ヴィクトールは試練に立ち向かう
拙いと思いますが、生暖かい気持ちでお願いします。
第二章お待たせいたしました。(次は11:30です)
ひとときのほほんとよろしくお願いします。
のんびりお付き合いいただければ幸いです( * ॑꒳ ॑*)
……セバスが重々しく目を閉じ、手元の報告書を一度閉じました。
その仕草はもはや、「何が起きても驚くまい」という悟りと、それでも拭いきれない動揺が入り混じったものです。
「……旦那様。屋敷の現状について、ご報告申し上げます」
セバスの低い声に、ヴィクトールたちの視線が集まります。
「まず、例の『ベタベタ』『スベスベ』、そして『アチアチ』が撒き散らされた廊下ですが、使用人一同は、……地獄のような後片付けを覚悟しておりました。何しろ、廃油に灰、酢、ミント、大理石粉など、これらが複雑に混ざり合った正体不明の粘液だからです。ところが……」
セバスは一度言葉を切り、深い溜息と共に目を開けました。
「拭き上げた箇所から、鏡のような光沢を放っております。長年の汚れも、石材に染み付いた古傷も、レオン様の配合した成分がすべて分解し、新品同様の輝きを取り戻しました。さらに恐ろしいのは、……掃除の手間が以前の半分以下で済んでしまったことです」
「……な、んだと?」
ヴィクトールが眉をひそめます。
「あまりの洗浄力とコーティング効果に、掃除した場所とそうでない場所の差が激しすぎまして……。ただいま執事室や応接間が、……廊下の輝きに対して、みすぼらしく見えるという支障が出ております。結果……、使用人たちがこの際、屋敷中をレオン様の液で磨き上げなければと、……ある種の使命感と熱狂に包まれております」
マルクスが椅子から転げ落ちそうになり、ブルーノは右脚を撫でながら、とても複雑な表情を浮かべました。
「あのさ、それって……。罠を作って、究極の『住宅用洗剤』を完成させちゃったってこと?」
「……そのようです。おまけにミントとアルコールの効果で、掃除の後は清涼な香りに包まれ、虫一匹寄り付かぬ始末、……旦那様、問題なのは使用人たちが、……もはや普通の雑巾がけ、つまり水や石鹸では満足できません」
ヴィクトールは再び額を押さえました。
「……やれやれ。外部からの『汚れ』を掃除した直後に、身内が屋敷を新品同様にしようとは……、セバス、レオンには後でじっくり話を聞く。だが今は、その……ピカピカになった廊下でブルーノが転ばないように、ほどほどにするよう言いつけておけ」
ブルーノが片眉を上げてヴィクトールを見るが、あえて無視して胃の辺りをさすります。
「……善処いたします。……非常に『スベスベ』ですので」
チラッとブルーノを見た後、セバスは返事を返しました。
最強の盾を治した賢者は、ついでに屋敷の掃除方法まで直してしまったという、……新たな頭痛の種が落とされました。
ヴィクトールが胃のあたりをさする動作を、セバスもマルクスも、普段は気にもしないブルーノでさえも、「心中お察しします」と言わんばかりの視線を主へと向けます。
しかし報告すべき「やらかし」の山は、まだ五合目といったところです。
マルクスが「あ〜……」と、これ以上主の胃壁を削るのが忍びないという表情で、おずおずと手を挙げました。
「……あのさ、一応確認なんだけど、いくらなんでも三歳児のトラップにかかり過ぎじゃないか? 俺は不思議で仕方なくてさ。……奴らは、曲がりなりにも修羅場を潜ってきた『プロ』だろ?『常闇の鎌』なんか、名前を聞いただけで震え上がる程だ」
その言葉は、ヴィクトール、セバスも何となく思っていた疑問でした。
「いや、確かに俺たちがレオン様の仕掛けに上乗せして、威力をかさ増ししたとは思うよ? でもさぁ、……ありゃあヤバいって!敵ながら見てて哀れだったもん。イラクサの罠に泣き叫び、スベスベで踊り狂った挙句、最後は床と一体化、だろ……?」
「……追い打ちをかけるように、屋敷の女性使用人たちが……無慈悲でしたね」
セバスが眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、補足します。
「固まった不審者に対し、彼女たちは『坊っちゃまを泣かせた不届き者』として、バケツ一杯の『アチアチ』を笑顔でぶちまけておりました。あれは本当に地獄絵図でした」
ヴィクトールは胃痛が激しくなるのを感じ、静かに佇む男に問いかけます。
「……ブルーノ、元隠密として意見はあるか? 奴らはなぜ、あのように次々と罠にかかり、全滅したんだ?」
ブルーノはしばし沈黙した後、深い業を背負った者の声で答えました。
「……言えることは、あのような絡め手は想定しようがない、ということです。通常、我らのような者は『死』や『毒』、あるいは『刃』を警戒します。ですが……。『唐突に脚が熱くなる』『意味不明に床が滑る』『そのまま固まり動けなくなる』……このような、殺すことよりも『不快感と無力化』に特化する、子供特有の支離滅裂な攻撃は、予測の範疇を超えています。我々も一応……人間ですから、生理的な驚愕には抗えません」
その言葉を聞いて、ヴィクトールは対峙した国際的暗殺部隊の顔ぶれを思い浮かべました。
(なるほど……。刃を向ければ刃で返すが、泥を投げれば人は怯むか。レオンのそれは、プロが積み上げてきた『殺しのセオリー』そのものを、幼子の無邪気さで無効化したというわけだな……)
ヴィクトールは、本日何度目かわからない溜息をつきました。
「……つまり、我が家は今や国際的暗殺部隊すら無力化する『天使の悪戯』が完成しているということだな」
「左様でございます、旦那様。……さて、次は隣国の外交官から届いた『抗議という名の悲鳴』についてですが……」
セバスの非情な報告は、まだ終わる気配が見えません。
「ッ……、す、すまないが、一息つかないか?! いったいどれほどあるんだ、その『やらかし』は!」
ヴィクトールが戦場でも見せたことのないような悲痛な声を上げました。
その姿は冷徹な侯爵というより、押し寄せる宿題の山に白旗を振る生徒のようです。
執務室いる面々の心境は一つでした。
(「父親なんだから、頑張る場面ですよ、ここ。今まで仕事に没頭して、レオン様を放置したツケを、ただ今一括で払っているだけですから」)
「……申し訳ございません、旦那様。後回しにすればするほど、廊下の輝きと共に問題も増殖いたします。時間がございませんので、このまま続けさせて頂きます」
セバスが事務的に妥協を許さぬ冷ややかさで告げます。
「閣下、……諦めが肝心だ。小出しにされるより、まとめて聞いた方が一気に絶望できて楽だと思うよ?」
マルクスはもはや「他人事」として、楽しむような軽い調子で追い打ちをかけます。
しかし最後の一撃は最強の盾からのものでした。
「……これでも、まだマシな方だ」
ブルーノが爆弾を投下します。
ヴィクトールは崩れ落ちて気絶したくてたまりません。
今聞いた「屋敷のピカピカ化」や「プロ暗殺者の彫像化」が『マシな方』だとしたら、この後に控えている報告は何だというのか……。
(レオン……お前、まさか報告書以外でもやらかしておるまいな……?)
ヴィクトールは胃を押さえ、震える手で執務机の縁を掴みました。
父親としての威厳を辛うじて保ちながらも、その視線は「もう勘弁してくれ」と切実に訴えていたのです。
その頃レオンは……。
「 ひとつ、ひとつ……まぜまぜ!」
小さなスプーンですくっては、……まぜまぜ♪
「坊ちゃま、おままごとですか?」
聞いてくるメイドさんに、レオンは「ひみつよ♪」と答えて微笑みます。
ドアをあけて頼まれた材料を持って入室してきたニコは、不審な目でレオンを見ます。
「ニコ、まぜまぜ楽しいね♪」
そんなニコにレオンはのほほんと言いました。
「……レオン坊っちゃま、そのスプーンどうされたのですか?」
見たことのないスプーンですが、レオンの手にはなじみがいいようです。
「……もらったの。悪さんいいモノ持ってた!」
「……」
3歳児はちゃっかり自分のモノにしていました。
いつ拾ったモノなのか、……ニコにわかるはずもありません。
邸の外では若葉を揺らす風が光の粒をこぼし、誰に聞かせるでもなく草花たちがひそひそとささやき合っていました。
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