第90話 『ピンチ』
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「見事だったな」
メルマルゴール男爵――父の暖かな手が、そっと頭に置かれた。
その仕草があまりに珍しくて、クアルトは一瞬だけ固まった。
「きれいに分別していただけたおかげです。えと、立て替えていただけていたとか?」
「気にするな。この成果が出たなら、格安の投資だ」
男爵は笑って言った。
その声には、誇りと安堵が混じっている。
山のように積み上がっていたゴミは、跡形もなく消えていた。
倉庫はほとんど空っぽで、床が見える。
風が通る。
光が入る。
以前なら、この状態にするのにどれほどの労力が――
何より、どれほどの金がかかるか。
人を雇い、仕分けし、運び出し、処分し、それでも残る“どうしようもないゴミ”。
それが、今は一つもない。
「……これが、格安……?」
クアルトは思わず呟いた。
男爵は静かに頷く。
「お前がやったことは、金では買えん価値だ。領地の負担を、一気に軽くしたのだぞ」
クアルトは返す言葉を失った。
自分ではただ“素材を使い切っただけ”のつもりだった。
だが、周囲の人々は涙目で手を合わせ、父は誇らしげに頭を撫でている。
倉庫の静けさが、その成果を雄弁に物語っていた。
「……しかし、よくここまで溜め込んだものですね」
クアルトが呟くと、男爵は苦い顔をした。
「トイレ改革を優先した結果だ。衛生は改善したが……ごみ処理は後回しになってしまってな」
「ああ、それですか」
(そういえば、前に“トイレの改善こそ急務だ”って騒いでいた人がいたっけな。
おかげで『オレ』も助かってるけど……)
(その反動で、ごみ処理はずっと後回し。
積んでおけば何とかなる、って空気が続いてて……)
ただ、先ごろ、崩落や火災が頻発して社会問題化、深刻化が進んでいる。
「あと、残ってる生ごみは燃やすにゃ。燃やせば灰だにゃ!」
「肥料にはしないの?」
「その分はとっくに持ち出されてるにゃ。残ってるのは肥料にしない、できないものばかりだにゃ」
砕かないと使えない大きな骨、土に隙込むと、なぜか作物の生育が悪くなるとされているモノ、それらがごみとなっているということらしい。
土が酸化しすぎる?
作物に悪影響を与える細菌のエサになるとか?
ともかく、肥料にはならないらしい。
それが、ごみ置き場『だった』広い土地の真ん中に集められている。
あとは燃やすだけということだ。
騎士団から、火属性の魔法使いでも呼んだのだろう。
ゴミを焼くのに油を無駄に使いたくないだろうし。
「……って、油?!」
到着した魔法使いが杖を上げたところで、イヤな予感が走った。
(油だけじゃない……燃えるのは油だけじゃない――ガス!)
「ちょっと待ってぇぇぇぇ!」
制止の声を上げる。
聞こえなかったか?
聞こえたけど間に合わなかった?
赤い光球が飛んでいく。
時間が引き伸ばされる感覚。
秒単位の時間内で、行動することを求められる。
絶対にあってはならないのが人的被害。
次が町の破壊。
特に延焼。
「アンナ! 水魔法を用意して!」
雨が必要だ。
そして、盾。
「配置!」
猶予がない。
『オレ』は叫んだ。
『僕』とも協力して、ゴーレムを制御する。
まさかのデビュー戦。
こんな早く、しかもぶっつけ本番だ。
耐火属性のレンガ兵を並べる。
タイルもだ。
骨と革、金属は散開。
馬車から遠隔で放した馬も外周へ散らす。
馬はみんな『石系』だから、火には強い。
『木』は居並ぶ人たちの前に移動させバリケードに。
『紙』と『布』は下がらせる。
なぜかって?
腐敗した有機物。
気を付けるべきは?
メタンガスの発生と引火。
すなわち――爆発……した!
「悪い予感当たりすぎ!」
爆発に負けじと叫んでみるが、どうにかなるものではない。
辺りをさっと見渡してみる。
止めるのはだめでも、最低限の備えは間に合っていた。
間近にいた人たちは立ったままだ。
寸前に移動した馬車たちがうまく壁になってくれている。
熱はレンガが。
魔法の余韻はタイルが防いだ。
飛び散った破片は――骨と革が対応してくれた。
すべてを叩き落としてくれている。
速度重視で作った甲斐がある。
陶器人形も、くるくる回りながら、扇で火の粉や降ってくるゴミの欠片から人々を守ってくれている。
知性が高いだけでなく、情動もあるのかもしれない。
今後の成長が楽しみだ。
「あ、あの……今、馬なしで動きませんでしたか? あの馬車」
呆然と作業員が呟く。
「気にするな。馬なしで動いたとして、我々に不都合がありますか?」
副ギルド長が真顔だ。
「……ないですね」
「なら、気にしないことです」
結論付ける。
誰もが無言で頷いた。
騒ぐのは得策ではない。
そういうことだと認識したのだ。
その頬に水滴が落ちる。
アンナの魔法だ。
細い雨が、ゆっくりと周囲を湿らせていく。
たとえ、周辺に火の粉が飛んでいたとしても、これで発火の可能性を低下させられる。
「ふー……何とかなったね!」
身を挺してかばっていたレーデルフィーヌをそっと引き離し、クアルトは笑顔だ。
しかし、誰一人、微笑み返す者はなかった。
動く者もいない。
ただ黙々と、散らばった破片の片付けに勤しむゴーレムの姿がある。
「あれ?」
コテン、とクアルトの頭が傾いた。
アンナが静かに胸を張り、アーネストが口を押えて肩を揺らし、レーデルフィーヌが視線をそっと空へ向けている。




