシュは別だから!」
「なんで!?」
ぺしっとユズハに手を払われて、思わずアッシュが大声を出してしまう。
アッシュが手玉に取られている姿をエトナは初めて見た。しかも、その相手が幼女となれば笑いが込み上げてくる。
「あはははははっ!! アッシュ、ユズハちゃんに何したの!!」
「し、知らないよ!! エトナからも何か言ってやって! 具体的には、僕の良いところとか!」
食卓が笑い声に包まれ、賑やかになる。
ここには血の繋がった者は誰もいない。けれど、確かな家族の団欒がここにはあった。
エトナが落ち着きを取り戻したアッシュに今の思いを告げる。
「流石、アッシュのお婆ちゃん。アッシュがこうなったのがよく分かるね。ヴェンタス家ってわけだ」
「血は繋がってないよ?」
「ううん、繋がってる。家族ってのは魂の繋がりって思うから」
柔らかな表情のエトナに、今度こそアッシュは彼女の手を取る。
「だったら、僕たちもいつでも家族になれるわけだ。だって繋がりが出来てるんだから」
「あ……」
急な返しに顔が真っ赤になるエトナ。顔を伏せ、ちらりと見て小さく呟く。
「……うん」
溢れそうになる『愛』。貰ってばっかりだと、少しだけ申し訳なくなるもエトナはそれは言わない。
代わりに言うのは、感謝の言葉だ。
「お婆ちゃん、一ついい?」
「何だい」
「お婆ちゃんは、私が最初から……なんて言ってくれたけど、ちょっと違うかも。私がこんな自分になれたのは、ずっとアッシュが隣にいてくれたから。そして、そんなアッシュを育ててくれたお婆ちゃんがいたからよ。だから、こちらこそありが――」
カァァァァァァンッと、都市全体に響き渡る巨大な鐘の音。
――その感謝は、襲撃の報せによって遮られた。




