第5話 セレーナ城にて
『私は、トウヤと申します。こちらは、クレア。我々は、遠い、別の場所からやって来ました』
この国の言葉で、できるだけゆっくりと、俺は言った。
「遠い」という言葉に、ガルウィン卿はわずかに眉を動かした。だが、それ以上の質問は、彼の口からは出なかった。彼は俺と、シャトルと、空をひととおり見渡してから、静かに尋ねてきた。
『その「遠い」というのは、海の向こう、ということでありますか』
『……もう少し、遠くから』
俺は空を指差した。
ガルウィン卿は、しばらく俺の指さす先の空を見つめていたが、すぐに視線を俺の目に戻した。心の中まで見透かされそうな目だ、と思った。
『それで、お話とはどのような?』
『この国に迫っている、脅威について』
ガルウィン卿の表情に、一瞬だけ、驚きとも戸惑いともつかない何かが横切った。彼は息を吐いた。短い、しかし長い思考の末のような息だった。
『分かりました。詳しいお話は、城にて伺いたい。ご同行願えますかな?』
『もちろんです』
彼は部下に短く指示を出した。騎兵のうち二騎が、王都のほうへ駆けていく。先触れの伝令だろう。残りの兵は、シャトルから一定の距離を取ったまま、警戒を続けている。
シャトルは光学迷彩で隠した。
俺たちはガルウィン卿が手配した小さな馬車に乗せられた。馬車に揺られるのは、生まれて初めてだ。
馬車は、思っていた以上によく揺れた。
舗装されていない街道を、車輪がゴトゴトと音を立てて転がる。座席のクッションは藁を詰めたものらしく、悪くないが、長く座っていると尻が痛い。
「快適、とは言えませんね」
クレアが、揺れに合わせて姿勢を保ちながら、小声で言った。
「だね」
俺は、窓から外を眺めた。畑が広がり、農夫が鍬を振っている。子どもが羊の群れを追っている。家の軒下で、女が洗濯物を干している。ドローンの映像で何度も見た光景だが、こうして馬車の窓越しに、自分の目で見ると、まったく印象が違う。
ふいに、農夫の一人が顔を上げて、こちらを見た。馬車に同乗しているガルウィン卿の姿に気づいたのだろう。慌てて鍬を下ろし、深く頭を下げる。
それを見たガルウィン卿は、車中から軽く右手を上げて応えた。慣れた仕草だった。
『人々に慕われていらっしゃるのですね』
クレアが、ガルウィン卿に向かって言った。
『いえ、私はただの侍従に過ぎません。彼らが頭を下げているのは、王家の紋章にです』
ガルウィン卿は、馬車の側面に小さく描かれた紋章を指差した。月と麦の穂を組み合わせたような、繊細な意匠の紋章だ。
『美しい紋章ですね』
俺が言うと、ガルウィン卿はわずかに表情を緩めた。
『月は、夜にも民を見守る王家の役目を。麦の穂は、民の暮らしを豊かにする王家の務めを、それぞれ表しております』
短い説明だったが、その口ぶりに誇りが滲んでいた。
俺は、この国がたぶん好きになるだろう、と思った。
馬車は王都の南門をくぐった。
門兵は、馬車の紋章を確認するなり、無言で槍の石突きを地面に叩きつけて姿勢を正した。馬車はそのまま、城下の大通りを進んでいく。
通りの両側には、二階建てか三階建ての石造りの家々が並んでいる。一階は店、二階以上は住居。看板の下には、職人たちが作業する姿が見える。鍛冶屋、靴屋、布屋、パン屋、薬草屋。
通行人が、馬車を見ると道の脇に寄って、頭を下げる。だが、その動作は怯えたものではなかった。むしろ慣れた、自然な礼の仕草だった。
「司令」
クレアが、声を落として言った。
「住人が、馬車の中の私たちを覗き込もうとしません」
「何かのマナー、だろうか?」
「おそらく。プライバシーを尊重する文化と推測します」
なるほど、と思った。また一つ、この国を好きになる理由が増えた。
馬車は、城下の中央広場を抜け、白い石造りの城壁をくぐって、セレーナ城の前庭で停まった。
ドローンで見ていた城が、目の前にある。
石の継ぎ目は丁寧に整えられ、壁には蔦が美しく這わせてあった。塔の上では、歩哨が変わらず、規則正しく歩いていた。
謁見の間は、思っていたよりも小さな部屋だった。
高い天井、長く伸びた窓。床は磨かれた石。壁には、歴代の王のものらしい肖像画と、簡素なタペストリーが掛かっている。豪華さよりも、清潔さと均整を重んじた部屋だ。
奥の段の上に、白木の玉座があった。
その玉座に、青いドレスの女性が座っていた。
ドローンで遠目に見たときよりも、ずっと若く見えた。淡い金色の髪を、簡素なリボンでまとめ、顔には化粧らしい化粧もしていない。代わりに、深い青の瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
『天から来たという方々ですね』
澄んだ、しかし芯のある声だった。
『私は、エリアーナ・セルティエ・アウレリア。アウレリア王国の女王にあります』
俺とクレアは、ガルウィン卿に教えられたとおり、片膝を軽く落として頭を下げた。
『トウヤ・ハヤマと申します』
『クレア・ルースと申します』
二人して名乗ると、エリアーナはわずかに首を傾げた。
『不思議な響きの名前。どちらの言葉でしょうか』
『ここから遙か遠くの、俺の生まれた国の言葉です』
俺は正直にそう答えた。エリアーナは、特に訝るでもなく、静かにうなずいた。
その時、玉座の脇に立っていた、もう一人の人物が口を開いた。
黒い長衣を纏った、痩せた男。年齢は四十前後か。襟元には大きな銀の徽章が下がっている。表情には、最初から最後まで、わずかの笑みもなかった。
『陛下。お言葉ですが、得体の知れぬ者を御前に上げるのは、軽率にすぎるかと』
声は穏やかだったが、視線は鋭く、俺たちの全身を上から下まで品定めしていた。
『ラウスト神官長。ガルウィン卿が確認の上で連れてきた客人です。話を伺うのが筋でしょう』
エリアーナは、神官長の言葉を、しかし冷たくは退けない言い方でいなした。慣れたやりとりなのだろう。
ラウスト神官長は、不満を顔に出しはしなかったが、唇をきつく結んだ。
俺は、翻訳機の補助を借りながら、できる限り、誠実に話した。
遠い場所から、自分とクレアが思いがけずこの国の近くに漂着してしまったこと。この国が他国からの侵略の危機にあると知ったこと。我々は、この国の事情を知らないので、勝手に介入するのは控えたいこと。だが、もし話を聞かせてもらえるのであれば、何かしらの協力ができるかもしれないこと。
宇宙空間に待機している艦隊については伏せておいた。今はまだ、その話をする段階ではない。
エリアーナは、最後まで黙って聞いていた。途中で口を挟まず、俺の言葉が一区切りつくたびに、ほんのわずかにうなずく。それだけだった。
俺が話し終えると、彼女は、しばらく目を閉じた。
『お話、よくわかりました』
目を開けたとき、その表情には、わずかな疲れが滲んでいた。
『正直に申し上げます。我が国は、いま、苦しい立場にあります。けれども、見ず知らずの方々のお力に、易々と頼ることもできません。お力を、と仰ってくださる御心は、ありがたく拝受いたします。けれども、すぐにお願い申し上げる、というわけには参りません』
『もちろんのことです』
俺は深くうなずいた。むしろ、その判断ができる人物であることに、内心で安堵していた。
『しばらくの間、城にお留まりくださいませんか。もう少し言葉を交わし、見知らぬところを少しずつ減らした上で、改めてお話を伺えれば、と存じます』
『喜んで』
ラウスト神官長が、何か言いかけて、止めた。
代わりにガルウィン卿が一歩前に出て、深く一礼した。
『お部屋を整えてございます。ご案内いたします』
俺とクレアは、もう一度、頭を下げた。
謁見の間を出るとき、玉座の上のエリアーナが、ほんの少しだけ、口元を緩めたのが見えた。気のせいかもしれないが、たぶん、気のせいではないと思った。




