第100話 『混迷』
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「……町ごと、だと?」
報告書を読み終えた若き子爵は、手の震えを抑えられなかった。
王弟が“最悪の策”を想定していることなど、書かれてはいない。
だが、行間に滲む危機感を読み取った老臣が、その可能性を指摘した。
医師団の検案書の存在を、王家が見逃すはずがない。
この内容ならば――最悪の策を採ることもなくはない。。
「まさか……王国が、我が領地を……」
側近たちが顔を見合わせた。
誰も否定しない。否定できなかった。
「前例はあります」
老臣が、低く、重く言った。
「国を守るため、病巣を切り捨てた例が……」
若き子爵は、喉がひりつくほど乾くのを感じた。
「そんな……そんなことをさせてなるものか!」
立ち上がった拍子に、机の上の書類が散らばった。
震える手でそれらを掴み直しながら、子爵は叫ぶ。
「領民は私が守る! 町を、家族を、未来を……!」
しかし、叫んだところで状況は変わらない。
医師団は原因を掴めず、封鎖は続き、死者は出た。
子爵の言葉は頼もしく、護民官たる領主の鏡ともいえる。
それでも、現実を変える力はない。
だから――王国が、最悪の判断を下す可能性はなくならない。
「……手を打たねばならない」
子爵は、深く息を吸った。
若き子爵の声は震えていたが、目だけは強かった。
「……王国が動く前に、我らが決断せねばならぬのではないか」
若き子爵の声は、震えていた。
恐怖か、怒りか、自分でも分からない。
「殿下が町を焼くなど、あってはならぬ。だが……」
「だが、殿下は国を守るお立場。判断は早いでしょうな」
老臣が静かに言葉を継ぐ。
「我らが動かなければ、王国が動く。そうなれば……」
「領地は没収、家名は地に落ちましょう」
側近の一言が、子爵の胸を刺した。
「……そんなこと、させてなるものか」
子爵は机を叩いた。
散らばった書類が床に落ちる。
「領民を守るためだ。町を……封じねばならぬ」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「し、しかし……殿下はまだ最終判断を……」
「待っていれば遅い! 死者は増え、封鎖は破られ、病は広がる!」
子爵は荒い呼吸のまま、続けた。
「王国に“広がった”と判断されれば、我が家は終わりだ。
ならば……広がる前に、我らが止めねばならぬ」
「止める……とは……」
老臣が問う。
子爵は、ゆっくりと目を閉じた。
「……火だ」
その一言は、誰よりも子爵自身を震え上がらせた。
「火を回せば、病は広がらぬ。
他の村々は守られる。
領地も……家も……守られる」
言葉にするほど、子爵の中で“正しさ”が形を成していく。
「これは……守るための決断だ。私は……領主なのだ。 守らねばならぬ。どんな形であれ」
側近たちは顔を見合わせた。
誰も賛成しない。
だが、誰も反対できなかった。
若き子爵は、震える手で印章を握った。
「……命じる。
ペクンの町を――封じよ」
その声は、もはや“守る者”のものではなかった。
「封じる‥‥‥のですな?」
老臣が確認した。
火を、と言っていたはずだが『焼け』という命令は聞いていない。
「そうだ。……火を回すのは、まだ早い」
若き子爵は、震える声で言った。
自分の口から出た言葉に、安堵と恐怖が入り混じる。
「だが、このままでは……町から病が広がる」
側近たちは黙っていた。
反対も賛成もできない。
ただ、若き領主の決断を待つしかなかった。
「封鎖を強化する。ペクンへ通じる道を……すべて断て」
部屋の空気が一瞬止まった。
「……断つ、とは……」
老臣が慎重に問い返す。
「橋を落とせ。山道は崩し、谷道は塞げ。人も荷も、二度と通れぬようにだ」
子爵の声は震えていたが、目だけは異様に冴えていた。
「町を焼く必要はない。だが……広がらせるわけにはいかぬ。王国に“広がった”と判断されれば、我が家は終わりだ」
自分に言い聞かせるように、子爵は続けた。
「これは……守るための決断だ。領地を、家族を、未来を守るための……」
側近の一人が、恐る恐る口を開いた。
「しかし、道を断てば……町は孤立します。物資も届かず、医師団も……」
「分かっている!」
子爵は叫んだ。
その声は、誰よりも自分自身を追い詰めていた。
「分かっている……だが、他に手がないのだ。町を焼くよりは……まだ、ましだ」
震える手で印章を握りしめる。
「命じる。ペクンの町へ通じる道を――すべて封じよ」
その瞬間、若き子爵は“守る者”から“切り捨てる者”へと、静かに足を踏み出していた。




