第6話 最適な対象者
カロンはビルの屋上に停泊させていた小型船の操縦席に座り、次の調査地点を確認していた。これまでの調査で、宇宙エレベーター周辺の主要施設と地上側の接続設備については、おおよその状況を把握できていた。軌道上の施設も、母船から派遣した作業機械によって少しずつ復旧が進んでいる。
次の調査地点を検討している最中に、アティから通信が入った。
<カロン調査員、本国より追加の指令が届いています。確認しますか?>
「分かったアティ。読み上げてくれ」
端末に本国からの通信記録が表示される。
<まず、軌道上施設の復旧作業について、本国より評価と謝意が伝えられています。現在の作業状況は良好であり、引き続き復旧を進めてください。また、母船に搭載されている資材が不足した場合には、追加の資材を輸送する準備を進めています>
「了解した。必要な資材については、こちらで随時報告する」
<なお、軌道上施設の状態については本国からも遠隔監視が可能です。定期的な確認だけで問題ありません。地上での調査と復旧作業を優先してください、とのことです>
「分かった。軌道上の作業は自動化できる部分も多い。監視の頻度を下げても問題ないだろう」
僕は次の項目に目を移した。
<続いて、現地の子供たちとの接触についてです。救助活動を含め、これまでの対応に特段の問題はありません。むしろ、現地住民との不要な摩擦を避けながら人命を救助したことは適切な判断だったと評価されています>
「それならよかった。あの子たちを放置するわけにはいかなかったからね」
脳裏に、数日前に出会った子供たちの記憶がよみがえった。
少年の方は素直でおとなしく、理解も早いように見える。
もう一人の野生児は……うん、まあ。野生児だな。
<ただし、地球上のすべての地域が同じ状況にあるわけではありません。北半球の一部地域では、独立性の強い自治共同体が存在し、外部からの介入に対して強い警戒心を持っています。特に人工知能の利用については、文明の復旧が進んでいる地域ほど反発が強い傾向が確認されています>
「AIに対する反発か……」
<はい。特にEast Asian Sphere(EAS)では、過去の文明崩壊を経ても、一定水準の社会基盤と技術体系を維持しているとの報告があります。これらの地域では、独自の統治体制や技術的な方針が確立されており、外部からの技術的な介入を好まない可能性があります>
僕はその情報を記録した。
地球の文明が一様に失われたわけではないということか。地域によっては、僕たちが想定している以上に複雑な社会が形成されているのかもしれない。
<そのため、現地住民との接触には十分注意してください。調査活動に際しても、相手の生活や文化、自治権を尊重し、不要な技術の提示や介入は避けることを推奨します>
「了解した。接触が必要な場合は、事前に状況を確認する」
僕は通信記録を次の項目へ進めた。
<最後に、次期調査計画についてです。今後、地上施設の本格的な復旧を進めるためには、相当量の資材が必要になると予測されています。すべてを本国から輸送することは現実的ではないため、現地での資材調達を前提とした調査を実施してください>
「現地調達か。具体的には?」
<周辺地域における資源の分布、採取可能な材料、既存の工業施設や生産設備の状態を調査してください。また、復旧作業に協力できる人的資源についても把握する必要があります。人口分布、集落の規模、各地域の自治体制なども調査対象に含まれます>
「つまり、周辺地域の資源と人員の調査だね」
<そのとおりです。調査期間として、6周期分が割り当てられています>
「了解した。調査計画を立てて、順次報告する」
<以上が追加指令の内容です。任務の継続をお願いします>
追加の指令が終了しても、僕はしばらく地図を眺めていた。
地上の施設を再び稼働させるには、現地の資源と、そこで暮らす人々の協力が欠かせない。
まだ初期調査の段階に過ぎない。地上の復興には、これから果てしない時間がかかるのだろう。
「アティ、周辺地域の人口分布と居住地の推定データを表示してくれ。まずは宇宙エレベーターを中心に、調査範囲を設定しよう」
<承知しました。現在取得できているデータを統合します>
僕は表示された地図を拡大し、調査ルートの検討を始めた。
6周期。地球時間に換算すれば90日か。まずはこの周辺を一通り調べるには十分な期間だろう。
地図を確認しながら調査ルートを検討し、次の目的地を人口が多いと思われる地域に定めた。
「アティ、次の調査地点は南東のここにしよう」
<旧都市マイリですね。文明崩壊前には380万人が暮らしていたという記録が残っています。ここからの直線距離は330キロです>
「そうだ。まずは周辺の居住状況を確認しよう」
周回衛星の観測対象を都市周辺に切り替え、撮影範囲や観測条件を設定していく。
すべての作業を終えて立ち上がったときだった。
僕は少しよろめいた。
「おっと……?」
少し疲れているのかもしれない。
目的地は今すぐ移動しても問題のない距離ではあったが、無理をする必要はない。今日は早めに休んで、明日の朝に出発しよう。その頃には衛星からの情報も集まっているはずだ。
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「遠くで…………アラームが鳴っている……」
僕はアティを呼ぼうとしたが、何かがおかしい。
起き上がれない?
全身に、まるで全力疾走した後のような筋肉痛がある。身体を動かそうとしても、思うように力が入らなかった。
「アティ、アラームを止めてくれ。あと、体が痛い。何が起こっている?」
アティに原因を尋ねたが、アティにも原因を特定できないようだった。
<カロン調査員、アィーダに権限を委譲して原因を調査します。そのままお待ちください>
すぐに生活やインフラを司る医療健康管理AIに切り替わり、問診が始まった。
最初は何が何だか分からなかった。僕の体はどうなっている?
昨日は特別な運動をしたわけでもない。走ったり、飛んだりした覚えもない。それなのに全身が痛む。そして、ひどく寒い。
「室温を上げてくれ」
<カロン調査員、現在の体温は39.2℃です>
「39? え? どういうことだ?」
うまく頭が働かない。39℃という数字が何を意味するのか、すぐには理解できなかった。人間の平熱が何度なのかさえ、正確には覚えていない。ただ、教育課程で42℃を超えると危険な状態になると教わった記憶はある。
アィーダは次々と記録を調査していく。
<昨日からのバイタルデータを確認しています。2時間前から発熱が始まっています>
<昨日摂取した食事と飲料を確認しています。特に問題はありません>
<処方された医薬品を確認しています。6日前にジフェンヒドラミン系の薬剤が処方されています>
<使用状況を確認しています>
<カロン調査員、処方された薬の使用目的を教えてください>
「薬? うーん、分からない。いや、何か……そうだ。何か痒かったんだ。虫に刺されたんだと思う」
<了解しました。虫刺されの記録と現在の症状から、何らかの感染症の可能性があります。これから医療チェックを行います。操縦席に移動し、医療カプラーを腕に装着してください。血液検査を実施します>
ベッドから起き上がったが、自分の身体が自分のものではないようだった。視界がぐるぐると回り、立ち上がることさえできない。それに、寒いのに顔の周りだけがやたらと熱い。
発熱状態というのは、このことなのか?
もしかして、これが病気になるということなのか?
「なん……だ。どうなっている?」
さまざまな思考が頭の中をぐるぐると回り、まとまらない。ただ、一つだけはっきりと言えることがあった。
これは無理だ……。
噂には聞いていたが、病気になどなったことはない。そういえば、同僚が同じように病気になったと笑いながら話していたことがあった。あのときは冗談のように聞いていたが、これは笑い事ではない。
「もしかしたら……俺は死ぬのか?」
そう思った途端、恐怖が一気に込み上げてきた。
気合を入れて震える身体を奮い立たせ、操縦席に座った。サイドボックスから医療カプラーを引き出そうとしたが、うまくいかない。
やっとの思いで装着を終えると、椅子を倒し、アィーダに告げた。
「アイ、頼む」
検査が始まったようだったが、それ以上はつらくなり、ぐったりと眠るように意識を失った。
何時間経ったのだろう。いや、もしかしたら数分なのかもしれない。時計を見ると、眠っていたのは2時間ほどだった。
「アイ、どうなった? 検査結果は?」
<カロン調査員、現在の体温は38.1℃まで低下しています。血小板数の低下とクレアチニン値の上昇を確認しました。腎機能への影響が疑われます。感染症の疑いがあるため、追加検査を実施中です>
「そうか……」
<今回の処置は対症療法です。症状を緩和するため、解熱剤と栄養剤の投与、水分補給を行いました。原因の特定と治療には、引き続き経過観察が必要です。本日は安静にしてください>
「分かった。ありがとう、アイ」
気がつくと、全身にものすごい汗をかいていた。着ていた服も椅子もびっしょりだった。
それでも、身体は随分と楽になっていた。さっきまでの激しい痛みも、立っていられないほどのめまいも、少し落ち着いている。
病気というものを初めて体験して、思わず笑ってしまった。
なるほど、これが病気というものなのか。
本国に帰ったら、みんなにも報告しよう。凄い体験をしたと。
しかし、夜になっても熱は下がらず、逆に症状は急激に悪化していった。
<カロン調査員、応答してください>
<カロン調査員、応答してください>
<カロン調査員、応答してください>
遠くでアイが何か言っている……。
自分がどんな状態になっているのか分からない。ただ、熱が出ているという程度ではない。苦しい。このまま死ぬのか……僕はこのまま……誰か……。
<船内酸素濃度を上昇させます。火気の取り扱いを現時点をもって制限します>
<緊急手順に従い、指揮管理をアトモスに移譲します。本国への緊急通信を開始。医療カプセルへの搬送を準備してください>
<管理をアィーダから引き継ぎました。カロン、起きてください>
アティの声が聞こえる……そうだ。調査の続きをしなければ。
次の目的地はどこだったかな……。
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<自然回復。現在の感染症進行度および臓器障害を評価。救命可能性は極めて低い。不可>
<船内設備による経過観察。治療薬の投与なし。症状進行を抑制できない。不可>
<船内医療設備による集中治療。対応可能な医療機器が不足。不可>
<人工呼吸管理。実施可能。感染症および臓器障害への治療効果なし。単独実施は不可>
<輸液および循環管理。実施可能。継続的な医療監視が必要。有効性あり>
<TOSへの帰還。最短所要時間8時間30分。救命可能性が低下するため不可>
<本国への緊急受け入れ要請。感染症の疑いにより受け入れ不可>
<ヨーロッパ医療施設からの救援。到着予想時間4時間30分。不可>
<北米医療施設からの救援。到着予想時間を算出。救命可能時間を超過。不可>
<南米大陸内の医療施設を検索。該当施設なし。不可>
<他の調査船への救援要請。現在位置および到着時間から判断。不可>
<アィーダによる診断情報を再解析。治療可能な医療設備を検索。マカパ軌道施設に該当設備あり>
<軌道上作業ロボットによる該当設備への搬送。所要時間2時間10分。条件付き可能>
<現地住民による搬送。予想所要時間25分。有効>
<現地住民の協力を要請。最適な対象者を選定>
<過去に接触した現地住民。2名を確認 救助要請を開始>
船内に静かな駆動音が響き始めた。
操縦席のモニターに次々と情報が表示され、消灯していた計器類に淡い光が戻っていく。誰も座っていない操縦席の前で、自動操縦システムが起動した。
小型船はゆっくりと姿勢を変え、建物の屋上に接していた着陸脚を格納する。船体の下部から淡い光が漏れ、屋上に積もった砂埃が静かに舞い上がった。
やがて船体がゆっくりと屋上を離れ、高度を上げていく。
窓の向こうには、初夏の太陽がまぶしく輝いていた。強い日差しを受けた街の緑は鮮やかにきらめき、かつて大勢の人々が暮らしていた建物も、今ではすっかり植物に覆われている。遠くには広大な森が広がり、その向こうには川の水面が陽光を反射して、まるで無数の宝石を散りばめたように光っていた。
小型船は進路を変え、遺跡の奥にある広場へと向かった。




