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美味いは正義。整うおっさんは酒を呑む  作者: まろじろう


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3/5

第3話「刺身。そのままでいいのか?」

俺は月に何度か、仕事で出張に行く。


メーカー営業という仕事柄、これは仕方がない。


新幹線。


電車。


レンタカー。


慣れているとはいえ、移動は疲れる。


商談だって気を使う。


できることなら、週末くらい家から出たくない。


だが――。


出張にも、一つだけ楽しみがある。


「さて……」


仕事を終えた俺は、土産物売り場にいた。


今回の出張先は――新潟。


新潟。


言わずもがな。


酒処だ。


「これは買うしかないだろ」


俺は出張へ行くと、その土地の酒を一本買って帰ることにしている。


もちろん仕事が目的だ。


断じて、酒を買うために出張しているわけじゃない。


……たぶん。


棚には日本酒がずらり。


甘口。


辛口。


純米。


吟醸。


「迷うな……」


こういう時間は嫌いじゃない。


むしろ好きだ。


散々迷った末、一本を手に取る。


辛口。


今回はこれだ。


「週末まで待ってろよ」


新潟から連れて帰る一本が決まった。


◇ ◇ ◇


木曜日。


仕事帰り。


いつものスーパー。


精肉コーナーを通り過ぎる。


今日は肉じゃない。


鮮魚コーナー。


「さて……」


刺身。


いい。


だが、今日は最初から決めていた。


パックの刺身じゃない。


柵だ。


並んでいる刺身用の柵を眺める。


その中から一つを手に取る。


「……お前なら、あの酒に合いそうだな」


何の根拠があるのかと聞かれたら困る。


勘だ。


でも、こういうのは勘でいい。


今週の主役は、新潟から連れて帰った日本酒。


こいつをどう美味く飲むか。


そのための相棒として、刺身用の柵をカゴに入れた。


問題は――。


「どう食うかな」


普通に刺身?


それだけじゃ、少しつまらない。


まあいい。


決めるのは明日だ。


金曜日。


サウナを出た俺が決めればいい。


◇ ◇ ◇


そして金曜日。


仕事を終え、いつものサウナへ。


身体を洗う。


湯船。


サウナ。


水風呂。


外気浴。


いつもの流れ。


1セット。


2セット。


3セット。


今日は熱波イベントもない。


特別なことは何もない。


だからこそ、いい。


汗を流す。


水風呂に入る。


外気浴の椅子に身体を預ける。


「…………はぁ」


夜風が気持ちいい。


目を閉じる。


頭に浮かぶのは――。


仕事。


ではない。


冷蔵庫で待っている刺身用の柵。


そして。


新潟から連れて帰ってきた、あいつだ。


「…………」


我ながら、食い意地が張っている。


でも。


それでいい。


ゆっくり目を開ける。


「……整った」


身体を起こす。


腹も減った。


さぁ――。


「俺の時間だ」


◇ ◇ ◇


家に着く。


まず冷蔵庫を開ける。


いた。


新潟から連れて帰ってきた日本酒。


その隣には、昨日買った刺身用の柵。


「さて……」


両方を取り出す。


問題は刺身だ。


そのまま切って、わさび醤油。


間違いない。


絶対に美味い。


だが――。


「全部それでいいのか?」


せっかくの金曜日。


せっかくの地酒。


同じ魚を最後まで同じ味で食う。


それはそれで贅沢だ。


でも。


今日はもう少し遊びたい。


「よし」


決めた。


三つに分けよう。


まず一つ目。


普通の刺身。


二つ目。


塩とネギ。


そして三つ目は――。


「なめろうだな」


決まった。


まずは刺身。


柵に包丁を入れる。


スッ。


スッ。


皿に並べる。


わさび。


醤油。


「まずは王道からだ」


そして。


待ってました。


日本酒。


封を開ける。


トクトクトク……。


グラスへ注ぐ。


透明な酒。


まずは一口。


「…………っ」


辛口。


すっと入る。


後味が軽い。


「いいな」


そして刺身。


わさびを少し。


醤油。


パクッ。


「…………うん」


そこへ日本酒。


クイッ。


「……合う」


当たり前だ。


魚。


醤油。


わさび。


日本酒。


「何百年、この組み合わせやってると思ってんだ」


誰に言っているのかは分からない。


だが。


王道には王道である理由がある。


美味い。


ただ――。


「今日は、ここからだ」


二品目。


刺身を少し粗めに叩く。


トン。


トン。


トン。


細かくしすぎない。


食感は残す。


軽く塩。


皿へ盛る。


そして、その上に白髪ネギ。


一つかみ。


「…………」


まだだ。


もう一つかみ。


「これくらいだな」


刺身が見えなくなりそうなくらい。


ネギは多い方がいい。


小さなフライパンを取り出す。


ごま油。


火にかける。


じっと待つ。


やがて――。


うっすら煙が立つ。


「……今だ」


熱々のごま油を、白髪ネギの上へ。


――ジュワアアアアッ!!


「おおっ……!」


ネギが鳴く。


一瞬で香りが立った。


ごま油。


焼けたネギ。


その下には、冷たい刺身。


「これは……」


もう美味い。


食べてないけど分かる。


箸を入れる。


熱の入ったネギ。


その下から刺身。


一緒につまむ。


パクッ。


「…………っ!」


最初にごま油。


次にネギ。


塩。


そして魚。


表面は少しだけ熱が入り、中は冷たい。


「いいな、これ……!」


刺身とは全然違う。


同じ魚なのに。


別物だ。


そして。


日本酒。


クイッ。


「…………はぁ」


思わずグラスを見る。


「お前、さっきより本気出してない?」


もちろん返事はない。


もう一口。


ネギ。


刺身。


ごま油。


日本酒。


「危ないな……」


酒が進む。


だが。


まだ終わりじゃない。


三品目。


残しておいた刺身をまな板へ。


今度はしっかり叩く。


トントントントン。


そこへ味噌。


ネギ。


生姜。


さらに叩く。


トントントン。


混ぜる。


叩く。


粘りが出てくる。


「よし」


皿へ。


なめろう。


完成。


「……地味だな」


見た目は、さっきのネギとごま油ほど派手じゃない。


でも。


こういうやつが強いことを、俺は知っている。


箸で少しだけ取る。


パクッ。


「…………」


味噌。


魚の旨味。


ネギ。


生姜。


全部が混ざっている。


派手じゃない。


だが。


濃い。


「これは……」


日本酒を一口。


「酒泥棒だな」


なめろうを少し。


日本酒。


また少し。


日本酒。


これでいい。


いや。


これがいい。


一気に食べる必要なんてない。


ちびちび食べる。


ちびちび飲む。


42歳。


こういう時間が、妙に楽しくなってきた。


「…………」


ふとテーブルを見る。


最初の刺身。


ネギと熱々ごま油。


なめろう。


全部、同じ柵から作った。


なのに。


「全然違うな」


普通の刺身には、普通の刺身の良さがある。


ネギとごま油には、香りと温度の面白さがある。


なめろうには、酒を飲ませる力がある。


そして。


その全部を、新潟から連れて帰った酒が受け止めてくれる。


「いい土産買ったな、俺」


グラスへ最後の一杯を注ぐ。


出張は疲れる。


移動は長い。


商談だって気を使う。


予定通りにいかないことだってある。


正直。


行きたくない日もある。


でも――。


なめろうを少しだけ箸で取る。


口へ。


そして最後の日本酒。


クイッ。


「…………うまい」


グラスを置く。


こういう土産があるなら。


「出張も、悪くないな」


もちろん。


来週も行きたいかと言われれば――。


「それは別の話だけど」


一人で笑う。


三枚の皿は、もう空だ。


酒も空。


ちょうどいい。


今夜も満足した。


美味いは正義。


そして――。


「地酒は、持って帰るに限るな」


俺の金曜日は、今日も美味い。

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