第3話 神の塔と悪魔の伝説
--僕は夢を見たんだ。いや、うまく言えない。夢のような夢を見たんだ。
現実だったのに、まるで夢みたいだった。
黒い天使が、マリーと僕を救ってくれたんだ。
遺跡から降りられなくなった僕たちを、光る羽を広げて、地上まで降ろしてくれた。
マリーはしばらく動くことさえできなかったし、家に帰ったら、みんなからすごく怒られた。
でも、僕は確かに会ったんだ。
黒い天使に。--
翌朝、僕はすぐにおじいさんの家に行った。そして、黒い天使に会ったことを話した。
「おじいさん、本当だよ。マリーと僕は、ずっと泣いて『助けてー!』って叫んでたらね、黒い天使が空から降りてきたんだ。そしてね、マリーと僕を救ってくれたんだ。」
「黒い天使はね、一人なのに、男の人の声と女の人の声で交互に話すんだ。天使は男の人に見えるんだけど、男の人の方は言葉が通じなかったんだ。でも、女の人とは話が通じるんだよ。きっと女神様かもしれない。わかんないけど」
おじいさんは、うんうんとうなずきながら、興奮して話すルーカスの言葉に耳を傾けていた。
「それでね、僕は黒い天使に祈ったんだ。ここに来てごめんなさい。危ないことは知っていました。マリーがどうしても神の塔を見たいって言うから、僕は止めることができなくてごめんなさいって。
そしたら、黒い天使の女の人が、僕とマリーの体重を聞いてきたんだ」
おじいさんは不思議そうに眉を上げ、ルーカスの顔を見た。
「体重を? それはまた、不思議な話だね」
「うん、よく分からないけど、必要なんだって。それでね、マリーが先に降ろしてもらうことになったんだ。
でも、マリーは『やめてぇー! むりぃー!』って、ずっと言ってたけど、しゅーって降りていったんだ。」
「黒い天使はすぐに戻ってきて、今度は僕の番になった。女神さまの声にね、落ちるから動かないように言われてね。本当にすごいんだよ。あんなに高い遺跡から地面まで、空を飛んだんだ。
天使の羽はね、羽ばたかないの。高くてきれいな音がするんだよ。ピィーンって」
おじいさんは、ふと顔を上げた。ルーカスが身振りを交えて説明する様子を、確かめるように見つめている。
「羽ばたかずに飛ぶのかい?」
「そうなんだよ! すごいでしょ!」
ルーカスは身を乗り出した。
「地面に降りたら、マリーが小さく丸まっていて、ずっと『ごめんなさい、ごめんなさい』って言ってたんだ。それで、マリーに声をかけて、天使に一緒にお礼を言おうと思ったんだけど……。ここからが、もっとすごいんだよ!」
「夜で暗かったけど、僕はちゃんと見たんだ。黒い天使が何か言ったと思ったら、体が鏡みたいになって、そのまま目の前で消えたんだ。ふわーって。」
「見えなくなったのにね、黒い天使様の男の人の声で『グッチューター』とかなんとか言って。そのせいでマリーがずっと怖がって泣くから、頑張って手を引っ張って、ガラス森を抜けて帰ってきたんだ」
夢みたいな話だけど、おじいさんに話しているうちに、僕は気がついた。
やっぱり、あれは現実だ。それに、マリーと二人そろって同じ夢を見るなんて、あるはずもない。
そう思ったとき、後ろから誰かに思いっきり頭をひっぱたかれた。
「……ルーカス! 何、好き勝手言ってるの! 叩くわよ!」
振り向くと、顔を真っ赤にしたマリーが立っていた。ものすごく怒って……なぜか本当に、顔が真っ赤になっている。
「マリー……どうしたの、それ? 顔が……」
マリーの両方のほっぺたが真っ赤に腫れ上がり、いつもの倍くらいになっている。
昨日、風に髪をなびかせていた一瞬だけお姫様のようなマリーとは、ずいぶん違う。
というか、思わず面白くなって、顔がにやけてしまったのだろう。
マリーはものすごく不機嫌そうに言った。
「ルー、何笑ってんのよ!」
マリーは暗くなるまで遊びまわって何度も怒られているけど、さすがに昨日は遅すぎた。
集落のみんなが総出で僕たちを探しに行く寸前になって、僕が大泣きするマリーの手を引っ張って帰ってきたのだ。
僕の母さんは、泣きながら抱きしめてくれた。でも、マリーの家のおばさんはとっても怖い。きっと、いっぱい叩かれたんだと思う。
……というか、これ、絶対いっぱい叩かれてる。
「マリー! 聞いてよ、黒い天使がね――」
「聞こえてたわよ!」
マリーは頬を膨らませ、ルーカスを睨みつけた。
「なんでそんなことまで話すのよ!」
「え? だって、本当のことだよ?」
「そういう問題じゃない!」
おじいさんは二人の顔を見比べ、こらえきれないように笑いながら語り始めた。
「二人とも、遺跡は危ないから入ってはならん。悪魔が出るというのはな、子供を近づけさせないための言い伝えなんじゃよ。本当に悪魔がおるわけではないんじゃ」
おじいさんはそこで笑うのをやめ、二人の顔を見つめた。
「しかしじゃ、ここからは本当にあった話じゃ。遺跡に行くときは、よく考えて行動するんじゃぞ」
おじいさんの話では、この世界には、今とは比べものにならないほど大勢の人間が暮らしていたそうだ。
地上には大きな街がいくつもあり、空の上にも人が暮らす街があったという。今ある遺跡は、その繁栄の名残なのだという。
神様の力で大きな機械を動かしたり、病気を治したり、食べ物を作ったりして、人々はものすごく豊かな暮らしをしていたのだと。
でも、ある日、神様の力を使おうとした悪魔たちによって魔法が暴走し、機械が人々を襲い始めた。たくさんの人が殺され、街は壊され、みんな隠れて暮らすようになった。
人々は救いを求めて神の塔に殺到し、神のもとへ逃げ込もうとしたけれど、悪魔に襲われて誰一人として助からなかった。
「魔法が暴走した時はな、わしのおじいさんも家族も、みんな隠れて助かったんじゃが……」
おじいさんは、そこで少し言葉を切った。
「じゃが、本当の悪魔は、そのあとに現れた。いや、最初から居たと言ってもいいやもしれん」
神が悪魔を退けた日、魔法は止まり、人々は救われた。そして神は、力を使い果たして沈黙した。
残された人々は、最初こそ救われたと思った。しかし、神様がいなくなると、今度は人間同士が争い始め、また多くの人が命を落としたのだそうだ。
神様のもとへ逃げようと神の塔を目指しても、そこにはまだ悪魔が残っていて、人々が神々のもとへ向かうのを阻んでいるという。
長いあいだ、多くの人々が神の塔を目指した。この集落からも何人かが塔へ向かったが、今も悪魔が塔を守っていて、けがをして帰ってきた人が大勢いたのだと、おじいさんは話してくれた。
「もしかしたら、おぬしらが会った天使は、助けてくれたというより……神の塔に行かないように確かめに来たのかもしれん」
僕はおじいさんの話を聞きながら、ふと思い出した。
おじいさんの家には、魔法の機械が載った本がたくさんある。その中には、空を飛ぶ機械や、色とりどりの服を着た人たちの絵が載っていた。
本に載っている昔の街の絵には、ガラス森にある建物と同じような四角い建物がいくつも並んでいた。
それに、昨日見た神の塔は、本の中にある絵と同じように、ちゃんとそこに建っているんだ。
本に描かれている魔法の機械も、神様が作ったものも、昔話の中だけのものじゃない。
今だって、遺跡に行けば本物を見ることができる。
それなら、黒い天使だって本当にいるはずだ。
黒い天使がいるのなら、神様だっているに違いない。
そう考えると、おじいさんの言っていたことも本当なのだろう。
神の塔には、今も悪魔がいる。
だから、あそこには近づいてはいけないのだ。
そんなことを考えていると、マリーが後ろから僕の肩をつついた。
「ルー、お母さんが魚とりの道具を取ってこいって」
「あっ!」
そうだった。魚をとるのも忘れてガラス森に行ってしまったから、道具を川に置いたままだった。
僕たちはおじいさんにそのことを話し、川へ取りに行くことにした。
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おじいさんの家を出て、僕たちは川へ向かって歩き始めた。
道すがら先を歩くマリーが僕に話しかける。
「ねえ、ルー。昨日のこと、お母さんに話した?」
「うん。黒い天使に助けてもらったことも、ちゃんと話したよ」
「それで、ルーのお母さんは何て言ったの?」
「びっくりしてたけど、ちゃんと話を聞いてくれたよ。もう危ないことをしちゃ駄目だって。それから、お父さんに会いに行こうとするのも駄目だって言われた」
そう答えると、マリーは少しうつむいて足元の小石を蹴った。
「ふーん。そうなんだ。私も話したんだけどね……」
マリーは不機嫌そうに口を尖らせた。
「天使に助けてもらったって本当のことを言ったのに、全然信じてくれなかったの。言い訳に決まってるって。嘘でごまかそうとしても駄目だって、すっごく怒られたんだから!」
昨日のことを思い出したのか、マリーはますます顔をしかめた。頬はまだ少し腫れている。
「そりゃ、日が暮れる前に帰ってくるのが決まりなのに、マリーはいつも遅くまで遊んでるから、おばさんに怒られるんだよ」
僕が笑いながらそう言うと、マリーは勢いよく振り返った。
「不公平よ! 私だって、ちゃんと本当のことを言うときもあるんだから!!」
本当のことを言うときもあるということは、たまには嘘をついているのだろう。なんだかマリーの顔を見ているとおかしくなって、僕は思わず笑ってしまった。
「だって、本当のことなのにね」
「そうよ! 本当のことなのに!」
マリーは怒ったように言い返したが、すぐに小さくため息をついた。
「……まあ、いつも私が悪いことばっかりしてるから、信じてもらえなかったのかもしれないけど」
「そうだろうね」
僕が素直にうなずくと、マリーは僕の腕を軽く叩いた。
「そうだろうね、じゃない!」
そんなことを言い合いながら歩いているうちに、僕たちは川辺に着いた。昨日、魚をとるために道具を置いた場所には、ちゃんとそのまま道具が残っていた。
「あった!」
流されずに残っていてよかった。マリーの道具はどうだか知らないけれど、僕のものはお父さんが使っていた大事な道具だ。なくなっていたら、きっと母さんにも怒られていたと思う。
僕は道具を手に取ると、ほっと胸をなでおろした。
そのあと、僕たちはしばらく川で魚を何匹か捕まえた。
気がつくと太陽は空の高いところまで昇っていたので、そろそろ帰ることにした。
川辺を離れて歩き始めてすぐ、マリーが突然立ち止まった。
「ねえ、ルー。昨日は無理に連れて行ってごめんなさい」
僕は思わずマリーの顔を見た。
『……あれ? マリーが謝った?』
いつものマリーなら、『天使が本当だったのか、もう一度確かめに行くわよ!』なんて言い出しそうなのに。いったい、どうしたんだろう。
「どうしたの、マリー?」
僕が尋ねると、マリーは少し困ったような顔でうつむいた。
「ねえ、ルー。昨日の本のことは本当よ。あの遺跡に前に入った時には、本当に本がたくさん並んでいたの。嘘なんか言ってないわ。でも……私たち、本当に天使に会ったの?」
そうだった。僕は本につられて、マリーを止めなければいけなかったのに、一緒になって付いて行ってしまったのだ。
でも、そんなことはもうどうでもよかった。あのとき天使に会ったこと、そして女神様の声を聞いたことに比べれば、たいしたことではない。
「マリー、僕たちはあのとき空を飛んだんだよ。光る羽を持った天使様に助けてもらったんだ。夢なんかじゃないよ」
「うん……そう……よね」
マリーは小さくうなずいた。
僕たちは集落へ向かう道を歩き続けた。やがて、ガラス森の入口へ続く道との分かれ道に差しかかったときだった。
マリーは突然スタスタと僕の前まで歩いてくると、道をふさぐように立ちはだかった。
「ルー! 天使が本当だったのか、もう一度確かめに行くわよ!」




