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異能境界  作者: zip
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異素の拳

実技演習のために案内されたのは、厳重に封鎖された訓練施設。

そこで零爾を待っていたのは、生け捕りにされた本物の「異塊獣」だった。

重条が見せる圧倒的な能力、そして能力の扱い方すら知らない零爾に、解き放たれた爪が迫る――!

グラウンドの端にある厳重に封鎖されたドーム状の施設へ移動すると、重厚な鉄扉が静かに開いた。

内部は、周囲を特殊な強化ガラスで囲まれた広い演習場になっていた。

その中央に鎮座していたのは――頑丈な鉄格子でできた巨大な檻だ。

「うわ……マジで生け捕りにしてるんだ」

零爾が思わず気圧されたような声を漏らす。

檻の中にいたのは、黒くねっとりとした皮膚に覆われ、いくつもの赤黒い単眼を蠢かせる二頭の異塊獣だった。小型とはいえ、鋭い爪と爪先からは禍々しい異素の気配が漂っている。

「安心しなよ、訓練用にかなり弱らせてあるから」

赤星が軽快な調子で檻の横に立ち、パンと手を叩いた。

「さて、今日の実技は簡単だ。この異塊獣相手に、自分の異素をどう使うか実戦形式で確認する。……優香は万が一の時の待機。綴と木陰は観戦エリアから記録とサポートをお願い」

「了解です! 狼谷くん、無理しないでね!」

「任せてな、バッチリ記録させてもらうわ」

伏見が応援の声を掛け、道原がノートを開きながら観戦エリアの安全柵へ移動する。目森も上品にお辞儀をして後に続いた。

「じゃあ手始めに……朔哉、手本を見せてやってくれ」

「……へいへい」

重条はだるそうに溜息をつきながら、ポケットに手を突っ込んだまま一歩前に出た。

赤星が操作盤のボタンを押すと、檻の扉が重い音を立てて一枚だけ跳ね上がる。解き放たれた一頭の異塊獣が、けたたましい威嚇音を上げて重条へ跳びかかった。

空中で鋭い爪が振り下ろされる――その瞬間。

重条は避ける動作すら見せず、ただ静かに一言呟いた。

「――『重力掌握・圧壊』」

――ズンッ!!

空間そのものが歪んだかのような重低音が響き渡った。

異塊獣の頭上に、目に見えない強大な圧力が叩きつけられる。

直前まで勢いよく舞っていた異塊獣は、まるで巨大な見えないハンマーで叩き潰されたように、一瞬で地面へと叩きつけられた。

「グガッ……!?」

メリメリと不気味な音を立ててみしみしと地面が沈み込み、異塊獣は指一本動かせないまま白目を剥いて倒れ伏す。

「……相変わらず容赦ないな、朔哉は」

赤星が手を叩き、重条はあくびを噛み殺しながら「こんなもんだろ」と下がる。

(すげえ……これが重条の能力……『重力』……!)

一瞬で相手の動きを完封した重力掌握の威力に、零爾は息を呑んだ。

「よし、じゃあ次は零爾の番だ。準備はいいかい?」

赤星の言葉に、零爾の心臓がドクンと跳ね上がった。

残る一頭の異塊獣が、檻の奥で血走った目を零爾へ向け、凶暴に顎を鳴らしている。

「……先生、俺、まだ能力の飛ばし方とか出し方とか、全然分かんねえんだけど……」

「大丈夫、難しく考える必要はないよ」

赤星はニッと笑い、零爾の肩をポンと叩いた。

「君の身体が覚えている通りに――ただ、目の前の敵を叩くことだけを考えればいい」

カチリ、と檻のロックが外れる音が響いた。

「――スタート」

次の瞬間、解き放たれた異塊獣が地面を蹴り、弾丸のような速度で零爾へ肉迫した。

本気の殺気。目の前に迫る凶悪な顎と爪。

「っ……!」

零爾の視界が、にわかに鋭さを増す。

脳裏に蘇るのは、昨日の死線。

体内の奥底から、熱い『何か』が泥のように蠢き、全身の血管へと一気に駆け巡る感覚。

無意識のうちに、零爾の体内にある異素が爆発的な『濃度』で右拳へと集中していく。

(来い――!)

異塊獣の爪が零爾の喉元を切り裂く寸前。

零爾は最小限の動きでそれを紙一重でかわすと、踏み込んだ右足で演習場の床を激しく踏みぬいた。

バンッ!!と爆音とともに床のタイルが弾け飛ぶ。

そのままの勢いを乗せ、溜め込んだ異素ごと、右拳を異塊獣の顔面へと叩き込んだ。

ゴォンッ――!!!!

演習場全体に、大砲が直撃したかのような重厚な衝撃音が轟いた。

異能力の光も、遠距離への波及もない。

ただの「素手の一撃」。

しかし、拳に纏わされた異素の密度と圧力が、物理的な破壊力を異常なまでに跳ね上げていた。

殴り飛ばされた異塊獣は、凄まじい速度で後方の強化ガラスへと激突。

ピキキ……と分厚い強化ガラスにクモの巣状のヒビが入るほどの衝撃を受け、そのままピクピクと痙攣して動かなくなった。

「…………」

静寂が演習場を包み込む。

零爾は荒い息を吐きながら、煙の上がる己の右拳を見つめていた。

拳に痛みはない。ただ、体内に渦巻く異素の余韻だけが手に残っている。

「……マジかよ」

観戦エリアで呆然とそれを見ていた重条が、額に汗を浮かべながら呟いた。

「あいつ……ただの素の打撃と異素の『補強』だけで、異塊獣を吹き飛ばしやがった……」

道原もペンを止め、レンズの奥の目を大きく見開いていた。

赤星だけが、どこか満足そうに顎を擦りながら、静かに目を細める。

「……やっぱりね。身体強化だけじゃない……根本的な『出力の桁』が違う」

零爾はゆっくりと振り返り、まだ興奮で熱い自分の手を見つめた。

「これが……俺の力……?」

「狼谷くん! 怪我はない!? どこか痛むところは!?」

静寂を破るようにして駆け寄ってきたのは、伏見だった。心配そうに零爾の腕や肩を覗き込み、自身の手に淡い緑色の光を纏わせる。

「あ、いや……全然平気だ。どこも痛くないし、むしろ身体がやたら軽いっていうか……」

「ほんまに怪我ひとつないな……凄まじい力やで」

後から歩いてきた道原が、興奮冷めやらぬ様子でノートにペンを走らせる。

「狼谷くん、ただの身体強化にしては、精度が高すぎるで……」

「……ま、大したもんだよ」

重条もだるそうに歩み寄ってくると、ぽりぽりと頭をかきながら零爾を一瞥した。

「能力の出し方も分からねえ素人かと思ってたが、とんでもねえゴリラが入ってきたもんだな」

「ゴリラは余計だろ!」

思わずツッコミを入れた零爾に、重条はフッと口角を上げた。

「素晴らしいお力でしたわ、狼谷さん。」

目森も上品に微笑みながら手を叩き、零爾を温かく称えてくれた。

さっきまでの殺伐とした雰囲気が嘘のように和らぎ、零爾は思わず照れくさそうに頭をかいた。

「さて! 実技テストはこれにて終了!」

パンと高く手を叩いた赤星が、笑顔で生徒たちを見渡す。

「よく頑張ったね。朔哉の安定感も流石だし、零爾のポテンシャルも見せてもらった。今日はもう解散にしよう」

「やったー! 先生、放課後みんなでジュース買いに行っていいですか!?」

「いいよー、ただし買い食いで遅くなりすぎないようにね」

伏見の元気な声に赤星が笑って答え、生徒たちは更衣室へ向かって歩き始めた。

「先に行っててくれ、すぐ追いつく」

零爾がそう声をかけると、重条たちは手を振って演習場を後にしていった。

静かになった施設。

ひとり残った零爾が、もう一度自分の右手を握りしめていると、後ろから足音が近づいてきた。

「どうだい、零爾」

振り返ると、赤星がポケットに手を突っ込んだまま立っていた。

「……自分の力、少しは実感が湧いたかい?」

「……正直、まだよく分からないです。頭で考えて動いたわけじゃなくて、身体が勝手に反応したっていうか……」

「それでいいんだよ」

赤星は優しく微笑み、零爾の頭をぽんぽんと撫でた。

「君の中に眠る異素は、とても素直で、そしてとても広大だ。君が『守りたい』とか『打ち破りたい』と強く願った時、それに応えて溢れ出してくる」

赤星の言葉に、零爾は息をのんだ。

「ふふ、まあこれは俺の想像だけどね。君の異素の『総量』の底が、まだどこにも見えないんだ」

そう言って赤星は悪戯っぽくウィンクしてみせると、くるりと背を向けた。

「さ、みんなが待ってる。着替えておいで。明日からは、もっと面白いことが待ってるよ」

「……はい!」

歩き出す赤星の背中を見送りながら、零爾は大きく息を吐き出した。

手のひらに残る、熱い異素の余韻。

自分がこの学校で何を学び、どこまで強くなれるのか。

胸の中に広がるのは、恐怖ではなく、確かな高鳴りだった。

(第5話・完)

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