第九譜 嫉妬の芽生え
――人の目がない閉ざされた個室の中、エトナはアッシュの前で恥ずかしそうに体を捩らせていた。
「ほら、我慢なんてしないで。その強ばった体から力を抜いて」
「そうは言っても……こんなことっ……! これの……どこが特訓、なの……!」
「これも特訓の一つだよ。二人一組が前提の〈合力〉なんだから、こういうのも合わせないと。大丈夫、見ての通りここは誰の目もないから。見ているのは僕だけだ」
「っ! それが、問題なんでしょ……!」
「問題、ある?」
「〜〜〜〜〜〜!」
首を傾げるアッシュに、自分だけが『そう』思っているとなって、エトナの頬が熱を持って真っ赤に染まる。髪も目も赤い彼女だが、今は頬が一番赤いと言えるだろう。
そんな様子をアッシュはニコニコと楽しそうに見ている。
もういいっと、ヤケクソ気味になって恥ずかしさをちょっとした怒りで打ち消しながら――
「あーん」
「食べたら良いんでしょ、食べたら!! あむっ!!」
「はい、よく出来ましたっと。美味しい?」
「美味しいわよ!!」
アッシュから差し出されていたタルトケーキを零さないように、小さな口を開けて頬張った。
もきゅもきゅと食べるエトナを小動物を見るような眼差しで見ながら、アッシュは彼女の口端についたクリームを人差し指で拭うのだった。
「ん、やっぱ美味しいね」
「ちょっ……! アナタね……!」
「どうかした?」
「〜〜〜〜〜っ!」
なんとも思っていないような、それが当たり前だというような行動に言っても無駄だと思ったのか、エトナは大きく息を吐き出した。
「はぁ……もういいわ……。アッシュはそういう奴だし……。で、これが特訓ってどういうこと? 時間が無いんだから早く〈合力〉を制御させないと……」
「体も治ってないのに、焦ったところでまた死にそうになるだけだよ。やるなら治ってから。特に、僕たちにとって『腕』は大事なんだからさ」
アッシュが動かないエトナの腕を指差し、それにバツが悪くなったように目を背ける。【邪気】を取り込んでしまった影響だ。〈包帯〉のおかげで二人の体から痛みはだいぶ引いているが、それでも麻痺のような影響がまだ出ている。
ケーキを食べさせているのも、アッシュの方がまだ比較的麻痺の症状が薄いからだ。
「ま、そういうわけで今は休む時ね」
「別にフォークを持てないほどじゃないんだけど……。ていうか、だからってなんでカフェに……?」
「そりゃ、甘いもの食べたら心が休まるからだよ。実際、力も抜けたでしょ」
「む、まぁ」
「はい、もう一回」
口の中に残る甘みを感じ、物欲しそうになったところをすかさずアッシュが二口目を差し出す。
もう、それに関しては何も言わない。大人しく口を運び、今度はしっかりとその甘みを堪能する。
あとは温かい紅茶のカップで手を温めてから、飲むと――
「ほぅ……」
「ふふ」
ふにゃりと顔を綻ばせるエトナに、アッシュもまたニコニコと嬉しそうに笑う。
穏やかな安らぐ雰囲気が漂い、エトナもリラックスモードに入る。
と、そこでふと周りを見渡し、自分がどうしてここまで落ち着けているかの理由が分かった。
「そう言えば……ここって、完全に個室なのね。元々の客が少ないってのもあるけど、周りの物音すらも全然聞こえないし」
「落ち着くよね。客が一番リラックス出来る状態にするっていうコンセプトで作られたらしいよ」
「わざわざ探して選んでくれたってこと?」
「まぁ、ここなら誰の視線も入らないから、心も休めると思ってね」
「アッシュ……。ありがとう。こんなに誰からも見られない場所ってのは久しぶりかも。でも、よくこんな街外れのカフェなんか知ってたわね。探すにしても、普通ここまで辿り着かないでしょ」
「うん、ちょっとマリエラ先生とね」
「…………は?」
――マリエラと? 二人きり? 個室で? 私たちがいるのに?
エトナの顔色が、さっきとは違った意味で赤くなる。心の中で燃えたぎりそうな激情とは裏腹に、口から飛び出した声は極寒そのもの。
誰かが聞いていればエトナへの嫌悪感も凍りつきそうな底冷えした声色だ。
なのに、スイーツの味がそれを溶かしているのか、アッシュはエトナの様子にも気付かずのほほんと楽しそうに早口で語り始めていた。
「いやはやそれにしてもスイーツってのはいいよね。これぞ人類が開発した至高の食べ物っていうかさ。殺伐としたこの世界でも、幸せに生きようとしている心の余裕の表れが僕、好きなんだよね」
「そう、良かったわね」
グイッ
我を取り戻したエトナが、麻痺している腕を根性で動かしてアッシュの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
さっき注意したことを無視したその暴挙にようやく気付いたアッシュは、目の据わったエトナを見て冷や汗を一つ流した。
「あ……えっと……、エ、エトナ?」
「詳しく、教えて。今、なんて、言った?」
「スイーツは素晴らしい……」
「違う、その前。誰と、ここに来たって……?」
まるで心臓を鷲掴みにされ、強く握り締められたような圧力がアッシュを襲う。
否、それはもはや比喩ではない。アッシュの胸ぐらを掴むその手に、紅い〈魔力〉が込められていた。
「ちょ、ちょっと待って! ご、誤解だよ誤解!」
「まるで、浮気男が言いそうな台詞ね」
「ち、違う違う! 本当に誤解なんだって! なにもないから!」
慌てれば慌てるほど図星のように感じ、エトナは眦を鋭くさせる。
「た、ただ、スイーツが好きなもの同士ってだけだから。その時も偶然周りの人からの言いがかりから助けられた縁で、一緒に食べ尽くしただけだし!」
「……嘘は、吐いてないみたいね」
マリエラに対して特別な感情を抱いていないことが分かったエトナが、ドスンッと座り込む。納得は出来ていないのか、プリプリと頬を膨らませたままアッシュからそっぽを向いている。
エトナの心に妙なモヤモヤが浮かぶ中、怒られたはずのアッシュはどこか嬉しそうにエトナを見ていた。
「……なに、笑ってるのよ」
「いや、なんて言うか。可愛いというか、そこまで僕との時間を独り占めしたいんだなって思ってね。そんなに僕がマエリラ先生とここに来たのが悲しかったの?」
「は、はぁ!? な、な、な、何言ってるのよ恥ずかしい……! じ、自意識過剰だからそれ……! 私はただ――」
髪色に負けぬほど頬を真っ赤に染め、ガーッと捲し立てるエトナにアッシュは微笑んだままフォークで刺したケーキを再び差し出した。
「大丈夫だよ。僕がデートするのも、こうやってケーキを差し出す相手もエトナだけだから」
「むぐっ……!!」
眩しいばかりの笑みと共にド直球の想いが、エトナの心を貫く。顔は熱く、心はバクバクとまるで音が聞こえそうなほど大きく鳴っている。
そんな気恥ずかしさを誤魔化すように、差し出されたケーキをパクッと食べた。
「……もう、アッシュはいつもそうなんだから。いちいち言葉に出さなくたっていいでしょ。っていうか、もうちょっとだけ言葉を隠したらアッシュは人に好かれるんじゃない? 正論って、言われたら腹立てる人も多いんだから」
他の人から嫌われるほどアッシュが正論や本音でしか話さないと分かっているからこそ、エトナへの想いが本物だと確かに伝わってくる。
だからこそ、照れ隠しとはいえ中々酷いことを言っているように思うが、エトナとしてもアッシュが嫌われているのは嫌なのだ。
「そうかもしれないけど、『心で思い浮かべた言葉を隠すのは無駄だ』ってお婆ちゃんに教えられたからね。いつ死ぬか分からないこのご時世。人としてせっかく伝えられる口と心があるのに、言わないのは勿体無いし後悔するだけだってさ」
「後悔……」
「だから、僕はなんと言われても本音を隠すつもりはないよ。僕がここで生きているってことを、多くの人の心と記憶に残す意味でも、ね。その中でも一番、エトナが僕のことを覚えていてくれてると嬉しいかな――」




