『こちら側』
白を基調とした無機質な保護室。 零爾はパイプ椅子に腰掛け、肩や腕に張られた湿布やガーゼを擦っていた。
「あだだ……」
異素の流れを掴んで体が軽くなったとはいえ、生身で異塊獣の拳を受けたダメージが消えたわけではない。全身が激痛のテーマパーク状態だった。
足元には、相変わらず姿を消すこともなく、静かに伏せている一匹の狼。 部屋の扉が開き、先ほどのスーツの男がコーヒーカップを二つ持って入ってきた。
「はい、温かいものでも飲みな」
「あ、すみません……」
零爾がカップを受け取ると、男は手元の小型端末を操作しながら、零爾の顔をのぞき込んだ。
「さて、狼谷 零爾くん。体の具合はどうだい?」
「なんとか生きてます……。あの、ここってどこなんですか? それに、あの化け物は……」
「質問したいことは山ほどあるだろうけど、まずはこれからだ」
男はポケットからペン型の金属デバイスを取り出すと、零爾の胸元に向けた。 ピピピ、と小さな電子音が鳴り響き、デバイスのメーターが鮮やかな青色に点灯する。
「……やっぱりね。あの土壇場で能力が発現したんだ」
「発現……? 俺の体が急に軽くなったのって、そのせいなんですか?」
「そうだよ。君はあの土壇場で『異素』の流れを掴み、自分自身の意志で能力を引き出した。生身の人間が異塊獣の攻撃を受けて生きていられるはずがないからね」
男は納得がいったように頷くと、デバイスをポケットに仕舞った。
2
「ちょっと失礼」
男は零爾に背を向け、端末でどこかへ通信を繋いだ。
「私です。例の現場で未登録者の能力発現を確認しました。異塊獣相手に生身で時間を稼ぎ、その最中に覚醒したようです。……ええ、現場の処理は重条くんが完了しています。……はい、このまま一般の生活に戻すわけにはいきませんね」
受話器の向こうからの指示に、男は二、三度深く頷く。
「了解しました。手続きはこちらで進めます」
通信を切ると、男は零爾の方へ向き直った。
「さて、狼谷くん。本題に入ろうか」
「は、はい」
「君には明日から、我々の学校へ転入してもらうことになった」
「……はい? 学校……?」
零爾は思わず首をかしげた。
「あの、俺、フツーに高校通ってるんですけど。それに一人暮らしだし、急にそんな……」
「身寄りのない君の状況はこちらも把握しているよ。転校手続きや生活拠点の手配はすべてこちらで済ませておく。違法なことじゃない、正式な手続きだ」
男は淡々と、しかし拒否権を感じさせない口調で言葉を続ける。
「能力が発現した人間は、事故や暴走を防ぐために専門の機関で訓練を受けるルールになっている。君はもう『こちら側』に足を踏み入れたんだ。普通の生活には戻れないよ」
「そんな……」
戸惑う零爾の足元で、狼が低く鼻を鳴らした。 男の言葉に嘘や悪意はない。ただ、現実としてそういうルールなのだと、零爾も理解せざるを得なかった。あの怪物と、あの少年が見せた圧倒的な力を思い出し、零爾は静かに拳を握りしめた。
3
翌朝。 案内された住所を頼りに訪れたのは、広大な敷地と高い外壁に囲まれた施設——「神影高校」の門前だった。
重厚な鉄門の横で、ポケットに手を突っ込み、壁に寄りかかっている少年——重条 朔哉の姿があった。
朔哉:「……チッ、マジで来やがったのか」
「あ、昨日の重力の人……!」
零爾が声をかけると、朔哉は心底だるそうに目を向けた。
「『重力の人』じゃねえよ。重条 朔哉だ。……おい、殴り合いバカ」
「殴り合いバカって言うな! 」
「異塊獣に素手で殴りかかる奴は漏れなくバカだろ。死にてえのか」
「やらなきゃ殺される状況だったんだよ!」
言い合いになりかける零爾を鼻で笑い、朔哉は背を向けて校舎の方へ歩き出した。
「はいはい。ほら、ついて来い。教員室まで案内してやるよ」
「あ、ちょっと待てって!」
文句を言いながらも、零爾は朔哉の後に続いて門をくぐった。 横には、変わらず静かに並んで歩く一匹の狼。
未知の力を持つ者たちが集う校舎を見上げながら、狼谷 零爾の新しい日常が始まりを告げた。
(第2話・完)




