第51話 『約束』
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『はぁ』
クアルトのため息は、七歳の子供がつくには重すぎた。
だが、王弟は驚かなかった。
むしろ、その変化を待っていたように見えた。
クアルトは、精神のチャンネルを切り替える。
“僕”でも“オレ”でもない。
貴族家の四男として、口を開いた。
「……私に、何をさせたいんですか?」
その瞬間、
王弟の目がわずかに細くなった。
興味。
評価。
そして、確信。
すべてがその瞳に宿っていた。
王弟の脳裏で、祖母の言葉が鮮明によみがえっていた。
『その者は自身の欲では無理をしないが、『誰か』のためにはどんな無理も通す人だった』、という言葉だ。
ならば、『家族』のためになると言えば『動く』。
そう思っての誘い。
それが、的を射た。
「私が君に望んでいることは、私の『目』になることだ」
王弟の声は穏やかだった。
だが、その言葉の重さは、クアルトの胸に深く沈んだ。
クアルトは子供だ。
だからこそ、大人では入れない場所に入っていける。
誰も警戒しない。
誰も疑わない。
王弟は、それを理解していた。
クアルト自身も、薄々理解してしまった。
「……つまり、諜報で使える、ということですか?」
声は震えていない。
むしろ、静かだった。
着地点が見えたことで、冷静になる。
アンナが小さく息を呑む。
アーネストは、目を伏せたまま微動だにしない。
王弟は、ゆっくりと頷いた。
「そうだね。ただし、君に危険な真似をさせるつもりはない。君は子供だ。子供だからこそ、見えるものがある。諜報員というより調査員だな」
その言葉は、甘い誘いでもあり、逃げ場のない宣告でもあった。
クアルトは、喉の奥がひりつくのを感じた。
(……子供だから、か)
確かに、子供なら入れる場所は多い。
貴族の屋敷でも、役所でも、街の裏路地でも。
誰も七歳の子供を“脅威”とは見ない。
だからこそ、王弟は言ったのだ。
『私の目になれ』と。
「具体的には?」
クアルトは、真正面から問い返した。
子供だから入り込める場所がある——それは分かる。
だが、だからといって本当に子供をスパイにする意味が分からない。
「それは――、それを口にするのは時期尚早だろうな」
王弟が、ここで初めて表情を崩した。
ずっと張り付かせていた胡散臭い『営業スマイル』がひび割れて、苦みに耐える顔が垣間見えた。
わずかに、本音が漏れたのだ。
どうやら、なにか切実な問題が起きている――起きる?――らしい。
「——近いうちに、君の兄上に任務が割り振られる」
兄に?
クアルトは首を傾げた。
父ならわかるが、兄というのはどういうことかと。
嫡男は当主の代理という位置付けになる。
王族と言えど、ほいほいと使えるものではないはずだ。
「っ?! まさか?!」
ある可能性に気が付いて、クアルトは声を上げた。
思わず立ち上がり、王弟を見下ろす。
最悪首が飛んでもおかしくない非礼だ。
「「ッ」」
アンナとアーネストが、反射的に前傾姿勢になる。
万が一、王弟が剣に手を掛けるようなら、自分たちが盾に! ということだ。
「……そのまさかだ」
だが、王弟は動じなかった。
クアルトの目を見て頷く。
「君の二番目の兄――男爵家次男への遠征任務だ」
「正気ですか? うちの次男はまだ10歳ですよ?」
長男でも14で、成人していない。
「過去にも例はあることだ」
「戦乱の時代に、ですよね?」
「貴族は『常在戦場』が本分、特に君の家はそうでなければならないはずだが?」
「くっ」
武で鳴る家柄、いつなりとも戦えて当然と言われれば否定はできない。
「長男は家の顔だ。王族が軽々しく動かせるものではない。だが次男ならば、武家の家柄として“若年の遠征”は伝統として通る。……そして、君が同行しても不自然ではない」
「……でしょうね」
言いたいことは理解できる。
『オレ』は席に戻った。
『僕』は驚いておろおろしてしまっている。
正直、『オレ』もだ。
こんなことなら、『オレ』一人で隣国に潜入しろとでも言われるほうが気楽に行ける。
「とはいえ、もちろん危険はない。一応な」
「一応、ですか」
言い方はずるいが当然でもある。
危険のない任務なんて、それこそ『ない』からだ。
「北の公爵家で行われる『狩り』のお供だ」
「——ああ」
そう言えば毎年行われている。
参加する貴族家は持ち回りになっているのも知っていた。
ようは、『参勤交代』だと思えばいい。
人を動かし、金も動かす。
そうして、各貴族家に負担を強いるのだ。
「なにもなくても二年か、遅くとも三年後には参加することになっただろうが、少し早めようということだ」
「そういうことですか」
持ち回りがどんな決め方をされているか知らないが、今回は王弟が裏で手を回すってことなのだ。
そして、同時に理解した。
『これは試しているのだ』と。
『切実な問題』に、クアルトを使って本当に役に立つかを試そうとしている。
「難しいことは要求しない。まずは同行し、見聞きしたことを報告してほしい」
「なるほど」
何を見るか。
なにに目を向けるかで、判断力を。
そこから何を報告するかで分析力を。
確認しようということだ。
「わかりました。善処します」
「……クアルト。善処では足りないな。約束してほしい。君が見たものを、すべて私に報告することを」
「……約束します」
捕まった。
『オレ』は覚悟を決めた。
『僕』も真剣な顔で頷いている。
四男とはいえ貴族家の者が、王族から『約束』を持ち掛けられた。
拒否はありえない。
『報酬は?』。
出かかった言葉は、飲み込んだ。
「よかった。労には何かしら報いよう」
あ、忘れてはいなかったのか。
「ありがとうございます」




