第146話 人魚の歌声(第六章エピローグ)
港町ドルアースにあるケイカビーチ。
岩肌がCの字型に取り囲む静かな入り江。
夜の星空が広がる下、砂浜には人々が集まっていた。
敷いたシートに座って飲んでは食べて、さざめくような静かな会話をかわし、始まりを待っている。
時折、海から風が吹き抜けて、潮の香りを運んでいった。
弧を描く砂浜の近くに、木で作られた四角いステージが浮かんでいた。
俺たちの席は一番前、ステージ正面に案内された。
シートに座ってくつろぐ。
浜辺の一番後ろにある海の家で作られた食事が運ばれてきた。
お好み焼きを半分に折ったようなフィード焼き、野菜と謎肉の串焼き、鶏肉の照り焼き、貝のバター炒め串、あとは酒とジュース。
ミーニャが家から味噌焼きおにぎりを持ってきていた。
砂糖醤油が香ばしく、肉や貝は柔らかい。噛むと肉汁があふれる。
焼きおにぎりとよくあった。
しばらくして入り江の入口から2つの影が入ってきた。
尾びれをしなやかに動かして泳ぐ人魚。
砂浜が驚きと戸惑いでどよめく。
人魚の2人はステージに上がると、空中を泳ぐように進んだ。
男性のパーカーはステージ後ろにあるイスに楽器を持って座る。
アリアは、ステージの中央に進み出て、ぺこっとお辞儀をした。胸当てとパレオスカートだけをつけた華奢な肢体。白い肌に水滴が光る。
イスに座ると挨拶をした。
「初めまして、皆様。アタシは人魚のアリアです。こうして歌の会に集まっていただいてとても嬉しいです。今日は楽しんでいってくださいね。それではさっそく歌います。伴奏するのはパーカーです」
アリアの紹介に、頭を下げるパーカー。
そして静かに、ギターに似た弦楽器を弾き始める。
音はギターよりも高く響く。マンドリンに近いか。
不思議なリズムを刻んでいる。
アリアがそっと歌いだす。透き通る透明な声。
「る~、ら~、らぁら~」
と意味のない音を発していく。声量が増えたかと思えば、また細くなる。
リズムが一定しないので最初は大丈夫なのかと少し心配した。
けれども、どこか安心できる音と歌声だった。
アリアとパーカーが奏でる歌は何かに似ていた。
まるで波のようだった。
そう思ったとき、はっと息を飲んだ。
砂浜へ寄せては返す波の音と同調している。
だから、リズムが一定じゃないのに安心できるのか。
水に親しい人魚ならではの演奏法と言えた。
ザザァ……ッと打ち寄せる波に合わせてアリアの声が広がる。
そして退いていく。
気が付くとただの声だったのが、言葉になっていた。
海の遠くへ旅立った恋人、その帰りを待ち続けて海に恋人の無事を願う、切ない歌。
魔力を帯びた美しい歌声に引き込まれていく。
砂浜の他の客たちも静まり返っていた。串焼きを口にくわえたまま動きを止めてる客までいる。
最後は氷が解けるように静かに消えた。
客たちは歌に飲まれたあまり、終わったのにしばらく気付いていなかった。
次第に我に返った人々から拍手が起こり、入り江が一気に騒がしくなった。
アリアは軽く今の曲の紹介をして、また歌い出した。
海を称える歌や、自然を称える歌、おいしい魚の歌、勇者と人魚の悲恋の歌が披露された。
人々は歌声に熱狂していく。
ただ演奏が続く間は、誰も口を開かない。食い入るようにステージ上のアリアを見て、美しい声に身をゆだねている。
歌に魅了されたのは人だけではなかった。
しばらくしてアリアの周りに燐光が集まり始めた。
「あれは、精霊か?」
青い水の精霊、赤い火の精霊、緑の木の精霊など。
さまざまな精霊が飛び交い、ステージを華やかに彩った。
微笑みを浮かべて真剣に歌うアリアの顔を美しく照らした。
あまりにも神秘的な美しさに人々の口から「お……おお……」と呻き声のような感嘆の声が漏れた。
曲が終わって盛大な拍手。
アリアはしばらく曲の解説や海の実態、また人魚の本当の生態を話した。
不老長寿と料理についても。
「皆さん勘違いしてるけど、人魚を食べても長生きしないのよ。でもね、人魚の伝統食はすごいの。とてもおいしいし、長生きできるようになるの。たぶんそれが間違って伝わったんだと思う。だから人魚を食べないでね。え? 料理は人魚の秘伝だからお金を貰っても食べさせられないわ。――仲良くなった人だけ食べさせてあげるけどっ」
ざわざわと話し合う人々。
くすっと悪戯っ子のようにアリアは笑ったが、すぐに真剣な顔に戻って言った。
「それでは続きまして、5曲通しで歌います。人間さんが知らない、海の思い出を伝える歌です」
パーカーが弦を掻き鳴らし、嵐のような旋律を奏でる。
アリアは低い声から高い声までを自在に駆使して、イメージを伝えていく。
まずは凶暴なシロクマの歌だった。次は聡明な貝の歌。
そして愚かなヒトデの歌。恐ろしいクジラの歌。誠実なイカの歌と続いた。
イカの歌が終わったとき、横にいたルーナは目を真っ赤にして、でも涙を堪えていた。
最初は気付かなかったがヒトデ辺りで、かつての大海支配者を称える歌だと悟った。
歌い終えたアリアが言う。
「今日は素晴らしい日となりました。人魚が初めて人間さんたちの前で歌を披露できた記念すべき日となり、また、今日新しく生まれた歌をそのまま伝えられることを、アタシは嬉しく思います――では、歌います」
パーカーが弦を一本だけ使って、か弱い旋律を奏でた。
アリアがそっと歌いだす。精霊たちが明滅しながら飛び交う。
歌の内容はこんな感じだった。
生まれたばかりの小さな子。弱くて何も出来なくて、それでも諦めず愛と真実を求めた。
次第に海は激しく荒々しく立ちふさがり、求めるものを手に入れるのはとても困難になっていく。
それでも歯を食い縛って前へ進んだ。
壮大な曲となっていく。
とても勇敢なクラゲの歌だった。
今日誕生した大海支配者を称える歌。
アリアは歌う間、ずっとルーナを微笑みを浮かべて見ていた。心からの賛辞を歌声に乗せて。
『人魚の島は知ってるわ。あなたの頑張り、勇気と健気さ。海はすべてを包んでくれる』
ルーナは泣いていた。
「今までもこれからも、あたいはずっと一人だと思ってた……あたいが何をしてきたか、知ってくれてる人がいるってだけでも嬉しいものなんだね……ゆーしゃだけかと思ってた」
「そうだな。お前はそれだけのことをしたんだ。もっと知られていい。でもルーナの物語はまだ始まったばかりだぞ。続きはこれからだ」
「そーだね。頑張るのよさっ」
ルーナを称える歌が終わった。
アリアがルーナへお辞儀をした。
「さて、皆様方。だいぶ夜も深まって参りました。次の曲で今日のショーは終わりにしたいと思います」
「「「えええっ!」」」
歌に魅了されて時間を忘れていた客たちがいっせいに騒いだ。
アリアは、くすっと笑ってから言った。
「今日このような場所をもてたのも、すべては勇者さまのおかげです。――最後の曲は勇者さまのリクエストにお答えしたいと思います」
これには誰も反論を唱えなかった。
勇者を敬う心がちゃんと行き届いているようでなにより。
アリアが俺を見て尋ねる。
「――どのような感じの曲を聞きたいですか? 勇者の活躍を称える歌にしましょうか」
俺は少し考えてから言う。
「海で死んでいった者たちを慰める、鎮魂歌、レクイエムみたいなのを頼む」
「……承りました、勇者さま」
ルーナが和服の袖を引っ張って囁いた。
「ゆーしゃ……ありがとう」
「別にいいさ、これぐらい」
アリアがパーカーを振り返って小声で話し、ジェスチャーを加えて軽い打ち合わせをした。
そしてパーカーが渋みのある真面目な顔をして弾き始めた。
弦楽器から奏でられる神聖で厳かな音。
歌声は厳粛な賛美歌のように。
人々の心を浄化していく。
精霊がアリアを包むようにとび、アリアの歌声がますます輝く。
――これアンデッドが聞いたら絶対昇天する魔力がこもってる。
そんな事を考えながら、俺は海で散っていった者たちの安らぎを祈った。
ルーナは胸の前で手を合わせて祈った。
「おとーさん、ありがとう。安らかに眠ってね。あたいたちはもう心配いらないから」
すると海が輝いた。
幾つもの光が、海面から夜空へと上がっていく。
入江を彷徨っていた浮かばれない魂が次々と。
――魔物の魂か?
港のほうからは一際大きな輝きが昇った。誠実で勇敢な大きな光。
ルーナは昇っていく輝きを見ながら呟く。
「――おとーさん、大好きだよ」
ささやかな想いは風に乗って夜空へ運ばれていった。
レクイエムが終わって光が消えても、さざなみのような余韻はいつまでも残り続けた。
横を見るともうルーナは泣いていなかった。
晴れ晴れとした横顔は、凛々しく美しく引き締まっていた。
アリアが最後に感謝の言葉を述べ、閉会となった。
海へと身を躍らせる。
ちゃぷん、と水音がなり、海面に波紋が広がった。
アンコールの習慣はないようで、人々は魔法の明かりを照らして町へと戻る道を戻っていく。
人魚の歌声を褒めるとともに、歌が聞けたのも勇者のおかげだと口々に称えていた。
俺たちも歩き出すと、セリカが無言のまま、そっと手を握ってきた。
見れば微笑みながらも青い瞳を潤ませていた。いろいろと感動したらしい。
その手を力強く握り返す。
柔らかな体温が肌寒さを感じる秋の夜に心地よかった。
◇ ◇ ◇
と、ここで終われば素敵な一夜だったのだが。
妖精の扉を使うためにケイカハウスへ戻ったとき、シャンデリアの下がる華やかなエントランスで、アリアが尾びれをくねらせて空中を泳ぐように近付いてきた。
「見て見てケイカさん! 大きい金貨! 初めて稼いだお金なの!」
きゃあきゃあはしゃいで大金貨を見せてきた。
先ほどまでとは違う、少女らしいあどけない態度。
神秘的な余韻に浸っていたのにいろいろとぶち壊しで、思わず苦笑してしまう。
でもイヤじゃなかった。心が温まる。
それに俺たちにとっては見慣れた金貨でも、彼女にとっては特別なお金だった。
――いや、人魚にとっても特別かも。
彼女の髪を撫でながら言った。
「よく頑張ったな。素敵な歌の数々、ありがとう」
「えへっ。初めてのお客さんがたくさんいて、緊張しちゃった。でも、あたしも楽しかった!」
はにかむように照れて笑うアリア。
ルーナが赤い触手を揺らしながら礼を言う。
「あたいも感動した。それに、おとーさんのために、ありがとう」
「ううん。あたしにできるのは歌うことだけだから……ルーナちゃん、大海支配者おめでとう。――勝手な言い分だけど人魚はあなたたちを嫌ったわけじゃなかったの。だから、人魚の島にも遊びにおいでね」
「わかってる。おとーさんが守ろうとした島だもの。わかったのよさ」
アリアは手を差し伸べた。ルーナは一瞬だけ躊躇してからその手を掴んだ。
二人は友達のように見つめあって、にっこりと微笑む。
握手した手はなかなか離れなかった。
第六章終わりです。
読んでくれた皆さん、応援してくれた皆さんありがとうございます。
この章ではルーナの物語、ミーニャの物語を書くことが出来ました。
チシャはいらなかったかな。改稿しようか悩みます。
あと皆さんの応援のおかげで、書籍化することになりました。
少し大変そうなので、第七章の開始はしばらく先になります。
何も書かないわけではなく、閑話でラピシアやレオ、リオネル辺りを書こうかなと。
不定期連載です。
それではありがとうございました。