第127話 『飛ぶが如く』
「クアルト、いっきまーす!」
ホバークラフトは、
地面を離れるようにしてふわりと浮いた。
空気の層が、
薄い膜になって足元を支えている。
「いくよ」
クアルトが短く告げた瞬間、
後方の六体が一斉に羽を傾けた。
次の瞬間――
風が、形を持って押し寄せた。
レーデルフィーヌの髪が、
後ろへ引きちぎられるように流れる。
「っ……!」
声にならない声が漏れた。
ホバークラフトは、
まるで地面を滑る影のように加速していく。
地面の石が、
線になって後方へ消えていく。
草が、色だけを残して流れていく。
レイモンドが片手で縁を掴み、
もう片方の手でヒゲを押さえた。
「これは……速い、どころでは……!」
言葉が風にちぎられる。
クアルトは前を向いたまま、
微動だにしない。
風圧を受けているはずなのに、
その小さな身体は揺れなかった。
まるで、
風のほうがクアルトを避けているかのように。
「まだ……いける」
呟きは、
誰にも届かないほど小さかった。
後方のドローンがさらに角度を変え、
推進力が一段階跳ね上がる。
景色が、
“風景”ではなく“流れ”に変わった。
レーデルフィーヌは、
ただ必死に掴まるしかなかった。
「クアルト様……これは……!」
「まだまだ行けるよ」
振り返らずに答える声は、
不思議なほど落ち着いていた。
「時間がないから。
できるだけ……速く」
夕暮れの光が、
地面と空の境界を曖昧にしていく。
「最大加速!」
クアルトの掛け声。
後方のドローン。
その音が一段高くなる。
ホバークラフトは、
その境界を切り裂くように走った。
王都までの距離が、
風の中で静かに削られていく。
風が、形を持って押し寄せてくる。
ホバークラフトは、地面との距離を一定に保ったまま、
まるで“滑っている”というより、
地面の上をなぞらずに進んでいるようだった。
レーデルフィーヌは、
視界の端で木々が線になって流れていくのを見ていた。
「……速い……」
呟きは風に溶けた。
クアルトには届かない。
レイモンドは後方で、
縁を掴んだまま微動だにしない。
その姿勢は、
まるで“揺れを計測している”かのようだった。
「クアルト様。
この速度……どこまで上げるおつもりで?」
「まだ余裕あるよ」
即答だった。
息も乱れていない。
レーデルフィーヌは、
その横顔を見つめた。
――この子は、
本当に七歳なのだろうか。
風圧を受けているはずなのに、
身体が揺れない。
姿勢が崩れない。
呼吸が乱れない。
「……クアルト様」
「ん?」
「あなたは……本当に、七歳なのですか?」
クアルトは少しだけ笑った。
「いま聞くこと? ヘンなの—!」
上がった笑い声は、
風よりも強かった。
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夕暮れは、
いつの間にか夜へ変わっていた。
空気が冷たくなる。
地面の影が深くなる。
遠くの森が、黒い塊のように沈んでいく。
ホバークラフトの下で、
空気の膜が低く唸った。
「夜道を……この速度で……?」
レーデルフィーヌは思わず息を呑む。
「大丈夫。見えてるから」
クアルトは前を向いたまま言った。
「見えて……?」
「うん。『鶴』を先行させておいたからね。道がわかる」
久しぶりに『ペーパーゴーレム』の折り鶴復活だ。
レーデルフィーヌは言葉を失った。
この速度の中で、道を知る。
そんな芸当、
人間にできるはずがない。
けれど、
クアルトは当然のように言う。
「もう少しで、森を抜けるよ」
その声は、
夜の冷たさとは違う温度を持っていた。
ホバークラフトは、
黒い森の縁をかすめるように走り抜ける。
木々の影が、
一瞬だけ光を反射した。
レーデルフィーヌは、
その光の揺らぎの向こうに、
かすかな“別の色”を見た。
「……あれは……」
クアルトが小さく頷く。
「王都の灯りだよ」
夜の闇の底で、
遠くに、
金色の粒が浮かんでいた。
それは、
まるで星が地上に降りたような光だった。
ホバークラフトは、
その光へ向かって、
さらに速度を上げた。
金色の粒が、
ゆっくりと、しかし確実に大きくなっていく。
王都の灯り。
それは、
夜の底に沈んだ世界の中で、
唯一“生きている”もののように見えた。
レーデルフィーヌは、
その光を見つめながら、
胸の奥がわずかに締めつけられるのを感じた。
「……着きますね」
「うん。
でも、ここからがちょっと難しい」
クアルトの声は落ち着いていた。
けれど、
その指先はわずかに強く縁を掴んでいる。
速度は落ちていない。
むしろ、
王都の灯りが近づくほど、
風が鋭くなる。
「門の前で止まれるのですか?」
レーデルフィーヌが問う。
「止めるよ。
前の二体が“ブレーキ”だから」
前方の段ボールドローンが、わずかに角度を変えた。
その動きは、
まるで“獲物を見つけた鳥”のように静かで、
正確だった。
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王都の外壁が見えてきた。
巨大な影。
夜の中で、
黒い山のようにそびえている。
その足元に、
小さな灯りがいくつか揺れていた。
門番の松明だ。
レーデルフィーヌは、
その灯りを見て息を呑んだ。
「これは……」
風が、地面を削るように流れていく。
レイモンドが、低く呟いた。
「……この速度で門前に突っ込むのは、
どう考えても“無茶”でございますな」
「無茶じゃないよ。計算してるから」
クアルトが反論する。
「計算……でございますか?」
「うん。だいたい‥…、だけど」
レイモンドが、
ほんの少しだけ顔を青くした。
レーデルフィーヌは、
思わず目を閉じかけた。
だが――
閉じなかった。
クアルトの背中が、
揺れずにそこにあったから。
「……信じます」
「ありがとう」
ホバークラフトは、
王都の門へ向かって、
夜の中を一直線に走り抜けた。




