4、右手
BGMやグッズの確認は、病院で腰を診てもらっていた稀川を捕まえて一任する。私は会議室で四百点以上ある絵を一枚一枚確認し、飾る絵を選抜する。飾れるのはおよそ百点。半分以下に減らさなくてはならない。というか、そもそも私は彼女の描いた絵本を知らないので、まずはその勉強から始めなくてはならない。稀川にそう言ったら、喜んで絵本を貸し出してくれた。大の男が絵本を大量に持っているというのも考えものだ。
内容的にはほとんど全部がファンタジー。これといって特徴的な画風ではない。人気ランキングなどを見て、上位のものから取っていこうと思う。どんな作家にも、少なからずファンはいるものだろう。
(これと…あとこれも……一番人気なのは、ダントツで『水彩のベルヴォワ』ね。)
数冊検討を付け、絵を仕分ける。なんだって私がこんなことを。作家本人を交えて考えるのが普通じゃないのか。だいたいこういった仕事は稀川がした方がいい。彼女の作品のことを誰よりも知っているし、悔しいが奴には美術品を見る審美眼もある。だがクリスティン本人からのお達しなのだから、仕方がない。
ずっと見ていると、色がふわふわと浮かんでくるようだ。まあ上手いか下手かで言えば、絵で飯を食っているだけはある。有名な芸術大学を出ているだけあって、絵画の基礎的なものも出来ているようだ。
少年少女の笑い顔。あの女が描いたものとは思えないほど表情が豊かだ。
緩やかなウェーブがかかった髪の毛を垂らし、白いネグリジェを纏う少女が抱くテディベアの瞳。赤いビー玉のような目は照明の光を反射しながらも、少女が見た悪夢を映し出している。青い海の中で水面の月明かりを浴びる女性は、泡沫の涙を流している。長い指が何かを求めるように空を仰ぎ、黄色く、白く、そして薄紫色に輝く陽の光が身体を包み込み………
「翼くん。」
突然名前を呼ばれ、ビクリと震える。机にうつ伏せになった体を起こす。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
稀川が会議室のドアを開いて半身だけ中に入り、私を呼んでいた。
「翼くん、珍しいね。君が居眠りするなんて」
「気づいてたなら起こしてくださいよ……。」
カーテンが開けっ放しの窓の外は、とっぷりと暗くなっている。
「だって気持ちよさそうに寝てたからさ。」
クスクスと笑う稀川の顔に安心する。子供のように歯を見せながら笑う顔。この顔を見られるのは、私の特権だった。
「俺今からクリスティン先生を宿泊先まで送っていくから。俺が戻るまでここに居てもらってもいい?」
特権だったはずなのに。
私の大切なものが無くなりそうだ。いや、無くなっていくんだ。この美術館も無くなってしまう。大切な人も離れていってしまう。
「………」
行かないでほしい。後から出てきたくせに、取らないで。この美術館だって、この人だって、この仕事だって、私のとっても大切なものなんだ。どうして────
(私が彼女じゃなかったんだろう………)
どうしようもないことなんてことは分かっている。考えるだけ無駄だということも、馬鹿げてるといえことも。
「翼くん?」
無邪気な顔でまっすぐ見つめる稀川。今ならこの言葉の意味がわかる。
何も知らないのって、罪だ。
「わかりました、大丈夫です。私が戸締りしていきますよ。」
そう、と一言だけ言い、稀川は会議室の扉を閉めた。その一瞬、奥にいるクリスティンと目が合ったような気がした。私は暗闇の中で光る猫の目のようなそれを見つめる。何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。それを確かめるまもなく、扉は閉じられた。
この仕事がなくなったら、私はどうすればいいんだろう。新しい就職先を探す?それでも別に構わないが、私は美術品を見る以外何も出来ない。
強がったのはいいものの心がざわつき、すぐに二人のあとを追いかけた。もう追いつかないかもしれない。それでも駅までの道を走った。
二人を見つけたのは駅前のロータリーの近く。この国では珍しい金髪は目立ち、すぐに二人だとわかった。これ以上近づく気にはならなかった。行ってどうする?二人の邪魔をするか?惨めなだけだ。
帰ろう。そう思って踵を返そうとした時、目の前をバスが通り過ぎた。バスによって姿をかき消される瞬間、稀川の右手がクリスティンの背後を上がっていくのが見えた。




