第117話 『交流』
夕刻。
ロマリス商会の屋敷は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。
玄関前には馬車が次々と横付けされ、
従者たちが手際よく客を迎え入れていく。
灯されたランタンの光が、
磨き上げられた石畳に柔らかく反射していた。
屋敷の中は、静かなざわめきに満ちている。
領主代官、古参の地主、港湾の管理者。
近隣の村の長、教会の司祭、そして商人ギルドの幹部たち。
“この地域で声を持つ者” が、一堂に会していた。
彼らは皆、バルドンが王都から持ち帰った“流行り物”とやらを、ひと目見ようと集まっている。
だが本当の目的は別だ。
――顔を売ること。
そして、顔を覚えられること。
豪商の社交とは、
そういうものだ。
会場となった大広間は、
過度な装飾を避けつつも、
上質な絹のタペストリーと琥珀色のランプでまとめられている。
派手ではない。
だが、金のかけ方がわかる者には、一目で“本物”とわかる空間。
給仕たちは、銀盆に乗せたワインと軽食を静かに運び、
客たちは互いに挨拶を交わしながら、
情報と噂を交換していた。
「おや、あなたも来ていたのか」
「いやいや、こちらこそ。最近は帝国の税が――」
「聞きましたか? 王都では例の件で薬師ギルドが……」
声は低く、笑いは控えめ。
名士の集まりは、騒がしくならない。
むしろ静けさの中に、
互いの腹の探り合いが漂っていた。
そんな中、
バルドンは主催者として、
一人ひとりに丁寧に声をかけて回っている。
その笑顔の裏に、
「今日ここにクアルト様をお連れした」
という誇りと期待が隠れている。
彼自身だけが知っていることだ。
やがて――
「クアルト様がお見えです」
控えていた執事が告げる。
広間の空気がわずかに揺れた。
誰も声には出さない。
だが、“今日の主役が来た”
という空気が、静かに、確実に広がっていった。
領主家四男――
本来なら、こんな地方の夜会に姿を見せるはずのない人物。
「……領主家の?」
「いや、聞いていないが……」
地主たちは互いに目配せをし、
村長たちは背筋を伸ばし、
司祭は静かに観察し、
商人ギルドの幹部は計算を始める。
“なぜここに?”
その疑問が、静かに広がっていく。
だが当の本人は、
いつもの“僕”のテンションで入場した。
「わぁ……すごいね、これ!」
無邪気で、無防備で、
身分を振りかざす気など微塵もない。
その自然体が、逆に名士たちの緊張を深めた。
「本物だ……」
「あれでいて、何かとんでもない力を持っているのでは?」
噂が噂を呼び、
静かな恐れと興味が混ざり合う。
さらに追い打ちをかけるように、
アンナとレーデが姿を見せた。
王都仕立てのシルクドレス。
光を受けて淡く揺れる布。
護衛とも侍女ともつかない立ち位置。
名士たちの視線が揺れた。
「……あれは本物の絹だ」
「見ろ、あの大きな琥珀を!」
「領主家の四男が、あのような侍女を?」
「いや、護衛か……?」
“身分の線引きが曖昧な一行”
地方の名士にとって、最も扱いづらい存在。
誰も近づけない。
だが、誰も目を離せない。
バルドンは、
そんな空気を読み切ったうえで、
満面の笑みを浮かべてクアルトへ歩み寄った。
「クアルト様、本日はご光臨いただき、誠にありがとうございます」
その声には、
主催者としての誇り。
商人としての計算。
そして――
“この夜会は成功した”という確信が滲んでいた。
クアルトは、
ただ楽しそうに笑って答えた。
「うん! 楽しみにしてたんだ!」
その瞬間、
広間の空気がわずかに緩んだ。
名士たちは悟る。
――この若者は、脅威ではない。
だが、侮ってはいけない。
静かな夜会は、
その一言で“特別な夜”へと変わった。
ただ——
その中で『オレ』だけは気を張り詰めさせている。
諜報用ゴーレム。
スタビライズド・フォレストガラスのトカゲたちと感覚を共有している。
レイモンドを、
正確にはレイモンドが気にかける『何か』を探る。
そのために、会場へ入ると同時に周囲へ散らしていた。
ここに、『何か』がある。
レイモンドが、クアルトの執事が。
主を遠ざけようとしていた理由。
それは、
単なる社交の場の危険ではない。
彼が、そんなものを危険視するはずがないのだ。
『オレ』は、トカゲたちの視界を順に切り替える。
会場を俯瞰し、話し声に耳を傾けていた。
地主たちの輪。
村長たちの控えめな集まり。
司祭の周囲に漂う柔らかな光。
商人ギルドの幹部たちの、笑っていない笑顔。
どれも、
“普通の名士の顔”だ。
だが――
「ペクンの件、まだ収まりませんか?」
会場の隅で聞こえた言葉で、目と耳を止めた。
「これだ」と思った。




