第119話 『隠した理由』
クアルトが満腹になったところで、場を辞した。
パーティーはいよいよ酒宴に突入しようという頃合い。
子供のクアルトが帰るのに、何ら不自然はない。
礼を失することなく抜け出せる。
馬車が動き出した瞬間だった。
「……で? どういうこと?」
クアルト――『オレ』は低い声を出した。
意図はしていない。
だが、喉の奥でざらつく音がした。
アンナとアーネストが身を固くする。
レーデルフィーヌが、窓越しに馬を寄せてくる。
問いを投げた相手。
レイモンドは、いつもの“執事長”という仮面をかぶったまま黙っていた。
「“なんのことかわかりません”……なんてセリフは受け付けないよ?」
口を開きかけた瞬間に釘を刺す。
今回ばかりは、おふざけを許容できない。
自分でもわかる。
目が座っている。
間違いなく、“子供”がする目つきではない。
「今にして思えば、ちょっと異常だったよね?
バルドンとの道中での、僕への行動制限」
王都の話を聞きに行くのを止められた件だ。
もっともらしい理由はつけられていた。
だが、一度も話す機会がなかったのは不自然。
意図的に引き離されたのでなければ、ありえない。
「知っていて、隠していたよね?」
声と目に、意識して“殺意”を込めた。
怒気では、まだはぐらかされる。
だから、あえて踏み込む。
「え? な、なにが……?」
アンナが慌てている。
クアルトとレイモンドの間を、視線が往復する。
「ペクンの町で疫病が流行。少なくない死者も出ている」
『オレ』は淡々と告げた。
レイモンドにも聞かせるためだ。
――もう知っているぞ、と。
「王都では、非公式に第三軍が動こうとしているらしい」
馬車の中の空気が、わずかに震えた。
王国第三軍。
王家と貴族家だけが知る“汚れ役”専門。
表に出ない処理を担う部隊。
その名が出た瞬間、
アンナの顔色が変わった。
アーネストは、拳を握りしめた。
レーデルフィーヌは、馬上で息を呑んだ。
そして――
レイモンドだけが、動かなかった。
まるで、
「その情報に驚く理由がない」
と言わんばかりに。
『オレ』は、静かに言葉を重ねた。
「……レイモンド。ペクンの封鎖知っていたよね?」
馬車の車輪が石畳を叩く音だけが響く。
レイモンドは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、深く、深く息を吐いた。
「……はい。クアルト様には、知られたくありませんでした」
その声は、いつもの冷静さを保ちながらも、どこか苦しげだった。
「知れば、必ず向かわれる」
確信のこもった断言が成された。
「封鎖されていようと、危険であろうと……クアルト様は、助けに行ってしまわれる」
『オレ』は黙って聞いた。
「そう判断したので伏せました」
「他には『誰』が知っている?」
レイモンドだけなのか。
他にもいてちゃんと対処に動いているのか?
「男爵様と兄上様はご存じです」
「……そうか、だからすぐに出ていたのか」
帰ってきた翌朝、再び出て行っていたのはそのためだったのだ。
「状況はわかっているの?」
「いいえ。わかっているならお伝えしております。わからないからこそ伏せました」
わかっていて、対処可能なら隠す理由はない。
わからないからこそ、遠ざける判断をした。
そういうことだったと白状する。
「病が広がっているのは間違いありません。ただ、その原因が……、病名すらはっきりしていない。ですので、隠すほかなかったのです」
「そう、か」
彼の役目からすれば、当然の行動だ。
責めるべきではない、かもしれない。
「……向かわれるのですか?」
レイモンドの問いは、覚悟と諦めの入り混じった声だった。
『オレ』はすぐには答えなかった。
馬車の揺れが、胸の奥のざわつきを静かに撫でていく。
「わからない。ともかく、セティの様子を見てからだよ」
それが、今の自分に言える唯一の“正しい”言葉だった。
『オレ』は医者じゃない。
病気の治療なんてできない。
だけど――
前世の記憶が、何かの役に立つかもしれない。
この世界では知られていなくても、
前世では“名前のついた病”だったもの。
もしそうなら、治療法を見つけ出せる可能性はある。
「……セティちゃん、咳してたよね?」
アンナが小さく呟いた。
その声は震えていた。
アーネストが唇を噛む。
レーデルフィーヌは、馬上で拳を握りしめている。
レイモンドだけが、静かに目を伏せたまま言った。
「セティ様の咳は……ペクンで流行している“それ”と同じ可能性があります」
馬車の中の空気が、さらに重く沈んだ。
「原因不明の咳。最初は軽い乾いた咳ですが、
数週間で呼吸が苦しくなり、やがて……」
続く言葉が、さらに空気を重くしていく。
馬車は、いつになくゆっくりと進んでいる。
『オレ』は、もうすぐにでも、セティの様子を見たくて焦れていた。




