2、期間限定
普通に考えて無理だろう。だって期間はあと半年も無いのだ。なのに帰りの電車に揺られている私の手には、つり革と半透明のクリアファイルが握られているのだった。
『もうクリスティン先生と話はついてる。もし断られた場合、この企画は無かったことになるから報告しなかったんだ。遅くなってごめんね。』
稀川は器用にウインクをしながら手を合わせて謝った。それで許してしまうのだから、私もとんだ甘やかしだ。
電車が揺れ、停止する。扉が開くと目の前に座っていた老人が立ち上がった。周りを見るが近くに立っている人はいない。私は空いた席にそっと腰を下ろす。膝の上に鞄を置き、企画書を取り出した。
最初の数ページには企画の内容やその趣旨がずらり。後半は事細かに書かれたスケジュール。どうやら、本当に『クリスティン先生』とやらとは話がついているようだ。
(やりたい事だと途端に仕事が早くなるんだから、あいつは。)
ふ、と口元に笑みがこぼれる。企画書は手書きだ。カラフルなマジックペンで見やすいように色分けをし、ところどころの空白にイラストが描かれている。まるで子供が書いたみたいだ。でも、そこがいい。ワードで打ち込んだ規則正しい文字には無い、温かみがあって私は好きだ。
(水彩画かあ……油絵なら昔一度だけ地元の美術館で見たことあるな。絵本画家っていうことは物語性があるんだろう。だったら順に見れるようにとかそういう工夫を凝らして……)
私は先程まで存在すら知らなかった女性に思いを馳せる。と同時に稀川の楽しそうな顔も浮かんだ。
どんな顔をしているのだろうか。どんな性格をしているのだろうか。どんな絵を描くのだろうか。
その女性は、本当の美しさを知っているのだろうか。
「………そういえばファンタジーものを描くって言ってたな……。」
例えばファンタジー。幻想が悪いと言っている訳では無い。だがそれらはただの妄想や空想に過ぎない。言わば人工物。人が手を加えれば、いくらでも見た目を美しくすることは出来る。そういった外見だけを繕ったものは私にとって、見てて気持ちの良いものではなかった。
(……ま、この半年だけ手を貸して、終わればお互いもう関わることもないでしょうし。)
期間限定。そう口の中で毒づいた。
来日にはまだ少しかかるらしい。それまでに進められるところは進め、なるべく早く準備を終わらせてしまうというのが手立てだ。広告に関してももうすでに手は回しているらしい。チラシの原版を見せてもらった。
『レイクサイド美術館、最後の展覧会。北欧の絵本作家、クリスティン・夢子の絵本原画展。淡い夢のようなひと時がそこに。』
背景には青を基調とした水彩画。雲のようなふわふわとしたタッチで、文字が邪魔をして大部分は何が描かれているのかよく分からない。一見普通の水彩画のように見えるが……?
稀川はクリスティンと生で会えるというので、非常に興奮している。まったく、だらしがない。
展示会の五ヶ月前。ファイルの整理は一時中断。絵を展示する一階フロアの掃除、備品の手配が今のところ出来ることだ。即席のボランティアの手も借り、速度は遅いが滞りなく進んでいる。
あとは肝心の稀川だ。憧れのクリスティンの展覧会を開けるというものだから、完全に浮かれきっている。稀川が病院に行っている間電話をかけてもなかなか通じないと思ったら、机の中でバイブ音がした。呆れたものだ。
あと十日もすればクリスティン本人が来るというのに。




