3層目⑩:無駄足の先に
「……あれか。」
ヒカルの視線の先には、小ぢんまりとした数階建ての病院が佇んでいた。
清潔の象徴である無機質な白壁には蔦が這い、手入れが絶えて久しいことを見るものに伝える。
壁もところどころ崩落し、風雨を防ぐ役目すら果たしていないように見える。
規則正しく並んだ窓は、長年の汚れに曇り、光を受けて薄く乳白色に濁っている。
「思ってたよりも小さいな。」
病院に向けて歩みを進めながら、ヒカルが言う。
「きっとここだけじゃなくて他にもあるんだよ。それか……、みんな体が丈夫だったとか。」
「文字通り、今は見る影もないけどな。人も、病院も。」
ヒカルの言葉通り、通り抜けてきた住宅区画の規模にしては、少々不釣り合いに小さい。
めぐるの言う通り、医療区画に小分けにするようにいくつかの病院が建てられているのだろう。
建物に近づき、二人は改めて外見を観察する。
「あっちはあまり崩れてないね。」
蔦はあちこちに這っているものの、崩落しているのは「旧病棟」とでも呼ぶべきか、崩落の少ない建物よりも幾分古めかしい部分が主であった。
「入り口は……、ゆがんでるな。なぁ、めぐるこれって直せるか?」
「直せそうだけど、ここだけ直してもダメかも。」
「ほかにも直さないとダメか?」
ヒカルがいぶかしげに言う。
「入り口を直せば入れるだろうけど、その後が心配というか。」
「その後ってなんだよ。」
「あちこち崩れてるでしょ?例えば、いつ天井が崩れるかわからない……というか。地下があったらいきなり落っこちるかもよ。」
「そういうことか」と納得し、ヒカルは顎に手を当てうなる。
しばらく考えた後、ヒカルは小さくうなずくと、めぐるのほうを見た。
「どうする?」
「せっかく来たけど、探索はあきらめよう。」
「それがいいかも。」
めぐるの同意を受けて、ヒカルは改めてうなずくと、視線を病院に移してつづけた。
「めぐるの言う通り、入っても急にどこか崩れるかもしれない。俺たち……、少なくとも俺の目的は、ケガに備えて医療用品があればと思ってきたわけだし。」
めぐるは何も言わず、じっとヒカルを見つめている。
「それでケガしちゃ、元も子もないだろ。無駄足で骨は折れたけど、まだケガはしてない。」
ヒカルが冗談交じりにやれやれとため息をつくと、めぐるはくすくすと笑った。
一言二言の会話を交えながら、ヒカルは何かを探すように視線をきょろきょろと動かした。
急な予定変更により、この先どうするか、落ち着いて考えられる場所を探していた。
「向こうは木陰が多そうだな。ちょっと休んで、この先どうするか考えよう。」
「ずっと歩き通しだったもんね。座れるところ、探そっか。」
二人は病院の入り口を後にし、木陰の多いほう――病院の中庭に向けて歩き始めた。
中庭は小さくはあるものの、小さな花壇が点在し、傍らにはコンクリート製の簡素なベンチが配置されている。
かつては入院患者の憩いの場であったことがうかがえる一方、その全てが砂埃にまみれ、蔦に巻き付かれている。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、あそこ、誰かいる……?」
ヒカルが指さした一角は、人の手入れが絶えたはずの中庭で、不自然に"奇麗"に整えられている。
いや、誰かが自分のためにその一角を整え、ベンチに座って眠っていた。
ヒカルの後ろを歩いていためぐるは、小さく背伸びをしてヒカルの肩越しにその一角を見た。
そこには、木陰のベンチに座り、銀色の髪はより青みを増して、黒いコートを着た人影があった。
「ツキノ……?」
ぽつりと漏らしためぐるの動揺に呼応するように、風もないのに木々が小さくざわめいた。
「ん……」と小さな唸りとともに目を覚ますと、ツキノと呼ばれた人影は少々ばつの悪そうな苦笑いを浮かべた。
ウルトラご無沙汰しております。
ちょっとだけ時間が取れたので、物語の続きを形にできました。
お待ちいただいていた皆様、そしてじっくり読み進めていただいた方、ありがとうございます。
深々と感謝申し上げます。
特に評価をつけてくださった方、何よりの励みになりました。
今後とも二人――いや、三人の物語を見守っていただけると幸いです。




