第97話 『報告』
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◇プリム◇
クアトルの帰宅。
そして、プリムの帰宅。
家族と使用人に軽い挨拶を済ませた後のこと——
「……父上。報告があります」
プリムは父の執務室を訪れていた。
執務室は静かだった。
窓から差し込む夕陽が、机の上の書類を赤く染めている。
男爵は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
事前に伝えられていたことでもある。
「ペクンの町で……“疫病が流行り始めているようだ”という噂があります」
「噂、か」
「はい。ですが――」
プリムは一拍置いた。
「噂では済まない状況です」
男爵の目が細くなる。
「……詳しく話せ」
プリムは頷き、淡々と続けた。
「症状は一定していません。高熱、咳、倦怠感……中には皮膚の変色を訴える者もいるようです。しかし、どれも“決定的な共通点”がない」
「病名は?」
「不明です。医師たちも判断できず……“原因不明の病”としか言いようがない、と」
男爵は深く息を吐いた。
「封鎖は?」
「続いています。むしろ……厳しくなっているようです。一度、商人たちの要請で緩まりましたが、反動なのか 住民の出入りは完全に止まり、外部の商人も拒まれているとのこと」
「……混乱しているな」
「はい。町の中で何が起きているのか、誰も把握できていません」
プリムは拳を握った。
「ただの疫病なら、ここまで隠す必要はないはずです。ですが……“何かを隠している”としか思えません」
男爵は目を閉じた。
「パーヴェル子爵家は、何をしている……」
「それが……」
プリムは言葉を選んだ。
「子爵家内部も混乱しているようです。当主交代の影響か、指示系統が乱れ、封鎖の理由すら統一されていない」
「……最悪だな」
「はい。ですが――」
プリムは父を見た。
「これは、ただの“領地の問題”ではありません。王弟殿下も、すでに動いているようです」
男爵の目が鋭く光った。
「……王弟が?」
「はい。クアルトの件だけではないように思えます。ペクンの封鎖と、この“原因不明の病”。殿下は、何かを掴んでいる――もしくは、疑念を持っている可能性があります」
静寂が落ちた。
男爵は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「王家が動くかもしれない『疫病』、か」
それが、隣の領地で発生している。
領地を治める身としては無視できない。
男爵は、机の上に置かれた地図へ視線を落とした。
ペクンの位置に指を置き、ゆっくりと円を描く。
「……距離が近すぎる」
「はい。もし本当に疫病であれば、我が領にも影響が出ます」
プリムの声は落ち着いていたが、その奥に緊張があった。
「だが、ただの疫病ではない可能性が高い、か」
「はい。症状の不一致、封鎖の厳格化、情報の遮断……どれも“病”というより、“何かを隠している”動きです」
男爵は目を閉じた。
「パーヴェル子爵家は、何を恐れている……」
「それが分かりません。ですが――」
プリムは言葉を区切り、父を見た。
「王弟殿下が動いている以上、これは“領地の問題”では済まないでしょう」
男爵の眉がわずかに動いた。
「……クアルトの件と、繋がっていると?」
「可能性はあります。殿下は、クアルトに“密命”を与えようとしている。その密命が、ペクンの封鎖と無関係ではないかもしれない」
『密命』の内容は聞けない。
そんなものがあることすら、本来は知るべきではない。
だから、父と子は警戒せざるを得ない。
「王弟の件は考えるだけ無駄か」
何もできはしない、と男爵は割り切る。
「そうですね。ですが、パーヴェル子爵家の動きと、領民たちの動きは注視せねばなりません。何かを隠している――。そうでなければ……さらに最悪な事態と言える」
隠しているのなら、『理由』があり、統制可能だ。
しかし、なにもない。
隠せる事実すら把握していないとしたら……誰も、何もできない。
パーヴェル子爵家の混乱。
その理由に、大きな意味が出る。
静寂が落ちた。
夕陽が沈み、執務室に影が伸びる。
男爵は、ゆっくりと立ち上がった。
「……プリム」
「はい」
「お前は、明朝もう一度ペクンへ向かえ。封鎖の状況、子爵家の動き、医師たちの反応……可能な限り、すべてを調べてこい」
プリムは深く頷いた。
「承知しました」
男爵は窓の外を見た。
夜の帳が降り始め、遠くの空が赤く染まっている。
「……これは、嵐の前触れだ」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
男爵の言葉に、プリムは静かに頷いた。
「……嵐、ですか」
「そうだ。まだ風は吹いていない。だが――」
男爵は、地図の上に置いた指をゆっくりと持ち上げた。
「ペクンで起きていることは、いずれ必ずこちらへ届く」
その声音は、確信に満ちていた。
プリムは背筋を伸ばした。
「明朝、出立します」
「頼む。……そして、気をつけろ」
父の言葉は短かったが、重かった。
執務室を出た瞬間、
廊下の空気がひどく冷たく感じられた。
――何かが、動き始めている。
プリムはそう確信した。




