第112話 ルーナと侯爵とドラゴンと
日がだいぶ傾いて、風に夕暮れの匂いがし始める頃。
俺は外輪船へと戻ってきた。
フィオリアから貰った服を持って、ルーナの部屋に入る。
なぜかルーナは全裸でうろうろしていた。胸が膨らみ、腰は引き締まり。手足がすらりと長かった。
俺に気付いて瞬時にベッドへ飛び込む。
「きゃっ! ノックしなさいよさ!」
「来るのわかってただろ。ほら、服だ」
ベッドに近寄り服を渡した。
顔を真っ赤に染めたルーナは急いで手繰り寄せた。
俺はじっと見ていた。
怒った目で俺を見る。
「なにしてるのさ! 出て行って!」
「着方、わかるのか?」
「あっち行って!」
「はいはい」
俺は部屋を出た。
甲板に出ると、いたのは船長だけで、見張りのナナはマストの上にいなかった。
船長に話しかける。
「ナナや人魚のクリスティア、あと子供たちは?」
「ナナさまとクリスティアさんは泳ぎに、子供たちは船室でさぁ。体調が悪いらしくて」
「あー、なるほど」
――聖金の影響かもしれないな。
「ここにいたら子供たちに害があるかもしれないから、クリスティアが戻ってきたら待機するように言っておいてくれ。連れて行く」
「わかりました。ナナさまは?」
「ナナはまだ見張りとしていてくれたほうがいいだろう……てか、ナナは様付けなんだな」
「そりゃあ、もう。この船の守り神ですからな。へたなこと言えませんぜ」
10日間ぶっ通しで見張りをしたことで、船員達からそうとう感謝されているようだった。
人とナーガが信頼しあう関係になれたのは、いいことだ。
その時、船室のほうから「ゆーしゃぁぁ! ゆーしゃああああ!」と叫ぶ声がした。
予想通りだと思いつつ、苦笑しながら船長と別れて部屋に向かった。
部屋へ戻ると、ルーナはベッドの上でべそを書いていた。
「どうした、ルーナ?」
「何がどうなのかわかんないの……おかーさん呼んでほしぃのよさ」
「今どこか行ってる。教えてやるから」
「……うぅ。わかった」
のろのろとシーツの中から服を出す。
「えっとだな、これはパンツだ。下に履く。二つの穴に足を通すんだ。できるか?」
「うん……やってみる」
シーツを頭から被り、もそもそと動く。
「次にこれが胸用の下着だな。この三角の部分が胸に当たるように紐は肩にかける……ルーナには小さいかもしれないな」
「やってみる」
手渡すと、またもそもそと動いた。
下着を着たと思ったら、突然バサッとシーツをはねのけた。
小さな面積の白の下着に隠されただけの裸体が晒される。大人になりきってない華奢なラインが美しい。
「こんな感じ?」
しなやかな手を腰に当てて、ポーズを取る。赤い触手と髪がゆらゆら揺れた。
「……大胆な奴だな」
「え、でも。海草の服と一緒でしょ? 布でできてるだけで」
「まあ、そうかも。あとこれも着てくれ。その格好じゃ変態に思われる」
俺がブラウスを広げると、ルーナはすごく嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「それ、泳ぐのに邪魔そう」
「ああ、そうか。それで混乱したのか。あとで俺特製の超泳ぎやすい服を渡してやる。それまではこれを着ててくれ」
「わかった」
ブラウスを着せて、スカートを履かせる。
頭のクラゲがなければ、良いところのお嬢さんっぽくなった。
幼かった瞳には理知的な光が見え、肢体は引き締まっていてスタイルのよさが出ていた。
あとは剣と荷物を持たせて連れ出した。
妖精の扉へ向かう。
「どこ行くのさ?」
「妖精の扉だ。あまり人には言うんじゃないぞ」
「うん」
妖精の扉を通るとき、ルーナは目を丸くして驚いていた。
妖精界を経由して侯爵の住む地獄へ。
扉を設置した地下室は歩くだけで埃が舞った。
「うう……あたい、乾いたとこ苦手」
「海の生物だもんな……やっぱり乾燥苦手なのか」
「水飲めば普通に大丈夫」
「それなら人と変わりないな。じゃあ、行くぞ」
廊下に出て上へと向かう。
途中、侯爵の配下と会ったので、案内を頼んだ。
執務室に案内される。
部屋に入ると、机に侯爵は座っていなかった。
すると背の低い執事のムラートが、部屋の明かりを消した。
真っ暗闇の中で、2つの赤い光が灯る。
侯爵の目の輝き。
ピカッと部屋に雷光が走る。
「ふはははは! よくぞここまできたな勇者よ! 我こそが地獄の支配者――」
「――《蛍光》」
俺は呪文を唱えた。
ぼうっと部屋に黄緑色の光が灯る。
光に照らし出された侯爵は、子供みたいに地団太を踏んで悔しがっていた。
「くっ……この演出もダメだと言うのか!」
「何やってるんだか……今日は2つの用事があってきた」
「ほう、なんだ?」
俺は隣に立つルーナを前に押し出した。
「この子を鍛えてやって欲しい。アサシンスキルの上手な使い方を特に」
侯爵は眉間にしわを寄せてジロッと睨んできた。
「人助けをしろというのか? 戯言にも程がある。我輩はこの世を闇に染める絶対悪! 奪うことはあっても、与えることなぞするはずがない! ふはは……まあ、そやつは人ではなく魔物みたいだが」
「どうしてもだめか? エビルスクイッドの娘なんだが」
「なっ!? ――そうか、奴の娘か……あいつには借りがあったな」
「ほう、何があった?」
「魔王が我が地獄を滅ぼすかどうかを決めようとしたとき、エビルスクイッドは我輩の素晴らしさを魔王に訴えて、不干渉を決めてくれたのだ。その後、何度も魔王軍に誘われたがな。何度か酒を飲んだものだった」
「あいつは、とことん魔王軍のことを考えていたんだな」
「おとーさん……」
ルーナは寂しそうに呟いた。
「飲み友達のよしみだ、特別に計らってやろう」
侯爵はパチンと指を鳴らした。
すると妖艶な女性が現れた。犬歯が鋭い。ヴァンパイアのようだった。
「お呼びでしょうか、侯爵さま」
「この娘を鍛えてやれ。スキルは暗殺者だそうだ」
「はっ! 仰せのままに」
「じゃあ、ルーナ、頑張れよ。俺を倒せるぐらいにな」
「……うん、絶対かたきうちするから!」
女ヴァンパイアに連れられてルーナは出て行った。
侯爵と向かい合う。
「で、もう1つの要件とはなんだ?」
「移住先のドラゴンと顔合わせをしておこうと思ってな」
「ふむ。そうだな。そろそろ会っておこうか」
バサァと大げさにマントを翻した。
「そうそう。事後承諾だが地下室に妖精の扉を設置させてもらったぞ」
「む……構わん。しかし妖精の扉だと? まさか妖精界を救ったのか?」
「ああ、さくっと亡霊を倒して取り戻した」
「それでこそ我輩のライバルだ」
くくくっ、と悪い笑みを浮かべた。
「じゃあ行くぞ。――っと、そのままでは通れないから、今だけパーティーに入ってもらう」
「好きにするが良い」
不遜な態度で堂々と立った。こういう動じない態度は評価したい。
【勇者の証】を懐から取り出して、侯爵をパーティーに加えた。銀色のメダルの裏を見ると、デスペラートと表示されている。
そして妖精界を経由して、グリーン山に向かった。
◇ ◇ ◇
グリーン山の山頂。東の空に太陽が昇る。
雲海の上の明るい日差しに、侯爵は眩しそうに目を細めた。
「ここがそうか……殺風景な場所だな」
「見晴らしがいいと言ってやれ――入るぞ」
両開きの巨大な扉を押して洞窟の中へと入る。
奥へ入ると、サッカー場ぐらいある大きい広間に出た。天井も高い。
真ん中辺りにエメラルドの塊のような緑のドラゴンがうずくまって首を捻っていた。
「う~ん、機械の神は言語制御が難しいな……ん? おはよう、ケイカではないか。朝も早くからどうした?」
「こっちは朝か。おはよう。ダンジョン作り頑張ってるようだな」
「うむ。徹夜してしまった。しかし、いいところに来てくれたものだ……そやつは?」
侯爵を見るなり、緑の目を細めた。警戒したのか威圧する力が強くなる。
侯爵はマントを広げた。風もないのにばたばたとはためく。下に着ている仕立ての良い燕尾服が見えた。
「くははっ、我輩こそが地獄を生み出す絶対悪! この世で最も恐ろしいの支配者、デスペラートだ!」
「ああ、あの小さな村の村長か」
ドラゴンが呆れたように言うと、侯爵は斜に構えてポーズを取った。
「支配者であることに変わりない。そう言うドラゴンこそ、洞窟に引きこもって無為に過ごしているだけではないのか?」
「何を言うか! これでもダンジョンコンクールに2度も優勝したことがある実力者だぞ!」
あっはっは、と侯爵は豪快に笑った。
「他人の作ったルールの中で喜んでいられるとはな! 器が小さいぞドラゴン!」
「な、なんだと!」
「ルールなんてものは自分で作り出してこそ! それこそが絶対なる支配者なのだ! フハハハハッ!」
「くっ! 言ってくれる!」
ドラゴンは睨みながら、ギリッと牙を噛み締めた。
俺は呆れながら2人の間に割って入った。
「まあまあ2人とも、仲良くやってくれ。というか、侯爵はあれだな」
「なんだ?」
「魔王がいなかったら、侯爵が魔王になってたかもしれないな」
「ふふんっ。わかっておるではないか、ケイカよ。魔王がいなければ我輩がこの世を地獄で染め上げてやったわ! ふははは」
――それはそれで生き物たちのユートピアになっただろうけどな。
ドラゴンが俺へ尋ねてくる。
「で、なぜヴァンパイアの親玉を連れてきたのだ?」
「お前のダンジョンにしばらく住まわせようと思ってな」
「なっ! いや、しかし!」
「侯爵は魔王軍を裏切ってたまごを手放してくれたんだ。だから魔王が倒れるまでの身の安全を確保してやらないといけない」
「た、たまごを……そうだったのか。そのたまごは我の子だ。裏切ってくれたこと感謝する」
ドラゴンは頭を下げた。
侯爵は俺をジロッと見た。
「む。ドラゴンが我輩を受け入れるなど、と思っていたが、そういうことだったのか。ケイカは相当な策士ではないか」
「まあ、悪い取引ではなかっただろ。というわけでドラゴン、侯爵を住まわせてやってくれ」
「よかろう。一人で住むのか?」
ドラゴンの問いに侯爵が答える。
「いいや、部下達全員だ。4000人いる。一番広い場所を提供してくれ。村と同じように支配するつもりだ」
「というと、第9階層か。草原に環境設定を変えてもう少し広げて、あとは建物か」
「ふむ。そちらで提供するという話だったができるのか?」
「DPを消費すれば簡単にできる。ただ、適当に配置して良いのか?」
「むむ……」
侯爵は腕を組んで唸った。
俺は言う。
「ダンジョンの目的、および、階層のクリア条件。人が来たときの対処法を考えてから設置したほうがいいんじゃないか?」
「なるほど、冒険者が来る可能性があるのか……我輩の手に掛かれば余裕だな。袋小路にして圧死させる」
ドラゴンが言う。
「それはできないのだ」
「というか侯爵にダンジョンの仕組みを教えたほうがいいんじゃないか? でないと考えようがないだろ」
「そうだな。このダンジョンは~……」
ドラゴンが説明して、侯爵は聡明な瞳を輝かせて聞いていた。
何かを作る、支配すると言うことが好きらしい。
説明を聞き終えた侯爵が、ふんっと鼻を鳴らした。
「なるほど。つまり、クリア不可能な階層は作ってはいけないのだな。くだらんルールだ。だが安全のためにはしかたがあるまい。協力しようではないか」
「助かるよ、侯爵。そういえば、ダンジョンコンクールまでもう時間がないんじゃないか?」
「ああ、残り1週間だ」
侯爵が首を傾げた。
「ん、さっきも言っておったな。コンクールとはなんだ?」
「ダンジョンの素晴らしさを競い合って、優勝すれば賞品がもらえる」
「ふん。ただの遊びではないか。ますますくだらん」
俺はさとすように言う。
「ただ今回手に入るのはこの世界では手に入らない『銀鉄』だ。魔王を倒す聖剣の材料でもある。人の手に渡ることを阻止するためにヴァーヌス教が初参加するぐらいだ」
「ほう、魔王の手先か、なるほど。――これは負けられぬ戦いのようだな。我輩も知恵を貸してやろう」
「じゃあ、3人で考えるか」
立ち話もなんなのでテーブルのある場所まで移動した。
兎の獣人ジェラートがお茶を運んでくる。
そしてドラゴンが俺たちを管理者のゲストに加えたため、ダンジョン管理画面が見られるようになった。
しばらく俺と侯爵は茶を飲みながら考え込んだ。
明日からはまた夜更新です。