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美味いは正義。整うおっさんは酒を呑む  作者: まろじろう


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2/5

第2話「あれだけ汗をかいたのに。」

金曜日。


時計を見る。


17時12分。


「…………」


パソコンの画面を見る。


もう一度、時計を見る。


17時13分。


「小山さん」


「はい?」


隣の席から声をかけられた。


「今日、なんか予定あるんですか?」


「なんで?」


「さっきから時計ばっかり見てるから」


「……まあ、大事な予定がある」


「へぇ」


それ以上は聞いてこなかった。


助かる。


別にデートじゃない。


誰かと飲みに行くわけでもない。


だが――。


俺にとっては重要な予定だ。


今日は月に一度。


行きつけのサウナに、熱波師が来る。


19時から。


絶対に間に合わせる。


これは俺の欲望だ。


「小山さん、この見積もりなんですけど」


「見るよ」


仕事は仕事。


そこはちゃんとやる。


だが。


今日だけは残業するつもりはない。


いや。


今日“も”か。


とにかく終わらせる。


メール。


見積もり。


来週の予定。


電話。


一つずつ片付ける。


そして――。


18時03分。


「よし」


パソコンを閉じた。


「お先に失礼します」


さぁ。


行こう。


◇ ◇ ◇


いつものサウナ。


だが、今日は少し雰囲気が違う。


イベント開始10分前。


サウナ室の前には、すでに人が集まっている。


「やっぱり人気だな……」


俺もその列へ並ぶ。


時間になる。


サウナ室へ。


いつもより人が多い。


上段に座る。


しばらくして、熱波師が入ってきた。


手には大きなタオル。


「それでは始めます!」


待ってました。


サウナストーンへ水がかけられる。


――ジュワァァァ……。


一気に蒸気が立ち上がる。


来る。


熱が上から降りてくる。


「…………っ」


熱い。


いつものサウナとは違う。


肌がピリピリする。


そして――。


バサッ!


熱波師がタオルを振る。


熱い空気が全身へ叩きつけられた。


「っっっ……!」


熱い。


いや。


痛い。


もう一度。


――バサッ!


「くぅ……!」


何やってるんだ、俺。


一週間働いて。


金曜日の夜に。


わざわざ金を払って熱い部屋に入り。


さらに熱い風を浴びている。


普通に考えれば意味が分からない。


だが。


――バサッ!


「…………っ!」


これだよ。


これを待ってたんだよ。


額から。


首から。


腕から。


汗が噴き出す。


最後の熱波を受ける。


「ありがとうございました!」


熱波師の声。


拍手。


そして俺はサウナ室を出た。


掛け湯で汗を流す。


そのまま水風呂へ。


ザブン。


「――――っ!」


冷たい。


最高だ。


さっきまで熱波に焼かれていた身体が、一気に冷えていく。


水風呂を出る。


そして外気浴。


椅子へ身体を預けた。


「…………はぁぁぁ」


夜風。


身体が軽い。


頭の中も空っぽ。


仕事のことなんて、もうどうでもいい。


目を閉じる。


しばらく、そのまま。


そして。


ゆっくり目を開けた。


「……整った」


今日はいつも以上だ。


完全に仕上がった。


立ち上がる。


腹が減った。


猛烈に。


さぁ――。


「俺の時間だ」


◇ ◇ ◇


帰り道。


俺は考えていた。


昨日買った食材は――。


豆腐。


豚ひき肉。


長ネギ。


さて。


どうする。


豆腐なら湯豆腐?


いや。


今日は違う。


麻婆豆腐。


「…………」


悪くない。


だが普通の麻婆豆腐じゃない。


今の俺は何を欲している?


熱波を浴びた。


汗をかいた。


水風呂に入った。


身体は完全に整っている。


普通なら、さっぱりしたものが食いたくなるのかもしれない。


でも。


「……辛いもの食いてぇな」


思わず笑う。


あれだけ汗をかいたのに。


俺はまだ汗をかきたいらしい。


だったら決まりだ。


今日は――。


麻辣。


しっかり痺れる麻婆豆腐だ。


家に着く。


冷蔵庫を開ける。


豆腐。


豚ひき肉。


長ネギ。


そして――。


「あ」


奥にラップで包まれたものを見つけた。


チャーシュー。


先日、ラーメンに乗せた残りだ。


「お前、いたな」


決まった。


麻婆豆腐。


それとネギチャーシュー。


酒は――。


「今日はハイボールだな」


まずはネギチャーシュー。


長ネギを切る。


チャーシューも細切り。


ボウルへ。


ごま油。


少しの醤油。


ラー油。


和える。


「よし」


一品目。


完成。


早い。


こういうのでいい。


いや。


こういうのがいい。


次。


麻婆豆腐。


フライパンを火にかける。


油。


豚ひき肉。


――ジュウウウッ!


肉の色が変わっていく。


ニンニク。


生姜。


豆板醤。


炒める。


一気に香りが立つ。


「来たな……」


辛い香り。


もう鼻が反応している。


そこへ甜麺醤。


醤油。


鶏ガラスープ。


豆腐。


グツグツグツ……。


赤い。


実にいい色だ。


だが。


まだ足りない。


今日欲しいのは、ただの辛さじゃない。


舌が痺れる――。


「麻辣だ」


花椒。


今日は遠慮しない。


しっかり入れる。


香りが変わった。


「……これだよ」


最後に水溶き片栗粉。


とろみがつく。


ラー油を少し。


刻んだ長ネギ。


完成。


「よし」


あとは酒だ。


グラスいっぱいに氷を入れる。


カラン。


カラン。


ウイスキー。


そして炭酸。


――シュワァァァ……。


炭酸を潰さないように、軽く一度だけ混ぜる。


「…………完璧」


キンキンのハイボール。


まずは――。


ゴクッ。


「っはぁぁぁ……!」


炭酸。


ウイスキー。


冷たい。


「これだな」


そしてネギチャーシュー。


箸でつまむ。


パクッ。


「うまっ」


チャーシューの脂。


ネギ。


ごま油。


ラー油。


そこへハイボール。


ゴクッ。


「……強いな、こいつ」


麻婆豆腐が主役のつもりだった。


だが。


ネギチャーシュー。


お前もなかなかやる。


もう一口。


ハイボール。


「危ない危ない」


このままだと、麻婆豆腐に行く前に飲み終わる。


グラスを置く。


主役だ。


レンゲを持つ。


麻婆豆腐をすくう。


豆腐。


ひき肉。


赤いタレ。


口へ。


「…………っ!」


熱い。


次に辛い。


そして――。


「っっっ、痺れる!」


来た。


花椒だ。


舌がビリビリする。


額から汗が出る。


首筋にも。


「ははっ……!」


あれだけサウナで汗をかいたのに。


また汗をかいている。


でも。


止まらない。


もう一口。


辛い。


痺れる。


もう一口。


そして――。


ハイボール。


ゴクッ。


「っっっはぁぁぁ!」


冷たい炭酸が、熱くなった口の中を一気に流していく。


「最高だろ、これ……」


熱波。


麻辣。


ハイボール。


今日は刺激しかない。


それでいい。


いや。


今日の俺には、それがいい。


ネギチャーシュー。


麻婆豆腐。


ハイボール。


また麻婆豆腐。


またハイボール。


気がつけば、グラスは二杯目。


そして麻婆豆腐も残りわずか。


「…………」


レンゲを止める。


皿の底を見る。


豆腐はあと少し。


ひき肉。


花椒。


そして。


真っ赤なタレ。


「…………」


このまま食べて終わる?


いや。


違う。


俺は立ち上がった。


冷蔵庫を開ける。


ご飯。


「これだ」


ただし。


一膳はいらない。


腹いっぱいになりたいわけじゃない。


もう42だ。


欲しいのは――。


「締めだな」


ほんの少し。


二口。


いや。


三口分くらい。


それでいい。


残った麻婆豆腐へ、ご飯を投入。


レンゲで混ぜる。


白い米が赤いタレを吸っていく。


ひき肉。


崩れた豆腐。


花椒。


全部が米に絡む。


「……これは反則だろ」


レンゲですくう。


口へ。


「…………っ!」


うまい。


さっきまで酒のつまみだった麻婆豆腐が、一瞬で飯になった。


麻辣の辛さ。


花椒の痺れ。


ひき肉の旨味。


そこへ――米の甘さ。


「合わないわけないよな」


もう一口。


そして最後に。


ハイボール。


ゴクッ。


「っはぁぁぁ……!」


終わった。


完璧だ。


腹いっぱいじゃない。


たぶん、まだ食える。


でも。


「このくらいが、ちょうどいい」


若い頃なら、このまま茶碗一杯。


いや。


麻婆丼にしていたかもしれない。


でも今は。


美味いところでやめる。


それも酒と飯を長く楽しむためには大事だ。


「…………」


少し考える。


「まあ、明日ラーメン食ってるかもしれないけど」


自分で言って笑う。


グラスには、ハイボールが少しだけ残っている。


それをゆっくり飲む。


今日もよく働いた。


よく汗をかいた。


よく食った。


そして。


よく飲んだ。


「……幸せだな」


特別なことなんて何もない。


でも。


それでいい。


美味いは正義。


今週も、最高の週末が始まった。

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