第121話 『原因』
「体調不良になってないの?」
隠しているだけかと、念のため確認する。
「いえ、まったく」
イーアンは即答した。
見たところ健康そのもの。
咳をしているのを見たこともない。
「だよね」
その時だった。
「失礼します」
沈黙の落ちた部屋に、アンナが入ってきた。
給仕用のワゴンを押し、湯気の立つポットを載せている。
「お茶を入れます。ともかく、一息お入れください」
「お茶……?」
クアルトが顔を上げる。
『僕』が、どこかで聞いたことがあると首をひねった。
そして――
「それだ!」
思わず声が跳ねた。
「水源の違い。病気は水が原因なんじゃないか?!」
イーアンは、セティたちとは違う水を飲んでいた。
そして、彼だけが病にかかっていない。
セティたちの使っていた水を「気持ち悪い」と感じていた。
それは――
水に“何か”が混じっていたからでは?
「坑道内の危険を見破るスキルを持っていたよね?」
通常は落盤や崩落を察知する能力。
だが、わずかに“それ以外”にも反応していた。
あの「気持ち悪い」という感覚。
あれは、『病』への反応だったのではないか。
「ですが、水が原因なら治っていてよいのでは?」
アーネストが疑問を口にする。
「あの町から離れてから、かなり経ちますが……」
確かにその通りだ。
原因となる水を飲まなくなって久しい。
ならば、症状は改善していくはず。
なのに――悪化している。
「水は原因だけど、元凶ではない?」
自分でも何を言っているのかわからない。
だが、言葉が自然と口をついて出た。
水は“運び手”にすぎない。
本当の原因は、
体内に残留し、今も組織を蝕み続けている“何か”。
ウイルスでも菌でもない。
もっと別の――
「……ああ、そうか」
ため息が漏れた。
妙な脱力感が広がる。
状況が読めた。
読めてしまえば、自明だった。
「鉱山毒だ」
部屋の空気が、ひやりと冷えた。
鉱山とは、特殊な鉱物を産出する場所。
それはつまり、
他の土地には存在しない“毒性物質”が眠る土地ということ。
その毒性物質が水に混じり、
体内に入り、
残留し、
ゆっくりと組織を破壊していく。
水を離れても治らない。
むしろ、時間とともに悪化する。
理屈がすべて繋がった。
「……あの野郎」
拳を握りしめた。
呪詛が漏れる。
思い浮かぶのは、ただ一人。
ペクンの前代官。
銅鉱石の採掘に異常な執着を見せていた男。
「安全対策を省いていやがったな!」
銅鉱石の採掘・精製には、本来なら必須の工程がある。
有害物質の漏洩防止。
粉塵の管理。
排水の処理。
それらを怠れば――
毒は地下水に流れ、
町全体を蝕む。
「……確信した」
クアルト――『オレ』の声は低かった。
「これは、疫病ではなく『毒』だ」
「毒…?」
意味が分からない。
そんな顔をイーアンがした。
『僕』も首を傾げている。
——ああ、そうか――
この世界には、“鉱山由来の毒”という概念そのものが存在しないのだ。
説明が必要ということ。
『オレ』はゆっくりと言葉を選ぶ。
「もともとやっていたのに、あの代官になってから“やめたこと”とかない?」
ペクンの鉱山は古い。
百年、いやもっと前から掘られてきた山だ。
長い歴史の中で、
“理由は分からないが、やっておいたほうがいい”
という作業が少しずつ積み重なってきた。
たとえば――
坑道に溜まった粉塵を水で落とす作業。
精錬所の排水をいったん溜め池に流して沈殿させる工程。
採掘場の風向きを見て作業時間をずらす慣習。
どれも文書に残されているわけではない。
誰かが理屈を説明できるわけでもない。
ただ、
「昔からそうしてきた」
「そうしないと、なんとなく具合が悪くなる」
そんな曖昧な理由で守られてきた“暗黙の知恵”だ。
鉱山という場所は、
人が長く関わるうちに、
“経験則だけが真実を語る”ことがある。
だが――
その積み重ねを、前代官は理解しなかった。
理解しようともしなかった。
「効率化だ」
「無駄を省く」
「もっと掘れ」
そう言って、古くから続く工程を次々と削っていった。
理由を尋ねれば、
「時間がかかる」
「金がかかる」
「必要性が分からん」
と一蹴された。
だが、必要性が“分からない”のは前代官のほうだった。
長い年月の中で、
誰かが痛い目を見て、
誰かが倒れて、
誰かが気づいて、
ようやく積み上げられた“安全の知恵”。
それを、彼は“無駄”と切り捨てた。
その結果――
粉塵は沈められずに空気へ舞い、
排水は処理されずに川へ流れ、
地下水はゆっくりと汚れていった。
そして今、
その“理由の分からない作業”をやめた代償が、
町全体を蝕んでいる。
――ということではないか?
「あれか? 確かに、ちょくちょく工程を省いていたが……」
イーアンは腕を組み、記憶を探るように目を細めた。
「どんな工程?」
『オレ』は身を乗り出す。
イーアンはゆっくりと言葉を紡いだ。
「……坑道の粉を水で落とす作業だ。本来なら、作業前に粉を沈めるんだが……
“時間がかかる”って理由で、やらない日が増えていった」
「粉……それが水に混じったのか?」
アーネストが息を呑む。
イーアンは頷いた。
「他にもある。精錬所の排水も、前は“溜め池”に流して沈めていたんだが……
あの代官になってから、直接川に流すようになった」
レーデルフィーヌが顔をしかめる。
「そんなことをすれば……地下水が汚れる」
「その『汚れ』が病気の原因だ」
『オレ』が言い切った。
イーアンの言ったことは全部、予想できたものだった。
推測が確信になる。
「……毒って、そんな……土が水に混じっただけで、人が病気になるのか?」
イーアンは震える声で言う。
『オレ』は静かに頷いた。
「なるよ。もちろん少なければ問題になることは少ない。
だけど、鉱山には“普通じゃないもの”が眠ってる。
それが大量に混じれば、人をゆっくり蝕む毒になる」
レイモンドが息を呑む。
「……では、セティ様の病は」
「水に混じった“何か”が体に入って、今も残っているんだ。
だから、町を離れても悪化する。たぶん、自然には排出されないものなんだ、それは」
部屋の空気が沈んだ。
そんなの、どうしようもない。




