第16話 鉱山と鍛冶
ある朝、ガルウィン卿が拠点を訪ねてきた。
いつもの落ち着いた歩調で居間に入り、いつもの陶器の茶を一口飲んでから、彼は本題に入った。
『陛下から、ハヤマ殿に、ひとつ、ご相談があります』
『はい』
『……鍛冶のことです』
俺は、思わず姿勢を正した。
戦のあと、武器の補充が必要だ、という話なら、すぐにでも分かる。けれども、ガルウィン卿の口ぶりは、それよりも、もっと静かなものだった。
『先の戦の後、街道沿いの鍛冶場には、「もっと強い剣を打ってほしい」「もっと厚い鎧を作ってほしい」という注文が殺到しております。鍛冶屋たちは、夜を徹して、注文に応えております』
『……そうでしょうね』
『ですが、いま街道沿いで打たれている剣の質は、十年前、二十年前のものと、ほとんど変わっておりません。鉄そのものの質も、火の入れ方も。父祖代々の作法を、忠実に守って打たれている』
ガルウィン卿は、しばらく言葉を選んでから、続けた。
『陛下は、こう仰せです。彼らが、強い武器を作りたいのは当然のこと。けれども、それは、戦が起きるたびに、新しい剣を急いで打ち増しすることでしか、解決できないのか、と。鍛冶という仕事そのものを、もう少し――しっかりした土台の上に、置き直してはくださらないか、と』
俺は、少し驚いた。
武器そのものではなく、「鍛冶という仕事」、と陛下は言われた。
『それは、武器に限らない、ということですか』
『はい。鋤、鍬、釘、鍋、扉の蝶番。これらすべてが、鍛冶の仕事です。武器が良くなれば嬉しいが、それ以上に、鋤と鍬が長持ちするほうが、民は喜びます』
俺は、深く、うなずいた。
『お引き受けします』
『ありがとうございます』
『ただ、私たちが、現地の鍛冶屋を、押しのけることになるのは、避けたいです』
『その点、陛下も同じご懸念です』
ガルウィン卿は、わずかに、口元をゆるめた。
数日後、城下町の北の外れ、川沿いの鍛冶通りに、俺とクレアは出かけた。
通りには、十軒ほどの鍛冶屋が並んでいた。
夏が近いせいか、あるいは、注文が立て込んでいるせいか、どの店も、入口の扉を開け放して、中の炉の赤い光が外まで差し込んでいる。鎚の音が、通りに響き合って、独特のリズムを作っていた。
その通りのいちばん奥、川に近い場所に、ひときわ大きな鍛冶場があった。
看板には、簡素な字で「ハーカンの鍛冶」とだけ書かれていた。
ガルウィン卿の事前の段取りで、この鍛冶場の親方が、王都の鍛冶屋の組合のとりまとめ役だ、と聞いていた。
扉をくぐると、四十代後半と思われる、肩幅の広い男が、鎚を振っていた。
顔は煤で黒く、額には大粒の汗が浮いている。だが、その目は、鉄の赤色を、まっすぐ見据えていた。鎚の打ち下ろしは、無駄がなく、軽やかで、しかし重い。
俺たちが入ってきたのに気づくと、彼は、あと三度ほど鎚を打ってから、ようやく顔を上げた。
『ハーカンですが』
『ハヤマと申します。こちらは、クレア』
『……ああ、聞いとります』
彼は、鎚を脇に置き、汗を拭った。
『どうぞ、奥に』
奥の小部屋に通された。狭い部屋で、椅子は二脚だけ。彼自身は、立ったままだった。
『侍従長閣下から、お話は伺っとります。星から来なすった御方が、鍛冶を、見て回られると』
『はい』
『で、何ですかね。ご注文ですか、それとも、御指南ですか』
ハーカン親方の声には、わずかな警戒があった。
無理もない。よそから来た客が「指南」しに来た、と思われたら、職人が気を悪くしないわけがない。
『どちらでもありません』
俺は、できるだけ、平らな声で答えた。
『見せていただきたいだけです。鍛冶場の仕事を。それから、もし、お話を伺える時間があれば、聞かせていただきたいのです』
『……話、ですか』
『はい。何代続いた鍛冶か、どんな道具を使っていらっしゃるか、どこから鉄を仕入れていらっしゃるか。そういう、当たり前のお話を』
ハーカン親方は、しばらくの間、俺の顔を、見ていた。
それから、彼は、わずかにうなずいた。
『……この通りで、いちばんふつうの話を、聞きたい、と仰る御方は、はじめてですな』
『そうですか』
『よろしい。お話しいたします』
その日から、俺たちは、ほぼ毎日、ハーカンの鍛冶場に通った。
午前中は、ハーカン親方や、彼の弟子たちの仕事を、邪魔にならないように、傍で眺めた。
昼の休みに、小さなテーブルで、ハーカン親方の話を聞いた。
鉄は、北の山地の鉱山から、月に二度、馬車で運ばれてくる。質はまちまちで、当たり外れがある。炭は、近くの森から、契約している炭焼きが、定期的に納める。火床の温度は、職人の経験で見極める。鉄が「赤くなる」「白くなる」その色合いを、目で覚えて、鎚を入れる時機を判断する。
『同じ赤に見えても、違う赤、というのがあるんですよ』
ハーカン親方は、火床の前で、鎚の柄を片手で軽く叩きながら言った。
『私には分かりませんが』
『そりゃ、見分けは、十年やらんと、つきませんわ』
彼は、笑った。
俺は、その日、火床の温度計を、一台だけ、こっそり持ち込んだ。
艦内素材で作った、小さな金属棒のような形の温度計。先端を火床の縁に近づけると、棒の根元の小さな目盛りに、温度が表示される。
俺は、それを使って、ハーカン親方が「鉄が打ち頃の赤色になった」と判断した瞬間を、何度も計測した。
数日かけて、データは、はっきりした傾向を示した。
ハーカン親方の判断は、毎回、ほぼ同じ温度――摂氏で言えば、千百度から千百二十度の間――に、見事に収まっていたのだ。
ある日の昼休み、俺は、その温度計の話を、ハーカン親方に打ち明けた。
『親方の目は、おそろしく正確です』
俺は、温度計を見せながら、説明した。
親方は、温度計を、手の中で、しばらく転がしていた。
『……これが、千百度、ということですかい』
『はい』
『……ふうむ』
彼は、しばらく、その金属棒を、ためつすがめつしていた。
『ハヤマ殿』
『はい』
『これを、一台、譲ってもらえませんかな』
『お渡しします』
『弟子が、まだ目で見分けられんで、苦労しとります。これがあれば、修業の助けになります』
『はい。お役に立てて、何よりです』
『……ただ』
彼は、温度計を、手の中で、もう一度ゆっくりと転がした。
『これに頼り過ぎちゃ、いかんですな』
『はい』
『目で見分ける力を、若い者から奪っちまったら、十年、二十年たって、私らの代わりが、おらんようになる』
『仰る通りです』
俺は、深く、うなずいた。
親方は、それから、温度計を、棚の少し奥のほうに、丁寧に置いた。すぐ手の届くところではなく、必要なときだけ取り出せる場所に、ちゃんと、置いた。
その所作の意味を、俺は、しばらくの間、ぼんやり考えていた。
夕方、鍛冶場を出た俺たちは、川沿いの道を、歩いて拠点に戻ることにした。
川面に、夕日が長く反射していた。鴨らしき水鳥が、向こう岸の葦の影を、ゆっくりと泳いでいた。
「司令」
「うん?」
「面白いですね、鍛冶という仕事は」
「うん」
「親方が、あの温度計を、棚の奥に置いた、あの仕草」
「うん」
「今日いちばん、印象に残りました」
「だね。俺もだ」
俺は、川面を眺めながら、ゆっくり歩いた。
技術を渡す、というのは、本当は、道具を渡すことではないのかもしれない。
道具とともに、その道具との「付き合い方」を、相手と一緒に考えていくことなのかもしれない。
ハーカン親方が、温度計を棚の奥に置いたその仕草は、俺たちの方法のあちこちに、これからも、繰り返し参考にしたくなるような、そういう仕草だった。
「司令」
「うん?」
クレアが、わずかに、声の調子を低くした。
「艦内の観測で、帝国軍の主力が、内陸の練兵地に集結を始めた、との報告が、夕方届きました。国境で動きを止めていた本隊も、引き上げて、そちらに合流しつつあります」
「……いつ動きそう?」
「準備が整えば、おそらく、二十日以内に」
俺は、立ち止まった。
川面の夕日が、わずかに、揺らめいた。
しばらくの後で、俺は、また、歩き出した。
「分かった。陛下とロドリク卿に、明日の朝、お知らせしよう」
「はい」
拠点までの道は、まだ、しばらくあった。
俺たちは、途中、何度か、立ち止まっては、川面の夕日を眺めながら、ゆっくりと、家路をたどった。




