第259話 天気雨(狐の訪問その5)
春の朝。
大森林のエルフの村に、俺は狐巫女あんずと来ていた。
足元の覚束ないあんずを支えるように歩いていく。
ランドセルがカシャカシャ鳴る。
「大丈夫か?」
「け、ケイカさまは、限度というものを知らぬでございますっ!」
あんずは真っ赤な顔で怒っていた。どこかしら恥ずかしそうだった。
「そうか? じゃあ、次はもっと優しくするから」
狐耳に息を吹きかけると、「ひゃうっ」と叫んで太い尻尾がぴーんと立った。
でもすぐに、尻尾は力なく垂れる。
「次は、ございませんゆえ……」
「ふぅん――で、あんず」
「はい」
「何、やらかした?」
あんずが茶色の瞳を丸くする。
「な、なんのことでございましょう……? あんずは何もやっておりませぬ」
わたわたと小さな手を振って否定した。
俺はあんずの頭を掴むように、わしゃわしゃと撫でた。
「俺に嘘をつくな。呪うぞ!」
「ひゃいっ! で、ですが……ケイカさまに迷惑は……」
「悪いが俺は、自分の手の届く範囲はきっちり守る主義なんでな。あんずはもう手放す気はない」
「はぅぅ……ケイカさまぁ……」
あんずの瞳がうるうると潤んだ。
「で、何やった?」
「じ、実は……任されていたお社が……火事になってしまい全焼……対処が後手後手になってしまい、お社は再建されず更地に。……新しい摂社を得られなければ、あんずは責任を取って神使を辞任。ただの狐として余生は蔵王キツネ村で過ごすことに……」
「見世物になって過ごすのか。まあ、かわいいが」
「嬉しゅうございますが、嬉しくございませんっ」
涙目で訴えるあんず。
「あー、わかったわかった。摂社してやる。その代わり、お前もこっちに住んで、信者を増やすよう頑張れ」
あんずはうなだれた。キツネ耳がしゅんと伏せられる。
「お気持ち、ありがとうございます……ですが、一社だけでは駄目なのでございます」
「は?」
「今月中に100社、新しく建てるように言われまして……あんずでは無理でございます……」
――イラっとした。
傲慢で横暴な俺が、むくむくと心の中に膨れ上がる。
あんずの小さな肩をガシッと掴んで歩き出す。
「わかった。それ言ったの誰だ? 宇迦之御魂大神か?」
「は、はい……」
「あの、くそ女っ! ――俺が話しつける! 高天原へ行くぞ」
「えええっ!? お待ちくださいませ、ケイカさまっ!」
俺の腕の中、彼女はか弱い力で必死に暴れた。
ランドセルが激しく鳴ったが、気にせず世界樹の前に連れて行った。
エルフの村の奥にある世界樹の広場。
――なぜか、ラピシアが世界樹の奏でる音に合わせて踊っていた。
「おはよっ! ケイカ!」
「なにしてる?」
「ケイカ、待ってた!」
眉を寄せて一瞬悩んだ。
しかし、本能で動く神の子。
あんずを欲しがって駄々をこねたのも、本能的にあんずが消えてしまうことを知っていたからだろう。
「よし! 一緒に来い! ――世界樹、俺たちを高天原へ導け!」
世界樹は右側の枝をざわわっと鳴らした。了解の合図。
あんずが狐耳をピーンと立てて、目を白黒させる。
「け、ケイカさま!? いったい何をなさるおつもりでしょうか!?」
「言っただろう! 話し合いだ! 拳でな!」
「そ、そんなのいけません~!」
あんずが泣いていやいやと首を振ったが聞き入れない。
――俺の大切な狐を泣かせる奴は許さない!
隣にラピシアが立ち、和服の袖を掴んできた。
「ケイカ、ごー!」
「任せろ! ――空と時を繋ぐ、世界樹ムンディスよ! 我が呼びかけに応じ、彼方と此方を渡る道を成せ! ――《異界神門》」
◇ ◇ ◇
五色に輝く空。
田畑には稲穂が実り、丘を渡るそよ風を受けて揺れている。
あんずはもう「あわわ……」と泡を吹いてぐったりしていた。
小脇に抱えて道を歩く。太いキツネの尻尾がふさふさ揺れる。
ラピシアは俺の隣で元気にスキップしながら歩いていた。白いワンピースがひらひら揺れる。
大きく深呼吸してから笑顔で言う。
「ここ、好き!」
「まあ、神にとっては住みやすい場所だな――あそこに行くのも久々だな」
道鳴りに歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
かやぶき屋根の平屋建て。
伊勢神宮を思い起こさせる。
下駄の音を鳴らして入っていくと、誰かの神使に呼び止められた。
「どちらさまでしょう、何事ですか?」
「俺は蛍河比古命。天照大神はいるか?」
「ええ、いますが……」
「そうか」
下駄を蹴散らすように脱いで、ずかずかと上がりこんだ。
ラピシアも裸足になって上がり込む。
「ああ、ちょっとお待ちを!」
無視して屋敷の中へ。
畳敷きの広い部屋の中、書院机に向かって片膝を立てて座ってる女性がいた。
ギャルのような格好をして、爪にマニキュアを縫っている。
髪の毛が金色に輝いていた。
塗りたての爪をふーっと吹きながら、部屋に入ってきた俺を見もせずに言う。
「何の用かしら、ケイカ」
「宇迦之御魂大神を呼んでくれ。一発、ぶんなぐりたい」
「あらあら。弟みたいなこと言うのね。――もう、呼んであるわよ」
ピンセットでネイルアートの部品をつまみながら言った。
部屋の奥の襖がすうっと開いて、豪奢な十二単を着た女性が現れた。
くびれた腰に、鞠のような爆乳。
豊穣のシンボルを揺らしながら、ゆっくりと進み出てくる。
ツンと澄ました顔をして俺を見た。
「あちきに何か用がおありで?」
俺は抱えていた、白目を向くあんずを突き出して言った。
「大有りだ。あんずの不注意で社を燃やしたのは悪い、しかし100社も手に入れて来いというのは横暴だ。俺の神社に一社、摂社してやる。そしてお前の顔を一発ぶん殴ってやる。それで手打ちにしろ」
宇迦之御魂大神は、扇子を広げて整った顔立ちを半分隠した。
「おほほっ。おかしなことを言いなさるのねぇ。たった一社程度、しかもあちきを殴るだなんて。恐ろしゅうございますなぁ」
「俺が、神として、お前を殴ると言っている! ――年間300万の参拝客を持ち、全国に32000社の分社を持つお前を! できなきゃ、俺の命、貴様にやる!」
扇子で隠した彼女の瞳がギラリと光る。
「それは阿呆というのではないかえ? 神がめったなことを口にするものではありゃんせん。できもしないことを口にするのは愚か者のすることでありんす」
奴の眼光を真っ向から睨み返す。
「ごたくや説教はいい。それができたら手打ちでいいか?」
「ええ、ようござんしょう――どこからでもおいでなすって」
かかかっと雅な声で大笑する彼女。
続いて、顔を隠す扇子が白く輝いた。
――鉄壁のガードというわけか。
俺は畳を蹴って駆け出した。
「ラピシア、全力を俺にっ!」
「わかったっ! おかーさーん!」
――ん? そっちか!? 届くのか?
その瞬間、ラピシアに信者が加算された。
俺の力が数百万倍に跳ね上がる。
――異界の信者力でも通用する神域に設定されてる!?
広間の畳を駆け抜けながらも、横目でチラッと天照大神を見る。
楽しそうに口の端を緩めている。
……今だけ設定を変えたのか。
宇迦之御魂大神の顔が引きつる。
「なにこの小童!? 力が増えた!? 豊穣の神!? ――こんな幼女、あちきは知りませんわ!!」
さらにラピシアが俺へ手のひらを向けた。
「ふえーる!」
ラピシアが黄色い光を放った。
【地母神スキル】の地精結集。俺の力を10倍にする!
「うらぁぁぁぁ!」
畳を駆け抜け、右腕を振り抜いた――!
ドガァァ――ンッ!
彼女の持っていた扇子を突き破って、俺の右手は美しい顔を叩いた。
グシャァッ! と嫌な音が骨を伝って頭から抜ける。
彼女の姿勢は揺らぎもしない。涼しげな顔をして鼻で笑った。
「ふんっ。あんまり驚かせないでくださいまし。あなた、右手が粉々に砕けたのではありませんこと? 身分不相応のことは言わないようにしなさいまし。……まあ、扇子を突き抜けて顔を撫でたことだけは褒めてあげましょうかねぇ」
くつくつと、あくまでも上品な笑みをたやさない。
俺も鼻で笑い返してやった。
「鼻血出てるぞ、キツネの親分」
「ひぇ!?」
宇迦之御魂大神が、ゆるゆると手を上げて、鼻の下を拭いた。
たおやかな手にべったりと着く赤い血。
その赤さを見ながら、徐々に目が釣りあがっていく。
「き……き――きぇぇぇっ!」
彼女が叫んだ。大地が震えるような叫び。
衝撃波が生まれて服を激しくはためかせる。
破れた扇子をかなぐり捨て、爪を尖らせて襲い掛かってきた。
迫力が凄まじい。
百倍ぐらいに巨大化したかのよう。
蛇にらまれた蛙のように、足がすくんで動けなかった。
「はい、そこまで」
金色に光る髪を揺らして天照大神が俺たちの間に割って入った。
まさに光の速さの身のこなし。
「天照大神さま……」「ばばあ……」
俺をジロッと睨んでから、彼女に向かって言った。
「約束は約束でしょう? ――この件は手打ち。両者、わかった?」
「も、申し訳ありません。取り乱しまして……」「わかったよ」
俺は、一歩下がった。
右腕が痛み出す。
見れば、指や手の甲どころか、肘関節まで粉砕骨折していた。
手首と肘の間がだらりと垂れ下がり、こんにゃくのような曲線を描く。
内側から飛び出した白い骨が皮膚を突き破っていた。
――どれだけ硬い信仰心をぶん殴ったか、わかるというものだ。
俺が彼女を吹っ飛ばせるぐらいになるには、今の調子であと1000年ぐらい頑張らないと無理だな。
後ろを振り返ってラピシアを見る。
「おーい、ラピシア――きゅあを……ラピシア?」
ちょろちょろと、日本家屋には似合わない水音が聞こえる。
ラピシアが、おもらししていた。
金色の瞳がうるうると、爆発の一歩手前ぐらいに泣いている。
同じ豊穣の大神が放った本気の気迫に、心底びびったらしい。
「う……うわ……うわぁぁぁぁん!! ――びゃあああああ!!」
ラピシアが火が付いたように泣き出した。
屋敷の大黒柱が震えるほどの轟音。
これには雁首そろえた大神たちも大弱り。
「だ、誰か! 天水分神を呼んでたもれ!」
「いや、むしろアメノウズメを!」
女房や神使も右往左往して、大騒動。
周囲の騒ぎに、気絶していた当事者あんずが目を覚ます。
「あ……ケイカさま」
「起きたか。もう終わった。お前はケイカ村の屋敷で暮らすんだ」
あんずが目を見開き、そして泣き出した。
「ありがとうございます、ケイカさまっ! ――あっ」
「ん? どうした?」
あんずが見ているのは空の高み。
晴れた五色の空からはらはらと、繊細な小雨が降ってきた。
「狐の嫁入りか」
あんずは顔を真っ赤にして、俺に抱きついてきた。
「も、もう! あんずはお傍を離れませんからねっ! 覚悟してくださいませっ!」
餌をねだる狐のように、彼女は唇を求めてきた。甘く小さなキスだった。
こうして、すべては丸く収まったのだった。
◇ ◇ ◇
その後のケイカ村。
ケイカ屋敷の庭に、ちんまりとした一畳ほどの小屋が建った。
中にはおきつね様がいて、五穀豊穣、商売繁盛をしてくれるという。
しかし、まだまだ実績は無く。参拝客はほとんど無い。
スタイルの良い女性を見かけると触りたがるので、余計に避けられている。
今日も狐のあんずは紅白の巫女服を着て虫取り網を持つと小屋を出た。
幼い顔の細い眉は、気合で寄っている。
村の西に広がる田畑へ来ると、太い尻尾を振り回しながらあぜ道を駆け回った。
ネズミや雀を追いかける。五穀豊穣の実践だった。
でもなかなか成果は上がらず、背負った赤いランドセルがカシャカシャ鳴り続けた。
閑話 狐の訪問 終
第44話「思い知れエトワール!」がやりすぎとの感想が多かったので、ようやく修正してみました。
足舐め削除して変わりに心を折る方法に。セリカによる大衆の情報操作のシーンも加筆。
次話更新は1週間後予定。




