31_ソムヌスの眠り(1)
イーリカは薬草茶店のカウンターの中でぼんやりとしていた。
手元には作業途中の薬草が散らばっている。いつもなら手早く作業できるのに、何をやってもうまくいかない。
気づくと視線は、カウンターに近い壁際の席のひとつに向かう。
そうしてそこに彼の姿がないことに、寂しさを覚えるのだった。
最後にノアに会った日から何度か眠りに作用する薬草茶を作ったが、渡すのは決まって執事のヘンリーか彼の家の使用人だった。
『──もしかして、からかってる? それならこんなひどい態度はないな』
あの日、ノアに言われた言葉がよみがえる。
と同時に、悲しげに顔を歪めたノアがまぶたの裏に浮かぶ。
(わたし、彼をひどく傷つけてしまったんだわ……)
それだけははっきりとわかった。
でもなぜそうなったのか、イーリカにはわからなかった。
ノアは初対面から不思議な雰囲気を纏う人だった。
ヘンリーを介抱したことがきっかけで薬草茶を気に入ってくれたのだが、それ以来なぜか何度も店に足を運んでくれるようになった。
打ち解けてくると、少しでもノアの眠りの役に立つのがうれしく感じる自分がいた。
あの席に座った彼が穏やかな表情でカップを傾けている姿を見るだけで、なぜだか心がとても満たされた。
その洗練された立ち振る舞いからきっと貴族だろうと思っていたが、まさかこの土地を治めるタウフェンベルク伯爵家だったなんて想像もしなかった。
あまりの恐れ多さにあのときはかしこまってしまったが、こうして思い起こしてみても、彼と接する中で垣根を感じたことはほとんどなかった。それは彼が自然体で接してくれていたからだと今ならわかる。
貴族だけに限らず街の人からでさえも、幼い頃から避けられることも多かったイーリカにとって、それはとても貴重なことだった。
イーリカはたいして進んでいない手を止め、ぐるりと店内を見回す。
昔からずっと変わらない光景のはずなのに、彼がいないだけで今までと同じとは思えない、どこか欠けたような気持ちになる。
(大切なお客さま……、よね)
そう心に問いかける。でもほかにも大切なお客さまはいるはずなのに、なぜか彼だけが少し違うように感じている自分がいた。
床にはライトとラブラが寝そべっている。
イーリカはそっと二匹に近づく。
膝を折り、手を伸ばす。それぞれの頭をゆっくりとなでる。ビロードのような滑らかな肌触りに心地よさを感じながら、
「イーリカって呼ばれて、なぜだかすごくうれしかったの……」
ぽつりと言葉を漏らしていた。
* * *
その日の夕方、薬草茶店を閉めたあとで、イーリカは近所の子どもからある紙片を受けとった。
そこには薬草茶をときどき求めてくれる宿屋の女将の名前で、この場所に配達へ行ってもらいたいという旨の依頼が書かれてあった。
不思議に思いながらも、求められれば自分にできる限り役に立ちたいと思うのがイーリカだ。
要望された効能のある薬草茶の缶をかごに入れる。
暑い時期にはまだ早く、日も暮れると肌寒さがあるため、ワイン色のストールを肩にかけた。
そしてひとり、紙片に書かれた場所へと向かった。
暗くなってきたことを心配したライトとラブラは一緒に行くと言ったが、イーリカは犬が苦手な人だったら困るもの、と断った。
しばらくして、着いた先は、古ぼけた家だった。
辺りはすっかり暗くなっていて、これで家の中からロウソクの明かりが漏れていなかったら空き家だと思ったかもしれない。
「ごめんください。薬草茶をお届けにまいりました」
イーリカは扉を叩いて、家の中に向かって声をかける。
しばらくしてからゆっくりと扉が開かれる。
「あの薬草茶をお届けに──」
その瞬間、ふっとロウソクの灯りが消え、後ろからつかみかかられた。
突然のことに頭が真っ白になる。
「──ッ⁉︎ は、放して!」
イーリカは必死に声を張り上げ、体をよじって逃れようとする。すると、口に何かを突っ込まれた。
異物感に吐き出そうとしたが、布を押し当てられる。
あまりの息苦しさに、得体のしれない何かをごくりと飲み込んでしまう。
意識が徐々に薄れていくのを感じた。
(そんな、まさか、だめ。こんなところで意識を失っちゃ──)
なんとか意識を保とうとあがくが、気持ちとは裏腹にだんだんまぶたが重くなり、ガクッと気を失った──。
* * *
ゴトリゴトリとする音で、イーリカはぼんやりと目を覚ました。ずきりと頭が痛む。
(どこだろう……)
首を動かすが真っ暗で何も見えない。木箱か何かに押し込められているようだった。
それに先ほどから感じる不規則な揺れからして、馬車にのせられているようだ。
両手を動かそうとしたが、後ろ手に縛られていて自由がきかない。足も同様だった。
(まずいことになったわ……)
イーリカは血の気が引く思いがした。
わかるのは馴染み客の女将の名で配達を頼まれ、訪ねた先で突然つかみかかられ、気を失ってしまったこと。そして捕らわれの身になり、木箱に入れられ、どこかに連れ攫われようとしていること。
自分につかみかかってきたのは男だった。今馬車に揺られているということは仲間がいるのかもしれない。
イーリカが必死で頭を働かせていると、ふいに馬車が停まる気配がした。
こちらに近づいてくる足音がするかと思えば、ゆっくりと木箱のふたが開けられる。
とっさにイーリカは寝たふりをする。
まぶたの裏に陽の光を感じた。
「まだ寝てるぜ」
男の声がした。
するとその声に応えるように、
「ソムヌスが効きすぎたか、仕方ねえ、もう一度蓋をしておけ」
ギイッという音とともに木箱の蓋が閉められ、再び暗闇に覆われる。
(ソムヌス……?)
聞き慣れない言葉にイーリカは眉をひそめる。
(『ソムヌスが効きすぎたか』と言っていたわ。ということは、私が飲み込まされた得体のしれないものが『ソムヌス』なら、睡眠薬のようなものなのかしら……。でもお医者さまが処方する睡眠薬だと、眠気が訪れるまでにもっと時間がかかるはず。こんなにも即効性があるものなんて知らない。しかも攫われたときは夜だったのに、今は陽の光があるということは、一晩以上眠っていたことになるわ……)
イーリカは魔女としての豊富な薬草知識を持っている。おそらくそれは薬草にかかわる人よりもかなり膨大だ。
それでも、こんなにも効き目のある成分を抽出できる植物など知らない。
イーリカが知る中で忘却の薬にも意識が薄れるような作用があるが、あれはあくまで魔石であるラブラドライトが記憶に触れやすくさせるための補助的な役割、意識の境目をあいまいにするだけで、完全に意識を奪うものではない。
(もし本当にあるとしたら、恐ろしいわね……)
ぶるりと身震いがする。
人に飲み込ませるだけで、いとも簡単に意識を奪えるなら、いままさにイーリカがされているようにどこかへ連れ去ることも簡単にできてしまうのだ。
(襲われたときは暗くて、口に入れられたものが何だったのか見えなかった。でも何かの葉のような乾いた感触だった──)
あれこれ考えてみるが、やはり思い当たるものは何もない。
イーリカは心の中で息を漏らす。
これから自分はどうなってしまうのだろう。
もしかして、どこかに売られるのだろうか。
それとも、殺されたり──。
いずれにしても悲惨な末路しか想像できない。
そこでイーリカははっと目を見開く。
(そうよ、若い娘が行方不明になる事件だわ。駆け落ちでも、身売りでもなく、本当はこんなふうに攫われていたのだとしたら──)
イーリカの心臓がドクドクと波打つ。
(それを魔女のせいにした誰かがいる──)
後ろ手に縛られたまま、拳をギュッと握り締めた。
次話は、ライト・ラブラ視点です……!
ここまで読んでくださった方、ブクマ・評価・いいねくださった方、本当にありがとうございます……!







