第8話 帝国の使者
翌日、城に上がると、硬い表情のガルウィン卿がやってきた。
『申し訳ありません。今日はお話をゆっくりと伺う時間を、お取りすることができそうにありません』
『何かありましたか』
『早朝、帝国から使者が到着いたしました。陛下が、これより謁見の間にてお迎えになります』
予想していなかったわけではない。だが、想定よりは早かった。
『私たちは、どうしましょうか』
『ご無理をお願いするようで恐縮ですが――』
ガルウィン卿は、迷うように言った。
『隣の小室で、お控えいただけますでしょうか。謁見の間とは小窓で繋がっており、声も様子も伺えます。陛下が、ハヤマ殿のご助言をお求めになる場面があるかもしれません』
『分かりました』
俺はうなずいた。同席するのは、まだ早い。隣室で控える、というのは、丁度よい距離だった。
謁見の間の隣室は、こぢんまりとした書斎のような、薄暗い部屋だった。
壁には書架が並び、年代物の地図が掛けられている。中央に小さなテーブルと椅子。もう一方の壁際には格子の小窓があり、その奥に謁見の間が見えた。
俺たちが部屋に入って間もなく、謁見の間の扉が開く音がした。
帝国の使者は、五人の従者を伴っていた。
代表は、四十手前の細身の男で、黒地に銀の刺繍を施した上着を着ている。胸には剣ではなく、巻物を入れる革の筒を提げていた。武人ではなく、文官の使者だ、と一目で分かった。
『アウレリア女王陛下にご挨拶申し上げる。私はゼレンビスカ皇帝陛下より遣わされたカリサラ・ベロウェン。皇帝陛下の親書を持って参った』
声は穏やかだった。傲慢でも、嘲るようでもない。むしろ、長く外交に携わってきた者の、訓練された静けさがあった。
エリアーナは玉座から、軽くうなずいた。
『よくお越しくださいました、ベロウェン卿。親書をお預かりします』
ベロウェン卿が、革の筒から巻物を取り出した。封蝋を解き、両手でうやうやしくガルウィン卿に差し出す。ガルウィン卿は受け取って、エリアーナの前で広げ、低く落ち着いた声で読み上げた。
親書の内容は、思っていたよりも、ずっと丁寧な言葉で書かれていた。
『――アウレリアの民は、長きにわたって独自の文化を育み、誇り高き国家を保ってきた。皇帝としてこれを尊ぶに、いささかの異存もない。けれども、世界が大きく動く今、各国はその力を一つに束ねぬ限り、明日を見ることが難しい時代に入った。すなわち――』
ガルウィン卿の声が、ほんの一瞬、止まった。だが、すぐに続けられた。
『――アウレリア王国は、ゼレンビスカ帝国の連邦に加わり、その一員として、共に世界の安寧に資するべし。女王陛下にあらせられては、帝国の諸侯の一員として、引き続き王国の統治を任ぜられる。これに反対する一切の意見、行為、あるいは黙過は、帝国への敵対と解釈する。回答の期限は、本日より起算して、五日』
俺は、隣の小室で、無言でその言葉を聞いていた。
最後通牒であることに変わりはない。だが、文面は、最初に俺たちがドローンで聞いた、国境の指揮官の言葉とは、明らかに違う響きを持っていた。
「皇帝の文章ですね」
クレアが、俺にだけ聞こえる声で言った。
「そう感じる?」
「はい。あの指揮官は『属州』と言いました。けれども、この親書は『連邦』と言っています。同じことを言っているようで、まるで違います」
俺もうなずいた。
たぶん、帝国の皇帝は、現場の将軍たちが思っているよりも、繊細な言葉を使う人物なのだ。
親書の読み上げが終わったあと、エリアーナは、しばらくの間、目を伏せていた。
謁見の間に、長い沈黙が落ちた。
やがて、彼女は静かに顔を上げた。
『ベロウェン卿。お役目、ご苦労さまでございました。皇帝陛下のお言葉、確かに承りました』
『陛下のお返事は、いかに』
『……五日のうちに、書状にて返答いたします』
ベロウェン卿は、うなずいた。
『よろしくお取り計らいのほど願い申し上げる』
彼は、儀礼的な礼を整えると、従者を伴って謁見の間を出ていった。
扉が閉まる音が、部屋全体に低く響いた。
その音が消えると、部屋の中の空気が、ようやく動き出したようだった。
使者の一行が、城内の宿所に下がった後、エリアーナは数名の重臣を集めて、別室で会議を開いた。
その席に、俺とクレアも、招かれた。
部屋にいたのは、エリアーナ、ガルウィン卿、ラウスト神官長、それに、初めて会う、白いひげを蓄えた老人――宰相のセラフ卿、と紹介された。
『陛下、お考えをお聞かせ願えますか』
ガルウィン卿が口を開いた。
エリアーナは、テーブルの上で両手を組んでいた。
『私の答えは、決まっています。属州にも、連邦の一員にも、なるつもりはありません』
声は静かだったが、迷いはなかった。
『けれども――兵の数では、勝てない。それも、私は理解しています』
ラウスト神官長が、わずかに身を乗り出した。
『陛下。神官長として、申し上げる次第です。我が国の信仰の中心は、王家にございます。陛下が皇帝の連邦に組み込まれることは、神官団としては、断じて受け入れられぬ事態です』
『神官長』
エリアーナは、彼の言葉を遮らずに、静かに先を促した。
『……ですので、我が神官団としては、いかなる手段を用いてでも、ゼレンビスカに屈することのない道を、選ばねばなりません』
『その手段の中に、外なる方々のお力を借りる、という選択肢も含まれますか』
エリアーナの言葉に、ラウスト神官長の眉が、ぴくりと動いた。
『……それについては、慎重な議論を要するかと』
『慎重に、ですね。承知いたしました』
エリアーナは、視線を俺たちのほうに移した。
『ハヤマ殿、クレア殿。先ほどの親書を、お聞きになって、どう思われましたか』
俺は、少し考えてから、答えた。
『あの皇帝陛下は、現場の将軍とは、考えが違う方かもしれません。少なくとも、書かれた言葉のうえでは』
『と、申しますと』
『国境の指揮官は「属州」と言い、最後通牒を「五日以内」と切りました。けれども、皇帝の親書は「連邦」と書き、回答の期限を「五日」としつつ、それを過ぎてからの強硬手段については、明確に書いていません。書かないことで、しかし含意するという、一段と繊細な書き方です』
エリアーナは、わずかに首を傾げた。
『つまり、皇帝陛下は、必ずしも、軍事的な勝利のみを望んではいない、と?』
『推測ですが――そうかもしれません』
俺は付け加えた。
『勝つことよりも、終わらせることを望んでいる、というか。皇帝の頭の中には、このあと、この国をどう扱うか、という構想もすでにあるのだと思います』
ラウスト神官長が、低く言った。
『敵の中に、理性を求めるとは。聞こえはよろしいが、危ういお考えですな』
『おっしゃる通りです。これは、あくまで一つの仮説に過ぎません』
俺は、神官長に向かって、深く頭を下げた。
ラウスト神官長は、何も言わなかった。
部屋の中に、また、長い沈黙が落ちた。
会議が終わり、廊下を歩きながら、クレアが小声で言った。
「あの神官長、私たちを嫌っています」
「うん。そうみたいだね」
「ただ、彼の言うことにも、一理あります。私たちが現れたことで、この国の意思決定の構図が、変わりつつあります。それを警戒するのは、為政者として当然の感覚でもあります」
「だね」
俺はうなずいた。
窓の外、夕日が城壁に長い影を引いている。残された時間は、五日。
帰り道、馬車に揺られながら、俺は何度か空を仰いだ。
あの空の上、はるかな軌道に、12隻の艦隊が静かに浮かんでいる。
それを使うのか、使わないのか。使うとして、どう使うのか。
答えは、まだ、決まっていなかった。




