第9話 防衛線
使者が帰った翌朝、俺は、拠点の作業棟で、地図を広げて長く考え込んでいた。
地図といっても、ドローンが撮影した精密な航空写真を、紙に印刷しただけのものだ。等高線と、街道と、村と、河川と、それから、帝国軍の野営地が、丁寧に書き込まれている。
その地図の上に、俺は、いくつかの記号を、鉛筆で書き加えていた。
観測ポストの予定地。簡易な防御陣地。退避経路。住民の避難先。
「介入の度合いですか」
クレアが、向かいの椅子に座り、地図を覗き込んでいた。
「うん」
「司令の中で、もう、ある程度の方針はできていますね」
「方針というか――」
俺は鉛筆を置いた。
「やらないことを決めることが、まず先かなと思った」
「と、いいますと」
「主力での殲滅戦はしない。皇帝への直接の攻撃もしない。住民の犠牲が出る作戦はしない。アウレリアの正規軍を、こちらが指揮することはしない。あくまで、彼らの戦いを、補助する形にとどめる」
クレアは、地図を見ながら、ゆっくりとうなずいた。
「やらないことを決めれば、やるべきことの輪郭が見えますね」
「そういうこと」
彼女は鉛筆を取って、地図の余白に、いくつかの項目を箇条書きで書き出した。
観測。通信。早期警報。狭隘地での阻止陣地。負傷者の救護。
最後に、彼女は付け加えた。
非殺傷武器の使用検討。
「これは、私の側からの提案です」
彼女は鉛筆をくるりと回しながら言った。
「敵兵を殺さずに無力化できる武器がいくつもあります。気絶ガス、強い音と光による麻痺、行動を阻害する泡剤など。地球の中世水準の軍隊に対しては、十分に有効です。何より、後で皇帝陛下と話すときに、使えるカードが増えます」
「賛成。むしろ、なるべくその方向で行きたい」
「では、提案書をまとめます」
クレアはそう言ってから、ふと、地図の端を指で押さえた。
「一つ、気になっていたことがあります」
「うん?」
「国境の指揮官が最初に切った『五日以内』の期限は、とうに過ぎています。それでも彼らは動かず、代わりに皇帝の使者が来て、改めて五日を切り直した。あの指揮官の『五日』は、使者の到着日程を知った上での、威圧だったと考えるのが自然です」
「脅して、揺さぶって、それから丁寧な親書で迫る、か」
「はい。おそらく、帝国の常套手段です」
だとすれば、今度の五日は、本物の五日だ。
俺は、鉛筆を握り直した。
午後、城に上がり、エリアーナとガルウィン卿、それに騎士団長のロドリク卿に提案書を見せた。
ロドリク卿は、四十代半ばの、肩幅の広い男だった。背筋がまっすぐで、顔には古い剣傷が一本、走っている。声は思いのほか柔らかく、剣に伴う粗暴さは感じさせない人物だった。
『ご提案、ありがたく拝読いたしました』
彼は、提案書を畳んで、テーブルの上に置いた。
『一点、伺ってもよろしいですか』
『どうぞ』
『拝見したところ、あなた方がお持ちの戦力は信じがたいほど強大なもののようだ。遙か天空からの、避けようのない破壊。大国一つを余裕で滅ぼせる力。正直、にわかには信じられぬのですが、にもかかわらず、この計画では、あなた方の星船からの直接攻撃は、最終手段を除き、ほとんど想定されておりませんな』
『はい』
『なぜ、ですか』
単純な、しかし、もっとも重要な問いだった。
俺は少し考えてから、答えた。
『勝ち方の問題です』
『勝ち方』
『私たちが空から一撃で帝国軍を壊滅させれば、戦争は数時間で終わります。けれども、終わったあとに何が残るか。皇帝陛下は、強硬手段に出る理由を、得てしまいます。周辺諸国の王たちは、私たちを恐れて、アウレリア王国に距離を置くかもしれない。何より、この国の人々が、戦いを「我が事」として戦った経験を、得られなくなる』
ロドリク卿は、しばらくの間、テーブルの一点を見つめていた。
それから、彼は、わずかに口元をゆるめた。
『……戦士の言葉ですな』
『私は、戦士ではないのですが』
『いえ。ハヤマ殿は、ご自身が思っておられる以上に、戦士の言葉でお話しになる』
彼は、立ち上がって、俺に向かって、軽く頭を下げた。
『この計画でいきましょう。我が騎士団は、貴殿らに協力いたします』
『よろしくお願いいたします』
俺もまた、立ち上がって、頭を下げた。
会議の終わりに、エリアーナが、静かに口を開いた。
『返書のことですが』
彼女は、テーブルの上で両手を組んだまま、言った。
『答えは、変わりません。属州にも、連邦にも、加わらない、と。ただし、書状をお渡しするのは、期限の最終日といたします。一日でも長く、備えの時を稼ぎたいのです』
『御意にございます』
ガルウィン卿が、深く頭を下げた。
期限までの五日を、余さず使い切る。若い女王の出した答えは、静かで、そして、したたかだった。
翌日から、国境付近の街道沿いの数か所に、観測ポストの設置が始まった。
ロボットたちは、地中に小さなセンサー筒を埋め、上に苔の生えた石を被せて、ほとんど見えない形で設置していった。設置したセンサーは、半径数キロメートル内の人や馬の動きを、上空のドローンと連携して検知する。
現地の騎士たちは、最初こそ、ロボットの作業をやや恐る恐る眺めていた。だが、半日もすると、彼らは慣れてきて、ロボットの作業の隣で、自分たちの天幕を張り、火を起こし、煮炊きを始めた。
夜、街道沿いの仮設の野営地で、俺は、騎士たちの食卓に招かれた。
夕食は、現地の固焼きパンと、塩漬け肉のスープと、地酒。簡素だが、温かい。
『ハヤマ殿は、酒は飲まれますか』
ロドリク卿が、木の杯を差し出した。
『少しなら』
『よい。ほんの少しでも、共に飲むのが大切なのです』
杯を受け取り、口をつけた。林檎のような香りがする、思いのほか飲みやすい酒だった。
火を囲んで、若い騎士たちが、それぞれの故郷の話をしていた。誰かが歌を口ずさみ始め、別の誰かがそれに合わせる。歌詞はよく聞き取れなかったが、節は穏やかで、夜の冷たい空気の中によく響いた。
『あんたら、もしかして、本当に星から来なすったんですかね』
若い騎士の一人が、酒の勢いも借りて、俺に訊いた。
俺は、少し笑った。
『星から、と言うと、語弊があるかもしれません。けれども、あなたたちの足が立っているこの大地の、ずっと上、空のさらに上から、来ました』
『へえ……』
彼は、首をかしげながら、火に薪を一本くべた。
『星々の上の方は、寒いんですか』
『寒い、というよりは、何もない、という感じですね。冷たいけれど、風はない。空気もない』
『じゃあ、息ができないじゃないですか』
『だから、私たちは、空気を作る船に乗っていました』
『……魔法ですな、もう』
彼は、しみじみと言って、酒をぐいと呷った。
誰も、俺の言葉を疑わなかった。実のところ、彼らはまだ半信半疑なのだろう。けれども、彼らは俺たちを、人として扱ってくれていた。共に酒を酌み交わすに値する人として。
火を囲む輪に、クレアも加わっていた。
彼女の隣には、年配の騎士が一人座っていて、自分の娘の話を、ゆっくりと聞かせていた。
「司令」
帰り道、馬車の中で、彼女は小さな声で言った。
「あの方たちのために、できることは、できる限りのことをしたいです」
「うん。俺もだ」
戻った拠点で、俺は、艦隊との通信回線を開き、ミネルヴァの戦術AIに、改めて作戦計画を入力していった。
非殺傷武器の準備、輸送、配備。
旗艦プレストの、より低い軌道への配置換え。護衛艦2隻には、後方からの遠距離支援待機。
「主砲は、最後まで、撃たない」
俺は、独り言のように呟いた。
クレアは、隣で、別のコンソールに入力をしながら、横目で俺を見た。
「撃たないで済むように、進めましょう」
「うん」
窓の外、夜の丘の上で、ロボットたちが、まだ静かに、最後の作業を続けていた。月明かりの下、彼らの動きには、いつもの通り、無駄も騒音もなかった。
明日からは、騎士たちとの連携訓練が始まる。
あちらが手強くないわけがない。
けれども、と、俺は思う。
今夜は、火を囲んで、酒を一杯飲んだ。それは、戦のためではなく、人と人として、酒を一杯飲んだのだ。
その時間を、たぶん、俺は、これから何度も、思い返すことになるだろう。




