第4話 神の塔へ
帰り道、僕はずっと興奮していた。
森の小道には、木々の隙間から夕方の光が差し込んでいた。
僕はそんな景色を眺めながら、さっきまでの出来事を何度も思い返していた。
カロンと名乗った天使は、自分は人間だと言っていた。でも、あんな光の翼を広げて空を飛ぶなんて、普通の人間にできるはずがない。
それに、姿が見えなくなる魔法だって使っていた。
昔の魔法は、本当にすごい。あんなことができるなら、僕たちが知らない魔法が、まだまだたくさんあるに違いない。
「ねえ、マリー。あの光の翼があったら、僕も空を飛べるのかな。そうしたら、神の塔の上まで飛んでいけるよね」
僕は振り返って、後ろを歩くマリーに話しかけた。
でも、マリーは何も答えなかった。
いつもなら、今日捕まえた魚の大きい方は私のものだとか、帰ったら何を食べるとか、好き勝手なことを言うのに、今日は妙におとなしい。
さっきからずっと、僕の後ろを黙って歩いている。
なんだかすごく気持ち悪い。
「マリー、どうしたの? おなか痛い?」
マリーはすぐには答えなかった。何かを考えているように、少しうつむいて歩いていたが、やがて小さな声でつぶやいた。
「ねえ、ルー。人間が空を飛んだとか、姿が消えるとか、ママに話したとして、信じてもらえると思う?」
「え? 僕のお母さんは信じてくれるけど?」
僕は何も考えずに答えたあとで気が付いてしまった、昨日、母さんにガラス森へ行ったことを話してしまったんだった。
危ないからもう行ってはいけないと、泣きながら何度も言われていたのに。
今日も行ったなんて知られたら、絶対に怒られる。
「ママは全然信じてくれなかったの。私のこと、嘘つきだって」
マリーは前を向いたまま、ぽつりと言った。
「そりゃあ、マリーはいっぱい悪いことしてるからね。毎日怒られるようなことをしてたら、信じてもらえないよ」
僕はそこまで言って、しまったと思った。
絶対に叩かれる。
いつもなら、すぐに叩かれると思った。だけど、今日のマリーは違った。
僕の言葉を聞いても何も言わず、しばらく黙って歩いていた。
森の木々の間から、遠くに集落の屋根が見え始めていた。
「もう会えないじゃない」
マリーがそうつぶやいた。
僕には、それが何のことなのか、すぐには分からなかった。
マリーはそれきり何も話さなくなった。
その夜、マリーのお母さんが僕の家にやって来た。
夕食を終え、母さんと一緒に片付けをしていたときだった。玄関の方から声が聞こえ、母さんが手を拭きながら出ていった。
しばらくすると、マリーのお母さんが居間に入ってきた。
マリーはまた叩かれたみたいだった。
「うちの子が、またガラス森にルーカス君を連れて行ってしまったみたいで……」
そう言って、マリーのお母さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
母さんは一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。
「えっ?」
それから、ゆっくり僕の方を振り向いた母さんと目と合った。
コスタおばさんは何度も何度も頭を下げていた。
マリーはずっと下を向いて我慢しているようだった。
きっと信じてもらえなくて悔しいのだろう、そう思った。
だから僕は大きな声で言ったんだ。
「母さん、マリーは嘘なんかついてないよ!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。母さんもコスタおばさんも、驚いた顔で僕を見ていた。
僕は少し怖くなったけれど、ここで黙ってしまったら、マリーが本当に嘘をついたことになってしまう。それだけは嫌だった。
「本当なんだ。僕も一緒に行ったんだよ。ガラス森の奥に、すごく大きな建物があって、その向こうに神の塔が見えるんだ。一緒に行ったけど階段が崩れてしまって……」
うまく説明できているのか分からない。何から話せばいいのかも分からなかった。
「それで、帰れなくなった僕らをカロンが助けてくれたんだ。黒い服を着ていて、背中から光る翼みたいなものが出ていたんだよ。空を飛んでいたんだ。僕たちの目の前で!」
「ルー、もういいのよ」
母さんが僕を止めようとした。
でも、まだ伝えたいことがあった。
「本当なんだよ! カロンは悪魔なんかじゃないよ。僕たちを食べたりもしなかったし、遺跡は危ないからもう来てはいけないって言ったし、それに、神の塔を使えるようにするために調べに来たって言っていたんだよ!」
僕はコスタおばさんを見た。
「マリーは本当のことを言っているんだ。信じてあげてよ。お願いだから……」
そうしたらマリーが突然大声で泣き始めた。
「うわーーーーーーーーん!」
とても大きな声だった。廃墟の上でもマリーは大声で泣いていたけど、本当に悲しそうに泣いたんだ。
「うわーーーーーーーーん! うわーーーーーーーーん!」
コスタおばさんが慌ててマリーを抱きしめた。
しばらくして、マリーとコスタおばさんは帰っていった。マリーは帰るときもずっと泣いていた。その声は、姿が見えなくなってからも集落中に響いていた。
その泣き声を聞いていると、僕もちょっと悲しくなってお母さんに抱きついた。
母さんは何も言わず、僕の頭を優しく撫でてくれた。
その夜、僕はお母さんに全部話した。
カロンは僕たちとは別の言葉を話すこと。でも、魔法で僕たちの言葉がカロンにも分かるし、カロンの言葉も僕たちには分かること。それから、お父さんみたいに黒い髪だったこと。
そんなことを話しているうちに、僕はいつの間にか眠っていた。
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次の日、目を覚ますとお母さんはもういなかった。
テーブルの上には朝ごはんが置いてあったけど、お母さんのお出かけ用のかばんもなくなっていた。きっと朝早くからどこかへ出かけたのだろう。
僕は朝ごはんを食べると、いつものように魚とりの準備を始めた。
そのとき、家の外から声がした。
「ルーカス、ちょっと話を聞かせてもらえるかな」
集落のおじいさんだった。ほかにも何人か大人が一緒に来ていた。
「天使様のことを聞きたいんだ。お母さんから話を聞いたよ。マリーのところにもさっき行ってきたんだ」
おじいさんは僕の話を最後まで聞いてくれた。マリーの話も聞いてきたらしく、二人の話を確かめるように何度か質問された。
「ふむ……」
おじいさんは少し考えてから、ほかの大人たちに話し始めた。
「悪魔を退けた日、あれから機械も神の塔も動かなくなった、黒い天使も、神の塔の関係者かもしれん。あれは神話でも何でもなく、実際に起こったことだとわしは聞いておる」
おじいさんは、僕たちの話を聞いて、技術を持った人間が神の塔を調べに来たのではないかと言っていた。
僕はそれを聞いて、少し嬉しくなった。
やっぱりカロンは本当にいたんだ。
でも、おじいさんはすぐに厳しい顔になった。
「だからといって、ガラス森に入っていい理由にはならん。あそこが危険なことに変わりはない」
大人たちはしばらく話し合っていたけれど、結局、僕とマリーはガラス森に入ることを禁止されてしまった。
その代わり、木の森で木の実を採ってくるように言われた。木の実採りは小さな子供たちの仕事で、いつも僕たちがやっている魚とりより簡単な仕事だけど、全然楽しくない。
特にマリーは、また勝手にガラス森へ出かけてしまうかもしれないと心配されているようだった。
そのあとすぐ、お母さんも帰ってきた。
「ルー、もう危ないところへ行ってはいけないわ。約束できる?」
「うん」
僕は素直に返事をした。
マリーも同じように言われたはずだけど、本当に言いつけを守るかどうかはちょっと怪しい。
きっと、また何か考えているに違いない。
だって、マリーはカロンにもう一度会いたいと思っているはずだから。
なんとなくそう思えた。
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小さな子たちを引き連れて、木の森でキノコや木の実を集める日が何日か続いた。
マリーは木の実を探そうともせず、木に登ってはずっと空を眺めていた。かと思えば、トカゲを捕まえてしっぽをちぎったり、虫を追いかけたりしている。
本当につまらなそうだった。
僕はちゃんと木の実を集めていたけど、マリーがそんな調子なので、小さな子たちまで遊び始めてしまう。おかげで、僕ばかりが忙しかった。
そして、何日か経ったとき、集落で大事件が起こった。
木の実を集める仕事は、太陽が真上に来るまでだった。小さな子たちを連れて、マリーと二人で集落の入り口まで戻ってきたときだった。
広場では、大勢の人たちが空を見上げながら走り回っていた。
何が起きているのか分からず立ち止まっていると、僕たちを見つけたコスタおばさんがものすごい勢いで走ってきた。そして、マリーを抱きしめると、森に隠れなさい、絶対に出てきてはいけないと、ものすごい形相で言った。
「コスタおばさん、何があったの?」
僕が尋ねると、おばさんは震える声で答えた。
「見えない悪魔があなたたちを探しているのよ。マリーとルーカスちゃんを」
そのとき、マリーが突然大きな声を上げた。
「アティだわ! 女の人の声でしょ?」
そう言うと、マリーはおばさんの腕からスルリと抜け出して、ものすごい勢いで広場の方に走っていった。
おばさんはマリーを止めようとしたけど、その場で転んでしまった。
僕はおばさんを起こして、小さな子たちには広場に行かず、裏道から家に帰るように伝えた。
広場に着くと、マリーが見えないアティと話をしていた。
僕の姿を見つけると、マリーは僕に向かって大声で言った。
「ルーカス、カロンが病気で動けないから助けが必要だって。あと、大勢では何かが危険だから、二人で来てほしいって」
そのとき、僕にもアティの声が聞こえた。空を見上げると、見えない空気が揺らいでいるようなものが見えた。
きっと、あれだ。
<感染症の危険があります。カロン調査員と接触したのはあなた方二人です。他の人との接触を避けるため、お二人だけで来てほしいのです>
何が危険なのかは分からなかったけど、カロンが病気だということだけは分かった。
コスタおばさんがマリーを止めようとした。
「待ちなさい、マリー!」
「天使様が病気で死にそうなのに、どうして分からないの!」
そう言うと、マリーは大人たちの間をすり抜けて、あっという間にガラス森の方へ走っていってしまった。
それを見て、僕も木の実の籠を放り出し、マリーの後を追いかけた。
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ガラス森へ向かう森に入ったけど、マリーの姿はもう見えなかった。マリーはいつもの道じゃなくて、まっすぐ進む近道の方を行ったみたいだ。
僕も必死に走った。伸び放題の草が足に絡みつき、木の根につまずきそうになる。枝が顔に当たり、葉っぱが頬をかすめた。それでも立ち止まるわけにはいかなかった。マリーに追いつかなきゃ。
息が苦しくなり、胸が痛くなってきた。足も重くなってきたけど、僕は走り続けた。
そのとき、すぐ頭の上を四角い鳥が飛んでいるのが見えた。低いうなり音を立てながら、僕の少し前を飛んでいる。まるで、こっちだと教えてくれているようだった。
ガラス森の遺跡に入ると、耳元でアティの声が聞こえた。
<慌てなくてもいいので、ドローンに付いてきてください>
多分、前を飛ぶ不思議な白い鳥の事だろう。僕は返事をする余裕もなかったけど、白い鳥を追いかけて遺跡の奥へ走り続けた。
遺跡の奥には、何もない広場がある。そして、その脇には今までそこにはなかった平べったい建物が建っていた。丸くて、四角くて、尖っていて、ちいさなガラス窓が付いていた。
その建物の前で、マリーが仁王立ちになって大声で叫んでいた。
「おそーーーーい!」
僕はやっとのことでマリーの前までたどり着くと、その場に座り込んだ。もう胸が痛くて、今にも割れそうだった。
「なにやってるの、立ちなさい! カロンが死んじゃうでしょ!」
<いえ、死にません。ただ、治療が必要です>
マリーを見ると、どこを走ってきたのかと思うほどボロボロで、傷だらけだった。足と頬からは、どこかで切ったのだろう、血がだらだらと流れていた。
「マ……はぁ、はぁ……マリー、むり……はぁはぁ、待って……」
突然、建物の横が音を立てて開いた。
『カシュッ!』
マリーは躊躇することなく建物の中に入ると、カロンを呼び続けた。
僕もその後に続いて建物の中に入った。
中は思っていたよりずっと広かった。集落にある家とはまるで違っていて、壁も床も継ぎ目がほとんどなく、白くて滑らかだった。明かりがどこから来ているのかも分からない。天井も壁も、ぼんやりと明るく見えた。
大きな部屋には窓がひとつあり、椅子が2つ並んでいた。その前には見たことのない形の板や、光る板が並んでいる。そこが何をする場所なのか、僕にはさっぱり分からなかった。
その横の部屋の寝床にカロンはいた。黒い服ではなく、白くて薄い服を着ていて、顔は赤く腫れ、とても苦しそうにしている。
アティの声が部屋の中に響いた。
<カロン調査員は現在、高熱と頻脈を示しています。体温は40.2度、心拍数は毎分128回。重度の脱水症状も確認されています>
<症状が現れ始めたのは、およそ25時間前と推定されます。現在までに悪寒と発汗を繰り返し、頭痛と筋肉痛も確認されています>
「えっと……何を言っているの?」
僕にはさっぱり分からなかった。
<初期検査で赤血球の破壊と血小板の減少が確認されています。複数の感染症が疑われますが、感染経路は特定できていません>
「森熱病だわ!」
マリーが突然、大きな声で言った。
「蚊に刺されるとこうなるの。みんな子供の頃にかかる病気よ。私のお姉ちゃんは、私が生まれる前に森熱病で死んだって聞いたわ」
そう言うと、マリーはブルブルと震え始めた。
「ルー、どうしよう。森熱病は薬草茶を飲ませて、あとはお祈りするしかないの。このままだとカロンが死んじゃう」
<いいえ、死にません。蚊などが媒介する感染症であれば、治療は可能です>
それを聞いて、僕は一安心した。
そうだ。魔法の機械なら病気も治せると、おじいさんも言っていた。
<ただし、ここには必要な治療設備がありません。軌道エレベーターにある医療施設までカロン調査員を運ぶ必要があります>
「きどう何? そこに運べばいいのね」
そのとき、奥の部屋から小さな声が聞こえた。
「……Mom……」
僕たちが振り向くと、カロンがベッドの上で身体を動かしていた。
「Mom... this planet is terrible... So terrible... It hurts...」
苦しそうに眉を寄せ、何かを訴えるように同じ言葉を繰り返している。
「……I want to go home……」
マリーが心配そうにカロンの顔を覗き込んだ。
<お二人とも、これから医療施設へ向かいます。操縦席へどうぞ>
アティはそう告げると、僕たちをさっきの窓がひとつだけある部屋へ案内した。そこには並んで座れる椅子が2つあり、僕たちは言われるまま腰を下ろした。
すると、足元から小さな振動が伝わってきた。何が起きるのか分からず、僕は思わず椅子の縁を握った。マリーも隣でまっすぐ窓の外を見つめている。
次の瞬間、窓の向こうの景色がゆっくりと動き始めた。
建物が、木々が、地面が、少しずつ遠ざかっていく。
さっきまで目の前にあった森が、みるみる小さくなっていく。
「うわあ……!」
思わず声が出た。僕たちは本当に空を飛んでいた。鳥のように翼を動かすこともなく、風に吹かれることもない。白い建物そのものが、空へ昇っている。
マリーは何も言わなかった。いつもなら大騒ぎするはずなのに、今はただ遠くを見つめている。
やがて、雲の向こうに巨大な塔が見えてきた。
そう、僕たちは空を飛んだ……神の塔へ向かって。




