第96話 『決断』
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「密命、だと?!」
驚愕に震わせながらも、男爵は声を抑えた。
他人に知られていいはずがないし、内容を聞くなど、それこそ家が滅びる。
「いったい――」
見開かれた目がクアルトを見た。
「なんか、ね。王弟殿下が、自分のとこで働かないかって誘ってくれたんだ」
よくわかんないけど、目を付けられちゃったとクアルトは舌を出す。
「っ!」
「まさか?!」
兄と父の血の気が引いていく。
王弟直属で、働く。
それは、正規には存在しない役職に就くことを意味する。
男爵だろうが侯爵だろうが、爵位を持つ貴族のできることではない。
「だから、意味がない――と?」
苦みのある口調だ。
家族を、末の息子を奪われる。
後継にする、兄弟間で争わせることになろうとも。
王弟に引き渡すなどありえない。
男爵の中で、悲壮な決意が固まりそうになっていた。
「なんか『密命』ってかっこいいよね!」
何もわかっていない、子供の顔で『僕』が笑う。
だけど――
「僕には、それが合ってる気がするよ」
静かに言い添えて、空を見上げる。
『ラミネートペーパーゴーレム』が。
段ボールドローンが、輪を描いていた。
「……合っている、とは?」
男爵の声は低かった。
怒りではない。
“理解できない”という戸惑いが混じっていた。
クアルトは、空を見たまま答えた。
「ぼく、剣より……こっちのほうが好きなんだ」
『僕』の声は、まっすぐだった。
『オレ』は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「好きで、得意で……やってて楽しくて。それで、誰かの役に立てるなら……」
クアルトは、ゆっくりと父を見た。
「ぼくは、それでいいと思うんだ」
プリムが息を呑んだ。
男爵は、言葉を失っていた。
「剣は……兄さんのものだよ」
その一言は、
“敗北”ではなく 、“敬意”だった。
プリムの目が揺れた。
「ぼくは、兄さんみたいにはなれない。でも……ぼくにしかできないことがあるなら、そっちをやりたい」
『僕』の言葉は幼い。
だけど――
『オレ』は、その幼さが正しいと分かっていた。
レーデルフィーヌが、そっと口を開いた。
「……それが、王弟殿下のご判断です」
男爵が、ゆっくりと彼女を見る。
「クアルト様には、クアルト様にしかできないことがある。王弟殿下はそうお考えのようです。私も、そう思います」
プリムが目を伏せた。
その肩が、わずかに震えた。
男爵は、深く息を吐いた。
「……なるほど」
その声は、怒りでも、拒絶でもなかった。
「だから“意味がない”と言ったのか」
クアルトは、こくりと頷いた。
「うん。ぼくは……ここにいちゃいけないんだ」
静寂が落ちた。
プリムが、顔を上げた。
「……クアルト」
その声は、兄としてのものだった。
「お前は……本当に、それでいいのか?」
クアルトは、迷わず答えた。
「うん。ぼくは……ぼくの道を行くよ」
風が吹いた。
空を舞う紙のゴーレムたちが、光を反射した。
その光は、“少年の未来”を照らしているように見えた。
◇
クアルトは、帰宅した。
「ただいまー!」
まるで、友人宅に一晩お泊りしてきたような、そんな気楽さで声を上げる。
いつぞやのように、使用人総出の出迎えがあった。
母の抱擁と、兄たちの笑顔もある。
『これ』を守るために、『クアルト』は外へ出るべきなのだ。
『オレ』は、そっと呟く。
家を守る、とはそういうことだ。
そうなんだね。
『僕』が静かに受け入れた。
・
・
・
「あー、帰ってきたー!」
自分の部屋に転がり込み、ベッドにだいの字になって息をつく。
馬車の中も、パスチャーゴーレムの『ホーム』も広くしたけれど、やっぱり慣れ親しんだ部屋は落ち着く。
天井の木目も、窓から入る風の匂いも、全部“いつもの”だ。
「なんか一気にゴーレム増えたよなー」
ぽつりと呟く。
疲れていたから、破壊されたまま放置してきたが、明日には再度作り上げられる。
『クアトルの騎士団』はすぐにでも復活するだろう。
初めてこの部屋でペーパーゴーレムを作ったときは、魔力の増減に一喜一憂していた。
ちょっと動いただけで魔力が底をつき、ベッドに倒れ込んでいたあの頃。
今は――無頓着になっている。
維持できる数よりずっと少ない数で推移しているから、魔力が減っていく感覚すら薄い。
「……慣れって怖いな」
天井を見上げながら、クアルトは小さく笑った。
頭上では、海亀ゴーレムがふわりと浮かんでいる。
先頭には使えなかったゴーレムの一体だ。
花びらがひとひら落ちて、クアルトの胸の上に乗った。
「お前も、もうすっかり家族みたいなもんだよな」
そう呟くと、海亀はゆっくりと首を傾けた。
部屋は静かで、穏やかで、“何も起きない日常”が戻ってきたように見えた。
――見えただけだった。




