第126話 『王都では』
◇王弟視点◇
王弟の執務室。
煌びやかなランディングデスクの上は、書類に覆われていた。
「兄上は何をしているのか――」
片付けても、片付けても。
減った気がしない書類に、思わず愚痴が出る。
王が仕事を丸投げしてきているのではないか?!
そう思いたくもなる。
「末の姫様と遊ぶのでお忙しくしておられますよ」
『忙しい』を強調した返事が来た。
王宮のメイド長だ。
「遊んでおるではないか?!」
『忙しい』で誤魔化せたつもりか?!
「……仕事はきちんとしておられます」
小さく肩をすくめて見せられる。
「そのうえ、私をこうして派遣しているではありませんか」
メイド長自ら書類仕事を手伝っている。
何が不満なのか?
そんな目で睨まれた。
「そもそも、ペクンについてはご自分で買って出たことをお忘れなく」
『あの子』との関係性を考えて、自ら自分の管轄にした。
それをお忘れなのかと、また睨まれる。
「買って出た時点では、こんな面倒なことになっているなど考えてもおらなんだわ!」
領主交代だけだと思っていたのだ。
それが、疫病が発生。
町の封鎖。
それによる領地全体の混乱…‥‥。
どんどん面倒になっていく。
「まさか、第三軍を招集する羽目になろうとは――――」
決定ではない。
できれば、彼らの投入は避けたい。
だが、このままでは全力で働かせることになる。
「誰か、代わりに何とかしてくれんものかな?」
官僚が、新たな書類を運んでくる。
見えているに決まっているのに、忍び足。
そっと置いて、抜き足差し足で下がっていく。
声を掛けられたくない!
そんなオーラを放ってのことだ。
目も合わせようとしない。
「はぁ。……王家になんぞ生まれるものではないな」
◇第三軍司令部◇
「王弟が苛立っておられるらしいな」
副司令の徽章を付けた男が、肩をすくめた。
「少し違う」
上官が首を振る。
「違う? 少し?」
「苛立っているという態度をとることで、現実逃避しているのさ」
腰を落ち着けて向き合うとつらいから、苛立っているふりで発散している。
「上の人たちは、書類さえ整えれば仕事が終わるからな」
サインさえすれば、仕事したことになる。
「整えただけの書類に命をかける、俺たちのほうがかわいそうだろ?」
書類上の命令に従わなければならない。
その命令も、今回はいつも以上に気乗りしない内容だ。
「町を焼く、のでしたか?」
副司令官が、抑揚のない言葉を吐いた。
「……正確には、『町ごと焼く』だ」
部屋の空気が、わずかに沈んだ。
『なにを』かは、言わない。
言えない。
「あー……そうでしたね。『ごと』ですか」
「命令があり次第、な」
命令がないことを祈りつつ。
下命あれば、物を考えずに実行する。
それが、自分たちの『仕事』だ。
◇親方視点◇
クアルトが王都滞在中に暮らしていた家。
その家の管理を引き継いだ商工会主任の親方は、いつになく塞ぎ込んでいた。
いまは、この家に親方自身も住んでいる。
だが、日を追うごとに家の空気が重くなっていた。
病人がいる。
ただ、それだけのことだ。
だが――
「なんで、治らん?」
親方は、
握った拳をゆっくりと開いた。
掌に残ったのは、
ただの汗と、
どうしようもない無力感だけだった。
家の奥から、
また咳が聞こえる。
乾いた、細い咳。
最初は一日に数回だった。
いまは、数えるのも嫌になるほど増えている。
「……なんでだ」
医者を呼んだ。
薬も飲ませた。
温かくして、食べられるものを食べさせて、
できることは全部した。
それでも――
良くならない。
むしろ、
悪くなっていく。
「なんで……?」
答えは出ない。
出るはずもない。
ただ、
咳だけが、
この家の空気を少しずつ削っていく。
親方は、
壁にもたれかかるように座り込んだ。
「……まただ」
咳が止まらない。
止まる気配もない。
聞こえなくなる日が、
いつか来る。
その“いつか”が、
もうすぐそこまで来ている気がした。
「なんで、治らん……?」
親方の手の中で、
小さな布切れが、
静かに、
音もなく潰れていった。
夜が深さを増していく。
明日が来る気配。
一日が終わり、
次の一日が始まる。
それは、確かな、
そして、なにかの、
カウントダウン。
タイムアウトが迫っていた。
親方は、
ゆっくりと立ち上がった。
足元が、
わずかに重い。
家の奥から、
また咳が聞こえる。
そのたびに、
胸の奥が、
ひとつ沈む。
「……頼む。……もってくれ」
治れとはもう言わない。
せめて、終わらないでくれ。
祈りにもならない言葉が、
夜の空気に溶けていった。
外では、
王都の灯りが、
静かに瞬いていた。
その灯りが、
なぜか今日は、
いつもより遠く見えた。




