前線にて 1
この掩体壕に来客が来るのは四年ぶりだ。
俺は久しぶりにジャケット着用で使者の到着を待った。軍帽を被るのは扉がノックされてからで良いだろうか。コーヒーは淹れておいた方がいいだろうか。それとも淹れたてを出すのがマナーだろうか。久しく人と関わってないので勝手が分からなくなっている。
「なあ、ネレイデス。コーヒーは淹れておいた方がいいかな?」
「要らないでしょう。カイザキ様がお飲みになるのなら構いませんが、二〜三日遅れる事もあるでしょうから」
「そうか、それもそうだな」
チラリとネレイデスに目をやる。彼女が居たら使者を驚かせてしまうだろうか。何しろネレイデスはその名の通り半人半蛇の魔獣なのだ。しかしその見目は美しい。滑らかに波打つブルネットの髪に深い翠の瞳。その目の奥には知性の光が灯っている。シャツのボタンをキッチリ上まで止め、徽章を外した俺のお古のジャケットを羽織っている。身体の構造上、下半身は裸だ。といっても前述の通り下半身は蛇なのでしっかりと鱗に覆われており別にいやらしくはない。その姿は堂々として美しくとぐろを巻いている。
「外していましょうか?」
「いや、居てくれ。俺がヘマをやらかしたら上手くサポートしてくれ」
「そう言われましても、わたくし人族にお会いするのは初めてですから何がヘマなのかも分かりませんわ」
「それもそうか」
四年前はまだ幼かったから来客の前には出さなかったのだった。しっかりと成獣になったのは二年程前だろうか。
外でゆったりとした羽音が聞こえたのでドアを開ける。これは俺の黒龍、フェルニゲシュの羽ばたく音だ。外に出ると強い日差しとムッとした湿気が襲ってきた。そこにフェルニゲシュが降り立った。
「戦線はどうだ?」
「概ね予定通りの動きだよ。でも砲台様に疲れが見えるから、近いうちに下げた方が良いかも」
「そうか、ではもう後退させよう。じき春小麦の収穫期だ。しっかり保養してもらえ」
「じゃあそう伝えるね。ところでさ、使者がすぐそこまで来ているよ」
「どのくらいだ?」
「二〜三キロってとこかな。相手も黒龍だからすぐだよ」
「お、そうか。では砲台様は頼むぞ」
「アイサー!」
フェルニゲシュは後ろ足で踏み切り、力強く飛び発った。体長十メートルの巨体を浮遊させる暴風でせっかくセットした髪がボサボサになってしまった。まあどのみち軍帽を被るのだから構わないか。
部屋に戻って軍帽を頭に乗せ、そのまま外で使者を待つことにした。
西陽が眩しくて西の空がよく見えないが、使者はこちらに向かって来ているはずだ。
と、気付けば使者を乗せた黒龍は頭上を旋回していた。手を振って合図を送る。黒龍はすぐに降りて来た。軍帽を手で押さえて使者を迎えた。
「ようこそいらっしゃいました。ヒロト・カイザキです」
「お迎えご苦労様ですカイザキ中尉。セルヒー・ヴォイロームイスです」
「階級は?」
「少尉です」
「よく来たヴォイロームイス少尉。入りたまえ」
ふむ、使者が下の階級ということは何かお咎めを受ける訳でもなさそうだ。俺は胸を撫で下ろした。
「コーヒーは?」
「いただきます。あの、黒龍に食事を与えたいのですが、、、」
「ああ、ここらの羊は好きに狩ってもらって構わない二〜三頭で足りるかな?」
「充分です。伝えて来ます」
少尉はドアを開けたまま黒龍に指示を出した。黒龍は振り向いて辺りを見渡し頷いた。かなり知能が発達しているようだ。餌取りを任せられる程には。
「まずは信書をどうぞ」
「うむ」
その場で封を切って中身を確認する。
先月、グリフォンに届けさせた追加の補給の稟議が通った旨が書かれていた。良かった。
次に俺が今までに得た手付かずの給与と報酬について書いてある。広い農場付きの豪邸が買えるほどになっていた。物価高騰が進んでいなければの話だが。
「物価はどうなってる?」
「この数年ずっと横這いですよ。報道の通りです」
悪くない。それは情勢が安定しているということだ。
つまりこれは俺の貯金が目減りしてないことを示している。
信書の最後は目の前に居るヴォイロームイスの受けた指令について。
マジか、コイツが前線を押し上げて次期「灯台守」になると書いてある。
「キミが次の『灯台守』なのか」
「ええ、数年で安定させられればと思っています」
「種苗は?」
「まだです。ひとまずカイザキ中尉のゴブリン戦線の守護のもと次の掩体壕を新設せよという指令です」
「そうか、、、」
それはつまり、俺があと数年で前線から帰れるということを意味している。この地に赴任して、ずっとなし得なかったことだ。
「援助に糸目はつけない。張り切ってくれ」
「ありがとうございます。これも全てあなたの功績です。カイザキ中尉が『戦争魔獣師』としてこの戦線を十年間も守ってくれたからこそ、いよいよ押し上げる事が可能となったのです」
「もう十年か、、、」
「無事作戦成功となればカイザキ中尉は二階級特進。更にそのまま終戦となれば侯爵としてこの地が封土されることでしょう」
「ハッ!」
俺は嗤った。この戦争がそんな簡単に終わる訳がない。それに世継ぎどころか妻すらいない俺に侯爵の地位とこの土地を与えられたところで数年で国の手に戻る事になる。
俺はもう四十歳。この国の男子の平均寿命まであとたったの十年なのだ。
対してヴォイロームイス少尉はまだ三十路に達していないだろう。
二十代という輝かしい眩さに、俺は目を眇めてやり過ごすしかなかった。二十代というのは圧倒的に人に好かれる年代である。下からは頼り甲斐があるように見られ、上からは可愛いがる対象として見られる。
俺は首を振った。こんな事を考える時点で俺はもうおっさんだな。
この地の「灯台守」として既に十年の月日が経った。この広い広い土地で、たった独り、魔獣を相手に戦線を維持してきた。同年代の兵士が家族を持ち、子を愛でている時に俺は魔獣を育て、前線に送り込んできたのだ。その重責から解かれる事は喜ばしい筈である。しかし俺の胸中は複雑だった。
安堵と期待が首を擡げると同時に、喪失と焦燥の暗い炎が燻り出す。
今の気持ちに正直に言えば、この暮らしを手放したくない。このままそっとしておいて欲しい。俺が作り上げたこの掩体壕を取り囲む、麦と牧草の大海原を、知らん人間なぞに渡したくない。
俺は若きヴォイロームイスに気付かれないようにそっとため息をついた。
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