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9、最後の展覧会

 見上げれば茜色の夏空が広がっている。青々と茂る桜の木の下で美術館は最後の展覧会を開いていた。

 期間一ヶ月の展覧会。やはり有名芸術家には劣るが、客はそれなりに入っていた。地元民や周辺に住む人たちは結構来てくれるらしい。

 ギリギリの準備は整い、無事に初日を迎えることが出来た。その時の達成感は、今でも忘れられない。


 時はあっという間にすぎ、慌ただしい日々を送り、ついに最終日を迎えた。今日が終われば、もうこの美術館はお役御免となる。

(最後の最後で色々あったなぁ。)

 いい思い出といえば、大して無い。失礼なことばかりした。それもこれも、全て若さ故に未熟だということにしてくれないだろうか。もう若くはないが。

 あと一時間ほどで閉館時間。まだ館内には客が残っており、静かな時間帯となっている。ホールの中に流れるシューマンのトロイメライ。その時間はまるで今までの慌ただしさが嘘のように、蜂蜜が流れるかのように過ぎていく。

「……あ」

 いつの間にか私の隣にはクリスティンがいる。彼女は長い金髪をレトロに編み込み、黒いメガネをしている。作業をする時に邪魔にならないようにと、私が編み込んだ。

 彼女は口を小さく開けたまま何かを見つめている。その視線の先には、一人の背の高い男性がいた。男性が見ている絵は、クリスティンがどうしても飾りたいと言っていた絵だ。

 薄汚れ、無造作に破かれたあとのある古い絵だ。セロハンテープで貼られ、本来なら作品として飾れるようなものではなかった。だが彼女が唯一飾りたいと申し出た作品だったので、飾ることにしたのだ。

 描かれているのは、白いユニコーンに乗った青年の絵。青年はシンプルながらも美しい装飾を施した服を着ていて、まるでどこかの国の王子様のようだ。

 絵を見ている男性は黒いスーツに黒いハットをかぶっている。片手には杖をついているので、老人だろうか。

「やっと、迎えに来てくれた……。」

 クリスティンは早足で男性に駆け寄り、隣に並んだ。男性が彼女の方を向く。何を話しているのだろうか。僅かに俯いた男性のハットから、薄茶色のくせ毛が覗いていた。

 こうして二人が並ぶ後ろ姿を見ていると、映画のワンシーンを切り取ったかのようだ。

(この景色を切り取って絵に残したい。)

 左手が何かに触れる。横に立っていた稀川が私の左手を握っていた。彼は私と同じように、二人の後ろ姿を眺めていた。静かに唇を震わせている。


 もう、終わってしまう────。


 この時間も、今までの時間も、あと一時間経てば終わりだ。

(どんなものにも終わりがあるって本当だったんだ。)

 そんなことを思う。

 この展覧会の企画が始まったばかりの、ヒステリックだった頃の私が嘘のようだ。自分の髪の毛を指先に絡めみる。この半年で少し伸びたように思う。

 左手を握り返す。

 稀川の方から息を飲む音が聞こえる。

 強く握り返される。

 稀川は逆の手で口元を押さえた。

 私も強く握り返す。

 震える吐息。猫背になりながら、稀川は声を殺した。


 大切な時間が終わる。

 閉館時間を告げる音。低い鐘の音が、色で包まれたホールに響いた。



 美術館の掃除、片付けは終わった。最後は結局稀川と私の二人だけだったのだが、なんとか撤収するまでには間に合った。

 クリスティンは展覧会が終わったあと、原画を回収してさっさと帰ってしまった。空港まで見送りをした時、彼女は私に紙袋を手渡した。白地に青とピンクのインクが散りばめられた模様の紙袋。中央には銀色の文字で『vannfarge』と書かれている。

「────あなたが、誰かと出会えたことを幸せと思えますように。」

 にっと笑うと、彼女はそう言い残して搭乗口へ歩いていった。

 彼女から貰った紙袋の中には、一冊の絵本が入っていた。タイトルは『水彩のベルヴォワ』。

 何を考えて私にこれを託したのか。結局最後まで何を考えているのかわからない女だった。まあ、レイクサイド美術館の思い出としてとっておいてやろう。

 展望台から見える滑走路から、オスロ行きの便が飛び立った。

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