第118話 『噂』
「ペクンの件、まだ収まりませんか?」
会場の隅。
ワインの香りに紛れるように、低く押し殺した声が聞こえた。
『オレ』は、トカゲの視界をそちらへ切り替える。
二人の男が、壁際の陰で杯を傾けていた。
一方は地元の地主化村長といったところだろう。
初老の男だ。
これが、先の問いを投げかけた男だ。
問題は問われた側。
地主でもない。
村長でもない。
商人ギルドの幹部でもない。
――場違いだ。
服装は質素。
どこかくたびれた感じが鼻につく。
そのおかげで、素性は推測できた。
行商人。
決まった拠点を持たず、仕入れと販売を同時に行って旅をする。
そんな商人だ。
こういう人たちは、周辺地域のみならず遠方の情報にも聡い。
同業者と頻繁に情報共有をしているからだ。
それを見越して、地方からあまり出ることのない人々は群がって話を聞きたがる。
遠方での争いが、戦争にまで発展するなどよくあることだからだ。
「……収まる様子はないね」
ぼそぼそと、陰気な声が答える。
口にすれば、ここにまで悪いものが出る。
そう恐れるような口ぶりだった。
「だが、王都からも医者が派遣されたんじゃないのかい?」
ビクッ。
『オレ』の背中を緊張が走った。
医者が派遣される理由はいくつかあるが、真っ先に名が出る理由は一つしかない。
『疫病』だ。
大規模な災害でも医者は派遣される。
だが、それなら真っ先に人々の口に上るのは、『軍』だ。
医者が中心になるのは『病』しかない。
「その医者が匙を投げたって話だ。原因が全くつかめねぇってんで、いまだに病名すらついてないのさ」
「そいつは……」
どうにもならないと、問いかけていた男が顔を曇らせた。
「症状とかでわかるんじゃないのかね?」
「普通はな。だが、今回は病人によって症状が違うんだそうだ。だから、絞り込めないとさ。まぁ、咳が続くとか共通するものもありはするが……」
熱と咳はどんな病気でも出る症状だ。
病の類別にはあまり役立たない、
「咳?」
モニタールームで、『オレ』は震えだす体を押さえた。
いつからだ。
何度か――いや、何度も聞いていた。
乾いた、短い咳。
このところ、ほぼ毎日じゃないか。
「王都だ……」
最初に聞いたのはいつだったか。
答えはすぐに出た。
セティの母親。
『咳込んでいて、聴取を早々に切り上げられた』と。
その後、クアルトたちが王都を出るまで、
彼女は部屋から出てこなかった。
そして――
セティ自身も、
気づけば乾いた咳をしていた。
『オレ』は、
胸の奥が冷えるのを感じた。
会場の隅で、
男たちの会話が続く。
「死者も増えているが、どうにもならんとさ」
「まさか、広がるのでは?」
男の声がかすれた。
彼の祖父の代に何度も語られた“国崩し”が頭をよぎったのだろう。
当時の世界人口の三割が死に、二割に後遺症を残した。
歴史に刻まれた大災害。
「否定できる要素はないな。あと……」
行商人が声を潜める。
「な、なんだ?!」
「王都の第三軍が招集されている。表向きは演習だが、ひょっとすると――」
「くっ?!」
最悪の想像に、男の顔が歪んだ。
「……」
『オレ』もだ。
『どうしたのー?』
『僕』の声が下りてきた。
一つの体を共有している。
『オレ』の緊張は、当然『僕』にも伝わる。
気づけば、クアルトは椅子に座らされ、胸を押さえていた。
アンナが心配そうに覗き込んでいる。
「お昼にちょっと張り切り過ぎたかなぁ」
それっぽいことを言って、あははと笑ってみせる。
『いやな話を聞いた。なるべく早く帰ろう』
全てを話す必要はない。
今すぐ帰る必要もない。
だが、のんびり楽しむ状況でもなさそうだった。
『わかったー!』
『僕』は椅子から飛び降り、うまそうな肉とデザートへ突進していく。
『オレ』は心を落ち着け、さらなる情報収集に戻った。
ペクン。
そして王都。
救える“何か”を探すために。
・
・
・
パーティーは滞りなく続いた。
結果的には、あれ以上の話は出なかった。
ただ――
ペクンを統治下に置く子爵領の不穏な動きについて、
憶測がちらほらと聞こえただけだ。
だが『オレ』には十分だった。
よい話はない、それが分かったのだから。




