痕跡と器
撃破された『No.042』の裏にある不穏な影。
調査に乗り出した零爾と道原は、道原の能力『万象記録』で敵の痕跡を辿る。
雑居ビルの奥で発見したのは、全身から異素を溢れ出させる「歪な個体」だった。
深夜。港湾エリアでの調査を終え、ようやく自室に辿り着いた狼谷零爾は、ベッドに倒れ込む前に玄関で足を止めた。
足元に寄り添ってきた狼を見下ろす。いつも通り静かに尻尾を振っているが、何かがおかしい。
「ただいま……って、お前なんか変じゃね?」
零爾は屈み込み、狼の頭を覗き込んだ。
――ちょこん。
昨日までは影も形もなかったはずの小さな角が、頭の真ん中に一本、可愛らしく生えている。
零爾はそのまま十秒ほど無言で見つめ合い――
「……なんか変なもん食ったな!」
当の狼は何事もなかったかのように「ハッハッ」と息を吐き、ご機嫌で尻尾をぶんぶんと振るだけだった。
翌朝。校舎の奥にある応接室では、独特の緊張感が漂っていた。
革張りのソファに腰掛ける赤星のもとへ、目森木陰が静かに報告を終えたところだった。
「――以上の理由から、港湾エリアに出現した個体には『No.042』の刻印が認められました。おそらく裏で手を引いている者がいるかと思われますわ」
木陰は冷ややかな眼差しで告げる。
赤星はあごに手を当て、いつものひょうひょうとした笑みを崩さずに頷いた。
「確かにこれは一度しっかり調べるべきだね。そういえば零爾は? 大丈夫だった?」
「ええ、異塊獣自体はそれほど強くありませんでしたので、零爾さんには見学していただきましたわ」
「なるほどね」
赤星はソファの背もたれに深く体重を預け、短く息を吐いた。
「この件は、道原にも手を借りようか」
「――ちゅーわけで、俺が駆り出されたわけや」
昼下がりの港。潮風が吹き抜ける岸壁で、道原はだるそうに頭を掻いた。
隣を歩く零爾は、昨夜『No.042』と遭遇した地点へと道原を案内する。
「ここだ。木陰が倒したのはこのあたり」
「おし。ほな、さっそく」
道原が立ち止まり、静かに息を整える。
彼の能力『万象記録』は、世界に残された過去の記憶を読み取る絶対的な追跡能力だ。しかし、それゆえに課された代償は重い。
発動条件は、実際にその場所へ足を運ぶこと。そして「何を・いつ調べるか」を精密に指定すること。
検索が曖昧であれば膨大な雑音が脳へ雪崩れ込み、指定が精密であっても、世界の記憶へとアクセスする負荷は脳を焼き切る寸前までオーバーヒートさせる。
冷却と自己修復に必要な時間は、丸一日。
「曖昧に『昨日ここで何があった?』なんて調べたら最後、野良猫のあくびから風の吹き方まで全部頭に流れ込んできて頭いかれてまうからな。周囲の警戒よろしく頼むわ」
「任せろ」
零爾が周囲を警戒する中、道原が目を閉じた。
道原の意識は一瞬にして、果てしない真っ白な空間へと切り替わる。周囲には見上げるほど巨大な棚が無限に立ち並び、無数の「記録の本」がぎっしりと収められていた。まさに『世界図書館』とでも呼ぶべき、膨大な情報のデータベース。
(――検索条件指定。『9月2日の深夜2時30分頃、この場所で目森が撃破した異塊獣仮称No.042の移動経路』)
棚から一冊の本が高速で飛び出し、ページがめくられていく。
「……見えたわ」
道原が目を開ける。その視線の先、港湾のコンクリートの上に、薄青い光の残像がうっすらと浮かび上がっていた。
「あいつ、港の沖から来たんやなくて、陸側から来とるな。痕跡を辿るで」
二人は残像の方向へと走り出した。港湾エリアを抜け、古びた雑居ビル街の入り口へと辿り着く。入り組んだ路地と薄暗い雑居ビルが立ち並ぶ、人通りの途絶えた区画だ。
「このビルん中やな、なんかおるかもしれへんから気ぃつけて行くで」
道原の指差す雑居ビルへ足を踏み入れる。湿ったカビの匂いと、不快な異素の気配が漂っていた。
薄暗い廊下の突き当たり。そこに「それ」はいた。
壁に背を預け、荒い息を吐いている異塊獣。しかし、どこかがおかしかった。
「……なんかもうボロボロじゃねえ?」
零爾が思わず呟く。
異塊獣の全身の皮膚は亀裂が走り、脇腹には痛々しい裂傷とともに『No.048』の刻印が刻まれていた。そして何より、その全身から濃密な異素が抑制できずに漏れ出している。
「せやな……まあええわ! とりあえずしばいとこかあ!」
「おう!」
零爾が前へ飛び出す。高密度に練り上げられた打撃が、異塊獣に炸裂した。
ドカァン!!
ボロボロだった『No.048』は、零爾の一撃に耐え切れるはずもなく、激しい衝撃音とともに壁へ激突し、そのまま黒い泥となって崩れ去った。
黒い泥が急速に蒸発していくのを見つめながら、零爾が首をかしげる。
「なんか、こいつからすげえ異素が出てなかったか?」
「せやな……」
道原は顎に手を当て、消えていく異素の残滓を睨みつけていた。
(なんやこいつ……なんでこんな異素が溢れて漏れ出てんねや?)
木陰の報告にあった違和感と、目の前のボロボロな異塊獣の姿。
そこへ、零爾が頭の後ろで手を組みながら、思いついたように言った。
「なんかさ、カバンに荷物詰めすぎたらチャック弾けて中身出てくるじゃん。あんな感じだよな」
「……零爾くん、それやわ」
「何が?」
道原はポンと手を叩き、零爾を見つめた。
「木陰ちゃんの報告やと『異素が滴り落ちてた』って話やったけど、無理やり異素を詰め込まれた改造個体やとしたら辻褄が合うで。体内の異素の量に、器である体が追いついてへんかったんや」
「マジかよ……そんなことできるのか?」
「……さあな。ただ、誰かが異塊獣使って実験しとるのだけは間違いなさそうやな」
薄暗い雑居ビルの廊下に、道原の低い声が響く。
神戸の街の裏側で密かに蠢く「何者か」の影を感じながら、二人は顔を見合わせるのだった。
(第7話・完)




