前線にて 2
俺はすぐさまヴォイロームイス少尉を見送る事となった。
「食料は? 出立は明日でも良いのだぞ?」
「携帯食はあります。それよりも早く前線に入って様子を見たいです。今から向かえば闇夜に紛れて安全に入れるでしょう」
「ふむ」
「使いをやります。どうか今後ともご支援をよろしくお願いします」
「使いは?」
「暫くはこの黒龍ですね」
「分かった。グリフォンは暫く無理だが、早めに余剰のハーピィとコウモリを送ろう」
「痛み入ります。では」
「うむ、では」
彼とはもう少し話をして、魔獣についてどれくらいの知識があるか確認しておきたかったのだが、彼はものの十分で出て行ってしまった。まあこれについては司令部を信じるほかないだろう。少なくとも俺の提出した魔獣論くらいは目を通しているはずだ。あの論文が評価されて俺は中尉になれたのだ。
「出て行ってしまわれましたね」
「お、何処にいたんだ。ネレイデス」
「ずっと部屋の隅に控えてましたわ」
「そうだったか」
「紹介していただけませんでしたわね」
「すまん。信書に驚いてしまって忘れてしまった。それに彼がこんな早くに発つとは思わなかったんだ」
「新しい前線ですってね」
「ああ、驚きだ」
ネレイデスは少し黙り込んだ。
「ではわたくしたちも、もうじき終わりですわね」
「何を言う。俺を見捨てるのか?」
「逆ですわ、貴方がわたくしたちを見限るのです」
「何故そんな事をせねばならんのだ」
「だって、そうせねば皇都に戻れませんわ」
陞爵や昇進はともかく、退任した際には一旦皇都に戻らねばならないだろう。
「ちょろっと顔を出してすぐに戻ってくるさ」
「その後は?」
「前線への補給地として今まで通りやればよい」
「そう辞令が降りれば良いですが、そうでない場合、ここに戻って皇都への納税はいかがなさるのです?」
俺は口を噤んだ。
俺が統括するこの前線、五万三千平方キロメートルの土地は前線維持のために最適化してある。国境を守るゴブリン部隊、森林を守るオーク部隊。警戒、連絡、攻撃に必要な魔獣とそれを養うための農地が全て吊り合うように最適化してしまった。戦線は維持できるが、納税をする程の余裕はない。
「それは、、、」
「我々魔獣は新しい前線に移住するしかないでしょう。我々もまた戦地に適応し過ぎているのです」
確かに前線で激しい戦闘を生き延びてきた魔獣が、すぐに農業に転じれるわけもない。農地も簡単には増やせない。激戦で踏み荒らされた土地は回復に何年も掛かるのだ。
「だからといって、お主らを見捨てる訳にはいかん」
「良いんですのよ。わたくしたち魔獣は人族よりも少し短いスパンで生きてますからすぐに適応します。本国も新たに種苗を送る予算を省けます。ヴォイロームイス様も戦士たちを種苗から育てる手間が省けますわ」
俺の領地の魔獣は全て俺が種苗から孵化させ、手ずから育て増やしてきた。ごく僅かな種苗から何世代も紡ぎ、増やしてきたのだ。それを他人の手に委ねろと?
我が子のように手塩をかけて、ネレイデスやフェルニゲシュのような高知能の魔獣まで育てて来たというのに?
「カイザキ様は人族の入植者を受け入れ、普通の領主になられるべきです」
「俺はお前が居ないと何も出来ないただのロクデナシだ」
「そんなの、たったこの数年の話でございましょう? お酒を辞めれば貴方はまだまだ働けます」
やっと信頼できる参謀や連絡役が育ってきて、気を張らずに酒を楽しむ事ができるようになったというのに。
そうか、俺が必死になって十年かけてこの地の安定を作り上げたからこそ、前線を押し上げるのか。こんな事なら安定なんかさせなければ良かった。
「ネレイデス、いっそ俺と所帯を持たぬか?」
「ご冗談を。人族と半人半蛇は子は成せませんのよ? それにわたくし、硬い鱗がないと性的な興奮が得られませんの。そもそもカイザキ様は一昼一夜、尾っぽを絡ませ続けられますの?」
「無理だな。鱗も尾っぽもないのは見ての通りだ。それに二十四時間も硬い鱗を愛撫し続けるなんて到底できんよ。もう四十なのだ」
「ではお諦めになってくださいまし。人族は人族とくっつくのが自然ですわ」
そんな半ば本気の戯言を言い交わして時間を潰していると、またフェルニゲシュの羽ばたきが聞こえてきた。
ドアを開けて外に出る。
「砲台様に下がるよう伝えて来ました! 護衛部隊と共に後退を始めてます。プラズマ弾の着弾位置は維持したままなので敵は明日まで気づかない筈です!」
「よしよし、よくやった」
フェルニゲシュはもじもじと手を揉んだ。
「僕、今日はよく働きましたよね?」
「うむ、好きなだけ羊を狩ると良い」
「それだけ? 最近は主人と寝話をしていませんよね」
「ふむ、では今宵は久しぶりに寝てしまうまで語り明かそうか」
「姉様は?」
「ネレイデスも一緒が良いのか?」
フェルニゲシュは照れたように歯をカチカチと鳴らした。こうした黒龍のチャタリングは甘えの表現なのだろうが、美味しそうな獲物を見つけた時にも同じようにするので本当はどうなのか不明だ。
「ではネレイデスも誘ってみよう。ご飯を食べておいで」
「やった!」
体長十メートル。尾も含めた全長なら十五メートルにもなる巨体を震わせてフェルニゲシュは飛び立った。
龍族は半身半蛇よりも成長が遅いようで、フェルニゲシュは自分よりも若いネレイデスをいつしか姉様と呼ぶようになった。まあ、ネレイデスも自分よりも歳上のフェルニゲシュを弟のように可愛がっているようなので構わないのだが。
その夜は一人と二匹で夜空の星を数えながら夜通し話をした。
俺たちはフェルニゲシュの肩に身体を預け、ネレイデスの尾っぽはフェルニゲシュの前脚の指に絡ませていた。
「主人は元々転生者なんでしょ?」
「もう随分昔の話だからあまり覚えてないんだ」
「分析者(司祭)の予言を言い当てたんでしょ?」
「よく考えれば誰でも分かることだよ。相手の経済と自国の経済を見比べただけさ。どんなもので儲けているか、何が必要か。お前だってそれくらいもう分かるだろ?」
「そうだね。でも『やる気』とか『どれだけ必死か』とかの戦場でのモチベーションについてはまだ分からないよ」
「うん、そこは難しいな。でも戦争の勝敗を決める一番大きな要因だから、読み違えるとこの戦争みたいに長く続いてしまう」
「難しいね」
「本当にな。始めるのは簡単なのに終わらせるのはとても難しいんだ。それについてネレイデスは何か思うことはあるか?」
ネレイデスは手の甲でフェルニゲシュの唇を撫でながら黙って思考しているようだった。
「そうですわね。わたくしたち魔獣も小競り合いはします。しかし人族のように長々と争うことはしません。利害が衝突したその時だけです。わたくしが思うに人族の恨みはとても長続きしますわよね」
ネレイデスの返答は別の疑問を投げかけるような形のものだった。
「それは災害死史観と紛争死史観で説明がつくかも知れないな」
「何です、それ?」
「旱魃や、或いは逆に大雨とか、地震や火山なんかの災害で命を落としやすい連中ってのは、他民族が攻めてくることも自然災害と同じように受け止めて、あまり相手を恨むようなことはしないんだそうだ」
「はいはい、なるほど。逆に紛争死史観の方々は、人が死ぬ時は大抵、敵に殺されて死ぬから恨みが消えないんですね?」
流石、ネレイデスは頭の回転が速い。
「そう。自然環境が落ち着いていて豊かな土地の方が紛争死史観になりやすいから、恨みが長引くし諍いも多くなる」
「皮肉ですわね」
「本当にそうだな」
「悲しいね」
「本当にそうだな」
この掩体壕周辺も、数年前までは激しい戦地だった。しかし今は不思議なほどに静かだ。俺たちはこのゆりかごのような安寧の地で、長い恨みを持つ紛争死史観に変わっていくのだろうか。
そうはなりたくない。
恨みを持ったまま死ぬなんて、下手すりゃ化けて出る幽霊になってしまうじゃないか。
相手を恨む事なく、さっぱりと諦めて安らかに死にたいものだ。
俺たちは虫の声に包まれ、夜空の星に照らされて眠りについた。
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