第109話 『代官』
バルドンの商館を出て、領主館へと向かう。
町に出て見て回りたい思いはあるが、それはクアルトも貴族家の子弟。
勝手はできない。
なにはともあれ、町の代官に挨拶が先だ。
悪事など働いていなければいいけど……。
領主館は町の奥にあった。
メインストリートの突き当りだ。
緩やかな坂を上っていくと、左手に話題のアムブラ湖が見えてくる。
坂は緩いが、高さはかなりあるようだ。
門扉は既に開いていた。
先触れということでアーネストを先行させたからね。
エントランスまで進むと、代官の姿が見えた。
ロマリス代官ベルトランは、深い皺を刻んだ顔で待っている。
「ああ、彼か」
馬車の窓から顔を確認して呟いた。
見知った顔ではあった。
メリマルゴール男爵家のパーティーで挨拶を受けたことが度々ある。
残念ながら町の名前を聞いただけでは思い出せなかった。
ただ、挨拶をした時の記憶では悪い印象は全くなかった。
良い印象もないけれど。
イメージカラーは灰色だな。
「メリマルゴール男爵家では最古参の家臣とのことでしたな」
レイモンドが、情報を追加してくれた。
クアルトの祖父が当主だった頃からの古株になるらしい。
町のことに関しては、父の男爵ですら口出しし辛い相手だそうだ。
馬車が止まった。
「出ていいですよ」
素早く手を動かし、クアルトの髪や服に直しを入れたアンナの許可を得て、降りる。
領主の子息と代官が顔を合わせる瞬間だ。
身だしなみには気を遣う。
お互いに。
「おいでいただき、ありがとうございます。クアルト様」
タラップを降り、顔を上げるのと同時、代官は頭を下げた。
今回は向こうの要請にこちらが答えた形になる。
かなり丁重だ。
「出迎え、感謝する」
声を作り、慇懃に礼を返す。
相手が丁寧に対応してくれたのだ。
こちらも最上級の礼法で返すべきだろう。
「とりあえず、難しい話は着替えてからね!」
ただし、それは挨拶だけのこと。
儀礼が済めば、硬いやりとりは不要と表現を砕いて笑いかける。
「…! 承知いたしました。お部屋に案内させます。用意が整いましたなら、お知らせくださいませ」
「うん。あとでねー!」
◇
「充分な用意がしてあります!」
部屋へ通されるなり、アンナが手を叩いて喜んだ。
湯気の立つタライやツボが置いてある。
着替える前に体を拭けるということだ。
「さぁ! お脱ぎください」
笑顔で迫るアンナが少し怖い。
その後ろに見えるレイモンドは怖すぎるので見なかったことにする。
助けが欲しいが、レーデルフィーヌは扉の外で立哨中だ。
旅のホコリの付いた服を脱ぎ去り、下着も取り上げられた。
お湯に浸したタオルで全身を拭きあげられる。
若い『メイドさん』に。
クアルトになったばかりのころは、『オレ』が羞恥で固まったものだが…。
今はすっかり慣らされている。
体くらい自分で拭けるのだが、これが貴族の嗜みという物らしい。
自分で拭けるよ? と言ってみたこともあるが「私から仕事を奪うのですか!」と泣かれてからは我を通すことなどできなかったのだ!
うん。
しかたがない。
さっぱりしたところで、男爵家四男の正装で身を包む。
堅苦しいが、公務扱いなので、これは避けようがなかった。
報酬があるわけでもないのだけどね。
「こちらへ」
着替えが済むと、レイモンドに呼ばれた。
お茶を入れてくれていたのだ。
代官を待たせている身ではあるが、だからと言って慌てるのは貴族らしくない。
あえて、のんびりして待たせるのが正しい礼法となる。
正直めんどくさいうえに非効率だから、すっ飛ばしたいところなのだが……。
郷に入っては郷に従え。
受け入れて行動しなくてはならない。
◇代官視点◇
クアルトがお茶をしているとき、代官も同じくお茶を飲んでいた。
貴族の言う「あとで」とは、何なら十日後でもおかしくない。
クアルト様はそんな方ではないと知っている。
だが、だからこそ夕食まで知らせは来ないと確信していた。
「……」
ベルトランは、静かに茶を口に運んだ。
茶の香りが、妙に重く感じられる。
「……あの場所の処理をどうするか」
町の外れに積まれた“あれ”が脳裏をよぎる。
どれほど人を割いても、減る気配がない。
だが、何とかしなければと人を方々に送って手立てを探した。
そこへ入ってきたのが、領都のゴミがきれいに消えたという知らせだった。
「……若君に、余計な手間を掛けさせることになる」
どうやって『消す』のかは知らない。
詳細は明かされていなかった。
わかっていることは、クアルト様に『ソレ』ができるということ。
すがる思いで出した『要請』にクアルト様が応じてくれたということ。
この二つだけだ。
「燃やせば悪臭、あるいは有害。埋めても土地がおかしくなる。どうしたものかと積み上げるしかなかった『あれら』を……どうか、何とかしてください。クアルト様」
ティーカップを両手で包むように持ち、ベルトランは頭を垂れた。
本人の前では、見せられない姿だった。
夕餉は、静かに進んだ。
代官ベルトランは必要以上に語らず。
クアルトもまた、礼を崩さぬ範囲で穏やかに応じた。
料理の香りと、食器の触れ合う音だけが、ゆっくりと流れる時間を満たしていた。
町の話題も、湖の話題も、深く踏み込むことはない。
互いに探り合うでもなく、かといって親しげに踏み込むでもない。
ただ、無難に。
ただ、穏やかに。
それでいて、どこか“距離”のある夕食だった。
ベルトランは、若君の前で余計なことを言うまいと慎重で。
クアルトは、代官の負担を測りかねて言葉を選んでいた。
何も起きなかった。
何も問題はなかった。
ただ、それだけの夕食会だった。
けれど――
その“何もなさ”の奥に、互いの立場と、町の重さが静かに横たわっていた。
席を立つとき、代官は一瞬だけ、何か言いかけて口を閉ざした。
そのことに『オレ』は気付いた。
だが理由は、知りようがなかった。




