第14話 熱の村
長雨が、ようやく明けてからの一週目に、ガルウィン卿からの早馬が、拠点に届いた。
使者は、ずぶ濡れではなかったが、馬は息を切らせていた。
『お忙しいところ、申し訳ございません。ハヤマ殿に、お力添えをいただきたい件が出来いたしました』
書面の内容は、短かった。
王都の南東、街道から少し外れた集落「サウェ村」で、原因不明の熱病が広がっている。村人300人ほどのうち、すでに30人が高熱を出し、寝込んでいる。死者はまだ出ていないが、症状の進行が早い。これまでに村に派遣した薬師の手には負えない。
「行きましょう」
クレアは、書面を読み終えるなり、立ち上がっていた。
拠点を出る前に、俺は艦隊のロボット部隊に指示を出した。
医療用のロボットは、艦隊に、あわせて40体ほど搭載されている。本来は、艦内の傷病者の処置と、戦場での緊急救護を想定して作られた機体だ。けれども、診断、検査、薬剤調合、隔離区画の設営、そういった作業は、ひととおりこなせる。
彼らのうち12体を、輸送艦から村の近郊に降ろすよう手配した。
医療用ロボットの動きは、作業用のロボットよりも、さらに静かで、繊細だった。手先の動きは熟練の医師のように丁寧で、表情こそないが、患者を扱う仕草には、不思議な穏やかさがあった。クレア曰く、「人間が安心するように、所作を最適化してある」とのことだった。
サウェ村に着いたとき、村は、農村の静けさの代わりに、別の種類の静けさに包まれていた。
道に人影が少ない。道端の家々の窓は、雨戸が閉まっている。それでも、ところどころから、子どもの泣き声や、大人の呻き声が、薄い壁越しに聞こえてくる。
村の入口で出迎えてくれたのは、村の長と、王都から派遣された薬師、それに――意外なことに――ラウスト神官長だった。
神官長は、いつもの黒い長衣ではなく、ややくたびれた灰色の旅装に身を包んでいた。胸の銀の徽章だけが、いつも通りだった。
『神官長』
『ハヤマ殿』
彼は、思いがけず、ほんのわずかに頭を下げた。
『神官団としても、見過ごせる事態ではないと判断いたしました。本日より、私自身、この村に泊まり込みで参ります』
『……お一人で、ですか』
『若い神官と、修練生を、20人ほど。看病、炊き出し、子どもの世話、それくらいのことは、神官団でもいたします』
俺は、内心で、自分の浅さを恥じた。
彼は、警戒する人物であると同時に、明らかに、自分の役割を、自分の足で果たす人だった。
『ともに、お仕事をさせていただければ、と思います』
『……承知いたしました』
彼は、それきり、神官たちのほうへ向き直って、指示を与え始めた。
医療ロボットたちは、まず、村の広場に隔離テントを設営した。
テントは、艦内素材で作られた軽い構造物で、内部は外気と遮断されている。重症の患者は、まずこのテントに運び込まれ、診断と治療を受ける。軽症の者は、自宅で隔離。村人どうしの接触は、できる限り減らす。
最初の数時間で、ロボットたちは、患者の血液と、村の水と、井戸の周辺の土を、それぞれ採取して分析した。
「司令」
クレアが、村の中央広場に置かれた仮設の作業台の前で、コンソールを覗き込みながら、俺を呼んだ。
「水ですね。北の井戸の水から、桿菌の濃度が、危険なレベルで検出されました。地下水脈に、家畜の排泄物が浸透しているようです。畜舎の排水処理が、長雨で機能を失っていたものと推定します」
「飲み水を、止めよう」
「はい。すでにロボットが、井戸の周囲に立て札を出し、水を汲めないように囲っています」
「代わりの水は」
「南の井戸の水質は問題ありません。それでも当面、艦内から運んだ水を、無償で配布します」
「治療法は」
「桿菌の特定はできました。艦内の薬剤合成装置で、対応する抗生物質を製造できます。三時間後には、初回投与が可能です」
「了解。神官長に、伝えてくる」
神官長は、隔離テントの近くで、若い神官たちに指示を出していた。
『神官長、原因が特定できました』
俺は、できる限り、淡々と、状況を伝えた。北の井戸の汚染。桿菌。3時間後の投薬開始。
神官長は、黙って、最後まで聞いていた。
『……では、神官団は、何をすればよろしいか』
『すでに、ご対応いただいております』
『と、申しますと』
『私たちのロボットは、人を診ることはできても、人の心を慰めることは、苦手です。私たちが薬を持ってきても、薬を飲むのは、患者ご自身です。患者と、患者のご家族に、不安なまま薬を飲ませるか、神官団からの祈りと共に薬を飲んでいただくか。後者のほうが、結果が良いと、私は考えています』
神官長は、しばらくの間、俺の顔を見つめていた。
その目には、初めて見るような、素直な驚きがあった。
『神官団の祈りを、薬の支えと、お考えになりますか』
『はい』
『それは……神官長として、思いがけぬお言葉でした』
『科学と信仰は、別の役目を持っているからこそ、互いを補い合えるのだと、私は信じています』
神官長は、長い沈黙の後、静かに、深い頭を下げた。
『……承知いたしました。神官団は、村のすべての家を、一軒ずつ、回ります』
彼は、若い神官たちの方を振り返って、いつもよりも一段、力強い声で、指示を出し直した。
夜、隔離テントの外、簡易の見張り番を兼ねた屋根の下で、俺は熱い茶を飲んでいた。
クレアは、隣で、コンソールに向かったまま、患者一人ひとりの容態を、淡々と確認していた。
「進行が、止まり始めています」
彼女が、目だけを上げて、俺に言った。
「最初の投薬から、4時間。ほとんどの患者で、熱の上昇が止まり、いくつかでは、わずかに下がり始めています」
「……間に合った、か」
「はい。死者は、たぶん、出ません」
俺は、テントの白い布地を見ながら、長く、息を吐いた。
助かったのは、俺たちの貢献というよりは、村の薬師と、神官たちと、ロボットたちと、誰もが寝る間を惜しんで動いたからだ。誰の手柄というわけでもなく、ただ、時間との戦いに、辛うじて、間に合ったのだ。
近くの煮炊きの場で、若い神官の一人が、椀の数を数えていた。
『……31、32、33――』
夜食の粥の数だった。患者の数に、看病の家族の数を足した、ほぼ全員の分。
『神官長の分と、ハヤマ殿、クレア殿、それから、ロボットの方々の分は、入れますか』
『……いえ、ロボットは食事をしないので。私たち二人と、神官長の分だけお願いします』
若い神官は、わずかにうなずいて、また数を数え始めた。
ロボットの「方々の分」と言ってくれたことが、なんだか、ちょっと、嬉しかった。
翌朝、テントの外に出ると、神官長が、隔離テントの入口で、低く祈りの言葉を唱えていた。
『……月は夜にも民を見守り、麦は民の暮らしを養う。願わくば、民の上に、長き日々を、安らかに』
短い祈りだった。
彼は、祈りを終えると、俺の方を振り返った。
『ハヤマ殿』
『はい』
『先日の小堂での会話を、覚えておられますか』
『もちろんです』
『私は、あなたを、まだ完全には、信用しておりません』
『はい』
『けれども、本日のお仕事を、共に務めることができて、よかったと、思っております』
『……ありがとうございます』
彼は、短く一礼して、また、別のテントに向かって歩いていった。
風が、村の屋根の上を、静かに渡っていった。
前の井戸の脇では、ロボットの一台が、清潔な水を入れた樽を、慎重に並べている。後ろのテントから、子どもの笑い声が、しばらくぶりに聞こえた。
「司令」
クレアが、俺の隣に立っていた。
「次は、別の村でも、井戸の点検が必要です」
「だろうね」
「いつかこの国の人々が、自分たちでこういうことを、できるようにしないといけません」
「うん。長い仕事になるね」
「ええ」
彼女は、空を見上げた。
雲はなく、青い空が、長雨のあとの世界を、広く覆っていた。




