第241話 世界の理由と神のお仕置き
浮遊大陸の中央にある建物の中。
俺は魔王ソロモンを倒して一息ついた。
あとは創世神アトラをどうにかするだけだった。
アトラの傍に向かいつつ、リリールとリヴィアに心話で呼びかける。
『もういい、下ろしてくれ。魔王は倒した』
『さすがですわ、ケイカさん!』『さすが妾の夫じゃな!』『は?』
その瞬間、海上で不穏な空気が流れ始めたが、浮遊大陸がゆっくり降下を始めたので無視した。
ミーニャが巫女服を揺らして傍へ来る。踊り続けていたためか彼女としては珍しく、はぁはぁと呼吸が荒かった。頬も赤い。
着付けが崩れて下着代わりの黒い水着が見えている。
「どうする、ケイカお兄ちゃん?」
包丁を少し抜いて白刃を光らせる。
創世神すら許す気はないらしい。
「まあ、まずは話し合いだな」
俺はアトラへ近寄った。
アトラは黒い床に座り込んでぐすぐすと泣き続けていた。
その傍に立って見下ろす。
「アトラ、泣くな。お前は騙されていただけだ」
「そ、そんなことないのです! ヴァーヌスはとっても優しかったのです!」
「両親に捨てられたと思っていたんだろう? そんな心の隙をヴァーヌスに利用されただけだ――本当に愛していたなら、最後の最後で最愛の人の名を呼ぶはずだ……俺のように」
消えゆく意識の中、俺はセリカの名を呼んだ。
今思うと少し恥ずかしいが、感謝を述べた気持ちは嘘偽りのない本心だった。
セリカは頬を染めて俯くと、俺の背後から和服を指で摘んできた。
無言のまま、くいくいと引っ張る。
照れているらしい。
アトラは、目を見開きつつも反論する。
「ううっ……そうかも……それでもヴァーヌスさまは、癒してくれたのですっ」
「いいや、それも違う。ヴァーヌスは悪人だ。本当にお前のためを思っていたなら、両親の本心を教えてやるべきだった」
アトラが可愛く首を傾げる。
「ほ、本心……です?」
「そうだとも。どこの世界に自分の子供に死んで欲しいと願う親がいる? いたとしてもそんな奴は親失格。――アトラのことが嫌いだったから捨てたんじゃない。何があっても我が子にだけは生き延びて欲しかったんだよ!」
ぶわっと大きな瞳に涙を浮かべながら言う。
「だったら、だったら! お父さまとお母さまはアトラを愛していたというのですかっ!」
「当たり前だ! 俺が断言してやる。アトラ、お前は親に愛されていた! 俺を信じろ! 親の愛を信じろ!」
「お、お父さま、お母さまぁ……っ」
アトラの目から一滴の涙が流れた。それは次々と零れ出し、黒い床に透明な染みを作った。
ラピシアが腕組みをして偉そうに頷く。
「うむ。お母さんはみんな『いい子』が好き。うむ」
――けっこう意味深な発言とも取れるが、今は流した。
俺は片膝をついて、アトラの頭を撫でる。柔らかい髪の毛の感触。
「ヴァーヌスはお前を利用するだけした悪い奴だ。もう泣くな」
「で、でも……。アトラはまた一人ぼっちなのですっ」
「長い間、一人だったんだろうな……1万2千年ぐらいか」
「ひっく……どうして、知っているのです……?」
「地球、アース、テラ、俺もそこから来たからだ――あの青い星は、地球だった」
アトラの見ていた過去の記憶。
そこに現れた青い星の地形は、少し変わっていたが間違いなく地球だった。
そして――二つの大陸に挟まれた場所。
「お前の育った国は大西洋にあったアトランティス。そこで生み出された神だからアトラと名付けられた」
「ひぅ――っ!? 知ってるなんて……」
「過去の伝承として伝わっていたからな……」
この浮遊大陸に来た時、ラピシアが「ルペルシアの造成した大地と違う」と言った。
地球の島をそのまま持ってきていたんだな。
ダンジョンコンクールでヴァーヌスが反重力や赤外線センサーを使えたのも、アトランティスの科学力を利用したんだろう。
それにアトラが地球出身だから、この星の環境も地球に似せて作られたのだ。
どちらも重力はほぼ1G。
地球と月は38万キロメートル。この世界は40万キロメートル。
12ヶ月の365日と12ヶ月の360日。
神の姿が見えるようにしたのも自己顕示欲が強いからではなく、一人ぼっちが寂しかったから、だろう。
そして母との別れ際に「争いのない平和な世界を」と言われたので、子供ながらにそんな世界を作ろうとした。
まあ、それにこだわったのもある意味、仕方がないと言える。
――だが。
アトラはお尻をぺたんと床につけて、子供のように泣きじゃくっている。
「ひっく……お父さま。お母さま……ぐすっ」
俺はニッコリと微笑むと、泣いているアトラを片手で抱え上げた。横抱きで頭は後ろになる。
「ただな、両親がアトラを愛したように、お前も自分の生み出した者たちを愛さなくちゃいけなかった。それはわかるな?」
「ぐすっ……ひゃい?」
「いくら創世神でもやりすぎだ。――これは、罰だ」
そう言って俺はアトラのスカートをめくり上げた。
いちご模様のパンツに包まれた、可愛らしいお尻が丸見えになる。
細い足をバタバタさせて抵抗する。
「な、なにをするのですっ!」
「お仕置きだ――それ」
手首のスナップを利かせてお尻を叩く。
パシンッ!
「ひゃぁぁん! やめてですっ! 恥ずかしいのですっ!」
アトラが顔を真っ赤にしてじたばた暴れた。
「まだまだ! 頼りない創世神のために生きとし生きるものすべてが迷惑したこと、反省するんだ!」
パシン、パシンッ!
小気味良い音が薄暗い室内に響いた。
「ひぁぁぁん! ごめんなさぁぁい! アトラ、悪い子でしたぁぁ! うわぁぁん!」
大粒の涙をこぼれて、辺りにきらきらと散った。
それにしても――と、叩きながら思う。
ソロモンの奴はヴァーヌスという偽名を使用していたから、この世界の人間では絶対倒せなかっただろうな。
そのくせ、本名とスキルと聖剣で攻撃しないと倒せないなんて制約を作って、多大な力を得るとは。
これがゲームだったらクソゲーなんてレベルじゃなかったな。
俺が呼ばれたのは神に匹敵するぐらい強くて、さらに名前を知っていたから。
名前を知る可能性がある世界樹と、その世界樹と話せるエルフが迫害を受けたのもわかる。
「ひどい世界だ……でも、これでももう終わりだ」
パシンッ!
小さなお尻をさらに叩く。
「いやぁぁあん! うぇぇぇん!」
アトラは泣いていた。
けれども、ダメージは通らないので問題ない。
――と。
セリカが俺の傍に来た。
「ケイカさま……もうよろしいのではないでしょうか? 創世神さまも反省なさったと思います」
「どうだかな~?」
アトラは涙ながらに訴える。
「もう悪いことしないのですっ。アトラはいい子になるのですっ。だからもう、たたかないでぇ」
「ほら、反省も充分なさってますし。――よしよし」
俺からアトラを受け取り、胸に抱き締めた。たわわな胸に埋もれかけるアトラ。
それから巨乳に顔をこすり付けてまた泣き始めた。
いったい何百万、何千万の人々が苦しんだことか。
この程度で、許してもいいのだろうか?
ただ、死なせたら世界が滅びかねない。
う~ん、と悩んでいるとミーニャが言った。
「一生かけて、償わせればいい」
「神の一生で? ――それはそれで恐ろしいな」
ラピシアが言う。
「でも、できる! おばあちゃんなら!」
「そうだな。もう一度、1から頑張ってもらうか――ただし」
アトラがセリカにしがみつきつつ、俺を恐る恐る見上げる。
「な、なんなのです!?」
「ケイカ村で暮らして、神として大切なことを学ぶんだ」
ルペルシアがラピシアを育てるために作ったレベルアップ方法をすでに知っているからな。
火水風土のほかに、母離れ、育てる、生きる、虚・死、愛。
ラピシアと同じようにそれらを教えていけばいいだろう、きっと。
他者を育てることができるようになるなんて、俺も随分と変わったもんだ。
いや、待てよ? ――これ、ラピシアの成長だけじゃなく、俺の成長も兼ねていたのか?
ルペルシアの『さあ、それはどうかしら?』という微笑む声が聞こえてくるかのようだった。
アトラは泣きながら頷いた。
「わかったのです。やってみるのです」
俺は頷いた。
「じゃあ、帰るか。王様へ報告しないとな」
「はいっ」「ん」「わーい!」
セリカたちを連れて暗い部屋の出口へと向かった。
アトラはセリカの胸が気に入ったのか、しがみついて離れない。
扉を開けると、眩しいぐらいの昼の日差しが青空から降り注いでいた。
浮遊大陸は古代の町並みが遺跡のように残っている。
ただ水流による衝撃で町の建物がいくつか崩れていた。
また、一時的に成層圏にまで達したため畑の一部に被害が出ていた。
俺は黒い建物を振り返る。
「これ、城じゃなくて、浮遊大陸を操作する管制室だったんだな」
「そうなのですっ! でもアトラも動かせるのです! ……はわわっ、うまく動かないのです」
「あー、障壁発生塔とか壊したからか……材質は鉱石だな――ラピシア、くっつけることはできそうか?」
「ん~、違う土だけど。たぶん、できる?」
「よし」
俺は空を飛ぶ魔法を唱えると、斬り落とした塔の上部を持って重ねた。
ラピシアが塔の下部にペタッと張り付く。カサカサとゴキブリのようによじ登り、切断箇所に手を当てた。
「きゅああああ!」
しばらくして手を離すと、塔はくっついていた。
――すごいな。ついに無機物すらキュアで治し始めた。
信者を受け継いでパワーアップしているせいかもしれない。
切った塔をすべて治すとアトラに尋ねる。
「どうだ? 動かせそうか?」
「やってみるです……できたのです!」
額のサークレットを光らせながら答えた。幼い顔に安堵の表情が浮かんでいる。
両親との思い出の場所なのだから、当然かもしれない。
続いてアトラが障壁を展開させようとしたので待ってもらった。
なぜなら上空から大きな影が飛来したからだ。
緑の鱗を光らせて、広場へと着地する。
ドラゴンのアウロラだった。
「勇者よ。かつてない偉業を達成したな。世界と我が子に変わって礼を言う。――ありがとう」
「自分のためにやったことさ。アウロラも協力、ありがとうな」
アウロラと見つめあった。お互い、言葉がうまく浮かばないようだ。
「じゃあ、アウロラ。最後の頼みだ。王都クロエまで飛んでくれ」
王様に報告しなければいけない。勇者に任命したのは王様なのだから。
「うむ。では乗るが良い」
俺たちはその背に乗る。
全員が乗るとアウロラは翼を伸ばし空高く飛翔した。
その時、下の海面近くで水柱や爆発が起きた気がしたが、溜息を吐いただけで気にしなかった。